夕食を食べ終えた栞の食後の一服に私も小南も付き合っていたのだけど、私達が少し目を離した隙に、栞はソファーに倒れこんで眠ってしまっていた。部屋に運ぶと起こしてしまいそうで結局そのまま毛布をかけて寝かせてから、もう帰らないと、と立ち上がる小南を玄関まで見送った。
そうして小南に頼まれた私は空閑君に状況説明をするべく、少しだけ緊張を感じながらと屋上へ足を向けている。
結局空閑君にどんな顔をすればいいかわからないままだけれど、変に考えて繕ってもウソなら全部ばれてしまうだけだ。気を遣って考えすぎるよりも素直でいようと一応ノックをしてから扉を開く。返事を聞くまでもなくゆっくり扉を開けば、こちらに笑顔を向けている空閑君とぱちり視線があった。
「やっぱり和音ちゃんか」
「あれ、わかった?」
「ノックするのは和音ちゃんくらいだ」
なんと、まさかそんな所で区別されているとは。思ったより普通の顔をしている空閑君はやっぱり屋上の縁に座っていて、私もその隣に並ぼうとゆっくりそちらへ歩み寄る。それを確認してからまた空閑君は暗闇の警戒区域へと視線を戻した。
「栞がね、一瞬の内に寝ちゃったからさ」
「うむ。最近無理を言っているからな、仕方ない」
空閑君は特に咎めるつもりもないようで声色もいつも通りだ。いよいよ傍にたどり着いた私は何と切り出そうか考えて、だけど迷って選べない私は黙ったまま空閑君の視線の先を追う。僅かな灯りで見える街並みは以前とは少し変わってしまっていて、瓦礫などが散乱している景色はそのまま、大規模侵攻の傷跡を現していた。
何を栞と調べているのか聞いてもいいのか。レプリカのことを聞いたと先に伝えるべきか。それとも最初は三雲君の話をしてみようか。
選択肢はたくさんあってどれを選ぼうか悩んでいると、空閑君はふ、と優しい吐息を漏らしてから再び顔をこちらへ向けた。笑んだ表情は何時もどおりで、まるで心配など杞憂だと言われているみたいだ。
「和音ちゃん、そういうのはへたくそだな」
「そういうの?」
「全部顔とか態度に出てる。わかりやすいぞ」
そう言って笑顔のまま、和音ちゃんに気をつかわれるのは嫌だなと零した空閑君。逆に気を遣わせてしまったかと気付いた私は一度息を吐いて、改めて空閑君に聞いてもいいかと尋ねればうん、と肯定される。
とりあえずは思い浮かんだ順番に聞いていこうと一つ目の質問。
「何をそんなに調べてるの?」
「レプリカのことだよ」
一番心の準備が必要だったレプリカの話題が一番にあがってしまって、私が少し躊躇ったのが伝わったのか空閑君はそのまま言葉を続ける。
「多分、レプリカは生きてる」
「……うん」
「それを証明するために栞ちゃんに協力してもらってるんだ」
空閑君はごそごそとポケットからレプリカの分身を取り出す。それを月夜に翳しながら眺めるその眼差しには、揺るぎ無い確信と僅かな希望が混じっているようにみえる。
「おれがレプリカに、オサムとチカを守れって頼んだんだけど」
「……うん」
「オサムは多分気にしてるからな。面倒見の鬼だし」
声色には少し呆れが滲んでいるけど、柔らかく笑んだ顔はそのままだ。そこに込められた感情に思わず私も顔が緩むのを感じる。
「空閑君も三雲君には面倒見の鬼だね」
「……そうか?」
「ちゃんと三雲君が考えるだろうこと先読みして準備してるんだもの」
多分三雲君が世話焼きなのは事実なんだろうけど、私からしたら空閑君だって十分に三雲君の事を気にかけている。あげく心配を払拭するべく行動してるのだからなおさらだ。
「じゃあ三雲君の目が覚めるまでは忙しいね」
「うむ。だが栞ちゃんに無理をさせすぎたな。今日はもうやめておくか」
空閑君は大事そうにレプリカをポケットにしまうと、途端にきゅうとなったお腹を押さえて肩を落とす。
「……そうだ、腹が減った」
僅かな違和感がとくりと私の心臓を唸らせる。いつも、と呼ばれるほど空閑君と一緒に居たかはわからないけど、だけど私の知っている空閑君と少しだけ、何かが違う感覚があった。
「栞と一緒に食堂に来ればよかったのに」
「あの時はまだお腹が空いてなかったんだ」
本当にそうだろうか? 栞だってへろへろになって食堂に現れたのに。空閑君だってずっとつきっきりで解析に協力していたはずだ。何か間食を挟んでいたのか、空腹を忘れる程没頭していたのか。
それとも、レプリカと三雲君のことばかりで自分を粗末にしてるのだろうか。
「栞ちゃん食堂のソファーで寝てるんだっけ」
「……うん」
「じゃあもう少し我慢するか」
そう言ってその場に留まる様子の空閑君を眺めて、私は確かめるように声をかける。
「空閑君」
呼べば、なんだ? といつもの調子で私をみる空閑君。きっと私は空閑君が隠していることは汲んであげられないし、もしこれが無意識だとしたらそれを意識させるのもよくない気がする。
「レプリカが言ってたヒューズ機能の方覚えてる?」
「あぁ、今回はそれだったって迅さんが言ってたぞ?」
「……うん、だからさ」
一瞬躊躇って、だけどやっぱり私は自らの掌を差し出した。
「トリオンがまだいっぱいかも。確認していい?」
空閑君は差し出された手と私の顔を何度か見て、それから柔らかく笑ったと思ったらその手をとってくれた。手の大きさはあまり変わらないのだけど、空閑君の方が少し厚みがある。身体は幼くても男の子なんだよなと実感すると少し照れるけど、それでも今は、許される限りこの手に触れていたかった。
「栞ちゃんが起きなかったら、夕飯温めてくれ」
「今回だけね。次からはきちんと時間に食堂に行った方がいいよ」
急いでる理由も空閑君の気持ちもわかるけど、だからといって二人が無理をしすぎるのも心配だ。私は手を繋いだまま視線を再び街並みへと向ける。
空閑君は緩やかに私の手を握っていて、もういいかとも聞かないままだ。逆にくいと軽く手を引っ張ったと思うと隣に座るように勧められ、私もその言葉に甘えて縁に腰かければ僅かに触れあう腕と肩。冷たい風に晒される中でそれがとても温かくて、落ち着く。
「和音ちゃん、退院したばっかなのにここにいて大丈夫か?」
「日中昼寝し過ぎちゃったし、今日はあまり寒くないから」
もう夜も遅いからか、それとも冬空の下にいることか。どちらの心配も不要だと遠まわしに告げれば空閑君はそれならいい、と答える。そう告げる瞬間少しだけ、空閑君の手の平に力がこもったような気がした。
「そういえば、私のトリガー明日から機密事項じゃなくなるよ」
「ふむ、じゃあS級になるのか」
「小南と栞には先に話しちゃったけどね」
「その方がいいよ。二人とも心配してた」
初めて出会った時に交わした約束。互いの秘密を守ること。空閑君がネイバーでブラックトリガー使いであるということ。そしてまた私も、ブラックトリガー使いであるということ。そのどちらも今は知る人も多くて、二人だけの秘密ではなくなってしまった。
「じゃあ和音ちゃんとはもうランク戦できないのか」
「ボーダーのトリガーでいいなら、むしろ指導して欲しいなぁ」
「和音ちゃんって攻撃手だっけ?」
「違うよ、射手」
互いに顔は合わせないままぽつぽつと思い浮かんだ言葉を落としあう。他愛のない会話が続くのは、私が続けようと思っているからだろうか。空閑君が応えてくれるのはそんな私の意図を悟っているんだろうか。
――まだ、この手を離したくない。
私が空閑君と手を繋いでいるだけでじんわりと心が温まるように、空閑君にもただ手を繋ぐだけで感じる安心感があるといいなと星空に願う。ほんの少しの間か、それとも長い間だったのかもうわからないけど、私たちは静寂に包まれた夜の帳の中で温もりを分けあって過ごした。
そうして改めて実感する。私はこんなにも空閑君が好きで、出来るならこうして傍に居たいと、願っているのだと。