鬼怒田さんのトリガー講座
 部屋に差し込む朝日の眩しさでじんわりと意識が覚醒する。不思議とまだ夢を見ているように色んな感覚が遠くて、どうしてだろうかと考えながらのそりと体を起こした。

 あの後。空腹の限界を迎えた空閑君と共に、食堂へ向かうため手を離した。なるべく静かに夕食を温めて、空閑君も同様に食事を済ませる。後片付けをしていた最中起きた栞はもう少し仮眠をとると言って部屋へ戻ってしまい、それを見送った空閑君はすることもないからと私を自宅まで送ってくれたのだ。

 ――手を、繋いで。

 夜道を歩く私達を見ているのはきっと、空に輝く月くらいだったはず。振り払う必要もないし、繋ぐ必要性を尋ねるのも野暮だろうと黙ってそれを受け入れた。甘えられているのならいいと思ったし、私も温もりに甘えたかったから。
 そんなふわふわとした感覚のまま自宅へと戻ってきて、寝て、起きたのが今だ。思い返してみても現実じゃないみたいだなぁと一度大きく身体を伸ばす。すると視界にちかちかと瞬く端末が映って、何の通知かとそれを手に取った。

「……あ」

 内部通達のお知らせと、私のブラックトリガーの情報開示。そうだ、今日だったと思い出して内容に軽く目を通す。

 私がブラックトリガーを保持していること。特殊な性能を維持する為、起動者に負担がかかること。唯一の適合者である私と上層部に使用決定権があり、基本的にはボーダートリガーの使用を推奨していること。
 以上のことしか言及されておらず、そんなもんかなぁともう一度読み直す。トリガーの性能って隊員に話していいのかな。危険性ってどの程度の認識なんだろう。

「鬼怒田さんに聞いた方がいいかな……」

 通達後すぐに本部に行くなんて針のむしろに自ら座りにいくようなものだろうか。だけどこればかりは適当に済ませると後々困ってしまうだろうし、それならば人が集まり始める午後より今手早く済ませる方がいいだろう。そう判断して私は急いで出かける支度を始めることにした。



「お前、そんなことも知らず了承したのか!?」
「えぇ実は」

 マグカップを片手に呆れたと言わんばかりの鬼怒田さん。大きく嘆息してから基本的にはこれまでと同程度は情報統制すると告げられた。それは、あまり自分から情報を漏らさない方がいいということだろうか。考えながら眺めると鬼怒田さんはデスクから書類の束を引っ張り出して渡してくれた。

「これは?」
「この前のヒューズ機構に関する技術部の見解のレポートだ」

 いかにも難しそうなタイトルにげんなりとするけど、確認の為に中身を数枚捲る。あまり専門的な内容はわからないから、詳細は飛ばして最後のまとめを探せば、他のブラックトリガーと同様の運用は控えた方がいいと締めくくられていた。そういえば迅さんがそんなことを言っていたなと視線を鬼怒田さんへ戻す。

「武器として使うのには向いてないって聞きました」
「トリオン弾の放出はおそらく攻撃を目的として作られておらん」

 技術者の顔になった鬼怒田さんは真剣な顔で私に見解を述べ始める。このブラックトリガーの製造目的はその内部にトリオンを蓄積することではないか。それは結果として、一人の人間が二つのトリオン器官を持つことになる。前例がないため情報も確認も不十分だが、そうであると仮定するならば、このトリガーを武器として戦闘に臨むことは不利なのではないか、とのことだった。

「自由にトリオンを放出できんからな。その辺りもまだ解析が足らん」
「……鬼怒田さんは、その鍵はなんだと思いますか?」

 トリオン器官の代替品がこのトリガーであると仮定して、蓄えられたトリオンエネルギーを誰かに譲渡することは自らを資源とすることだ。そうであるならばトリオン放出を制御する鍵はなんなのか。

「それがわかったら苦労せんわ」
「……そうですよね」

 きっとそれは、私も考えなければいけないことだ。どうして、空閑君にだけアースが発動したのか。その考えに至った瞬間に昨夜の事が頭を過ぎった。手を繋いでいたけれど恐らく、空閑君にトリオンを流していなかったはず。

「私、大規模侵攻の時に限界までトリオンを溜めたんですよね?」
「そうだ」
「でもトリオンが一杯っていう感覚が無いんですけど……」
「そんなもんとっくに平常値までさがっとる」

 はて、何故だろうと首を傾げれば鬼怒田さんは再び嘆息を一つ。その後の説明を噛み砕くとつまり、ヒューズというものは使い捨てらしい。
 私の戦闘体に組み込まれているヒューズ機構はあの時に限界値を越えて壊れた。その自己修復の為に起動停止状態となり、その間にヒューズを再び生成したのではないか。私のブラックトリガーの戦闘体が通常より硬いのは相応量のトリオンで換装しているからで、戦闘体の一部であってもヒューズに消費するトリオン量は膨大なのだろうとのことだった。

「今日は随分熱心じゃないか」
「そうですか?」
「ずっと計測ばかりでトリガーに興味を持つ事などなかったろう」

 そうだったろうか、そうだったのかもしれない。私は自分の記憶のない時にトリガーが起動してしまうような、トリガーが誰かを殺してしまうようなことを恐れてばかりいたのだから。何故、トリガーがそういう挙動をするのかということについては、確かに改めて考えたのは初めてのことのような気がする。

「我々はデータが無いと何もいえん」
「はい」
「今わかるのは、それが攻撃用のトリガーじゃないという事だ」

 鬼怒田さんは私から書類を受け取ると引き出しへと乱暴に戻した。代わりに頭を抱えた私を見かねたらしくお菓子を一つ差し出してくれる。受け取ったそれを口に放りこめばじわりと甘さが広がって、ほうと一息ついてからお菓子と一緒にその言葉を咀嚼する。攻撃を目的としないなら何のためにこのトリガーが作られたのか。お母さんの遺志が、他にも何かあるのだろうか。

「そうだ、明日は何かあっても相手してやれんからな」
「え、なんでですか?」
「記者会見があって一日忙しいんだ」

 記者会見、と聞いて少し考えるけど、その視線を察した鬼怒田さんがこの前の侵攻の報告会だ、と付け足してくれる。つまりは今回の大規模侵攻における各被害に関するメディアからの言及なんだろう。

「ほれ、その準備に忙しいんだ。用事が終わったなら帰れ」
「あ、はい。ありがとうございました」

 しっしと追い払われる手に従って開発局を後にする。通りすがりの見知らぬ隊員達から詮索や悪意を感じる視線を向けられたけど、昔の自分が想像していたよりも些細なことで、私は平然とそれを受け流して歩く。

 私はもうS級隊員なんだ。自分のブラックトリガーに怯えたままじゃいられない。どう使うかは私の意思で選ぶんだから、誰かを傷つけないように選ぶだけ。道具は正しい使い方を知れば怖いものじゃない、便利なものなんだから。
 それにブラックトリガーと言ったって、無敵じゃないことももう知っている。ボーダー隊員が本気になれば、私なんて簡単に止めてくれるんだから。

 ――少しだけ、仲間を信じると言うことがわかった気がした。

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サヨナラの引力

 

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