結局あの後、女子会の話題は紆余曲折を経て夕飯へと落ち着いた。さっきまで千佳ちゃんが片づけを手伝ってくれていたけど、今はお手洗いに行っている。小南も別件で席を外していて、だから食堂にいるのは皿洗い担当の私と栞だけだ。
「ねぇ和音、さっきのことだけどさ」
蛇口から途切れることなく流れ続ける水の音に、消されてしまいそうな声。どうにかそれを聞き取った私は一度相槌を打って続きを促す。
栞は食器をスポンジで擦りながら、少し躊躇った後にゆったりと口を開いた。
「応援はしてもいいかな」
聞かれると同時に泡まみれの食器が差し出されて、返事をせずにそれを受け取る。下手を打たないよう慎重に何を? と尋ねれば栞は一度部屋の入り口を見やった。そうして誰も来ないことを確認してから返事をされる。
「……遊真くんのこと、さ」
挙げられた名前に思わず手先が緩んで、食器をシンクへと落としてしまった。動揺してしまった、と思うけど多分その前から栞は察していたんだろう。チームメイトの千佳ちゃんや隠し事が苦手な小南がいない時に切り出すくらいには。
やっぱりさっきは悪い事をしたかな、と思いながら念入りにその意図を確認する。
「確信があるんだ?」
「ねぇ覚えてる? 昔迅さんと付き合ってるのかって噂になったこと」
再び尋ねる声と同時に食器が渡されて、今度は相槌を返してそれを受け取った。泡を流水で流しながらそんなこともあったなぁと昔を思い出す。あの時の和音はさ、と同じように懐かしむ様子で言葉を続ける栞。
「何それって感じで、迷惑かかるなんて言ってなかったじゃない」
「いやまぁ、相手が迅さんだからねぇ」
「そ、相手が遊真くんだからじゃないの?」
「迅さんと空閑君は違うでしょ」
「うん、だからそういうことかなって」
そういうこと、をハッキリと言わないのは栞の優しさなんだろうか。
返事を返さないままに最後の食器を洗い流して食器カゴへと干す。だけど、シンクを軽く洗っていた栞は勝手に応援するけどね、と呟いた。蛇口が閉められて途端にさぁ帰り支度、と明るい声を出す栞。
「……待って」
エプロンを外す栞の背中に声をかける。追求されるとは思っていなかったようで、不思議そうに見つめ返される瞳。私は少しだけ考えてから、それでもと一言だけ告げた。
「……あんまり、気にしないでいいから、ね」
上手く笑えていたのだろうか、私にはわからない。
だけど栞が困ったように笑っているから、もしかしたら失敗しちゃったかもなぁ。
応援してもらえるのは素直に嬉しいとは思う。だけどそれに甘んじて期待を続けるのも、辛い。だって私はまだどうしたいかを決められていないんだから。
「栞、和音、終わったー?」
唐突に食堂の扉が大きく開いて、小南が戻ってきた。終わったよと返せば小南もこっちも大丈夫そうと満足気な笑み。お手洗いに行っていた千佳ちゃんも戻ってきて再び四人が一堂に会した。各自が自分の荷物をまとめたところで栞がぱちりと両手を合わせて口を開く。
「さて、今日はこれでお開き――」
ね、と続くはずだった言葉は、再び食堂の扉が開く音に遮られた。
レイジさんにしては早いなと全員でそちらを向くと、きょとんとした紅い瞳がそこにあって、呼応するように心臓が震える。
「遊真? 夕飯はもうないわよ?」
「それは済ませた」
空閑君の姿に驚いたものの、最初に声をかけたのは小南だった。その返事が、チカの帰りを心配したオサムに言われたと聞いて全員で納得する。大規模侵攻の後の今じゃ、千佳ちゃんの帰りが心配なのも当然だ。
しかしその辺りの心配は全員充分にわかっている。
「そうなると思って、帰りはレイジさんに頼んでおいたのよ!」
びし、と小南が指差した先は空閑君の背後に立つレイジさん。
車の用意なら出来てるぞと現れたその姿に、空閑君も良かったと笑顔を浮かべる。夜道は危ないからと事前にレイジさんに足を交渉しておいて良かった。
けれど空閑君は無駄足か、と傍観していたら突然栞がそれならと言葉を切り出す。
「遊真くん、和音送ってってよ」
「おぉ?」
「は?」
さっきの今で、と思わず栞を凝視するけど、本人は私に一瞥もくれることなく笑顔で空閑君への交渉を始めてしまう。
というのも私が、急遽明朝六時からの防衛任務につくよう指令を受けたのだ。私と千佳ちゃんの家は正反対だから、千佳ちゃんを優先すると私の帰宅時間が遅くなる。だから私だけ歩いて帰ろうかと提案したけど小南に一度却下されていたのだ。
だけどこの状況なら話は別らしい。栞は空閑君に送迎を依頼して、空閑君も簡単にそれを引き受けてしまった。それを確認した小南と栞は千佳ちゃんを連れてさっさと居なくなってしまう。
思わず空閑君を見つめるけど、当の本人は不思議そうにきょとりと首を傾げてみせた。
「どうした? 帰らないのか?」
「……ええと」
一人でも帰れると突っぱねてしまうのも多分変だろう。暇とはいっても、と普通なら遠慮できるのだけど、私は空閑君が夜どんなに時間を持て余すか事情を知ってしまっている。
だから私がとれる選択肢は一つしかない。
「……お願いします」
「おぉ、任された」
にかりと笑う空閑君。じゃあ行こうといってするりと自然な仕草で繋がれる手。
――遊真くんと付き合ってるんですか?
千佳ちゃんの屈託のない瞳で告げられた問いが脳裏に再び響いた。
多分私も目の前で男女が自然に手を繋いで一緒に帰る姿を見かけたら、そう思うだろう。だって私にとって手を繋ぐのは、そうして相手の体に触れるのはやっぱり特別だ。
「空閑君は」
「ん?」
――どうして手、繋いでるんだろ?
あの時もたった一言の問いがなかなか口に出来なかった。でも、その緊張と今のこの緊張では意味が全然違う。
だって私はこれを咎めたいわけじゃない。むしろこの繋がりを、守りたいんだから。
下心がある。期待もしている。あの頃みたいに手を繋がない方がいいなんて言えない。だってそんなの嘘になってしまうって自分でわかるから。
好きだから、ほんの少しでも傍にいれるこの時間が欲しい。何でもいいからこうして、話をしていたい。
「普段の夜は何してるの?」
「うーん……戦術の復習とか」
浸れば浸る程逃げ場が無くなってしまいそうで、他愛ない会話を自ら切り出す。静かな夜道の帰り道はそれでも温かく優しくて、行き場の無い感情だけが懇々と降り積もっていった。