授業も終わって生徒達が放課後の開放感にざわめきだした教室。今日も本部に顔を出そうかと考えながら私は帰り支度をする。
その目の前に突然、笑顔の米屋君が立ちはだかった。
「なぁ、水沢も本部行くだろ?」
「え? うん、行くけど……?」
米屋君からの伺いを肯定すればにぃと笑顔が返ってくる。続けて、よっしゃ行こうぜと言って私を待つような様子を見せた。少しの間黙ってしまったけど一緒に行こうってことかと遅れて状況を理解する。
私は慌てて机に散らばっていた荷物を鞄に押し込んで支度を終わらせた。
「悪いな、仕事の話付き合わせて」
「う、うん……」
わざとらしく仕事を強調する米屋君の言葉から察するに、恐らくクラスメイトの伺うような視線へ事前に牽制したのだろう。今日は出水君が防衛任務で早退してしまっているから、これだと私と米屋君に“何か”があって一緒に帰るように思われかねない。
あくまで普通を装った米屋君と私は共に校舎を通り抜けて昇降口まで降りてきた。手早く靴を履き変えて校門をくぐれば私達の向かう方角は他の生徒とは正反対だ。
そうして人影も少なくなってようやく、米屋君は表情を緩ませる。
「サンキュな。ノリがよくて助かった」
「ううん。何かあるんでしょ?」
改めて告げられた感謝は米屋君らしい一言だ。しかし本部でなく、わざわざ学校で私を捕まえる必要があるのは何故だろう。先周りして尋ねてみれば実はさ、とひどく言い難そうに話し始める。
「緑川と水沢がつきあってるって噂があるんだよ」
「…………は?」
たっぷり間を置いたけど突拍子もないことに理解が追いつかない。我ながら低く響いた伺いの言葉に米屋君は苦笑する。
「犬っころみたいな緑川が大人しい時があったらしくてさ」
「はぁ」
「すげーしおらしく水沢に付き合ってって告白してたのを見かけたって噂」
話を聞いても全く心当たりが浮かばなくてただただ困惑する。しかも続けられた言葉が、水沢もオーケーしたらしいってことだから余計に。
いやまず告白されてないし、オーケーもしてないし。
何をどう聞き間違えたらそういう誤解が広がるんだと肩を落とす。
「……それ、いつの話?」
「最近? 確かラウンジで見かけたって聞いたけど」
緑川君とラウンジの二つのキーワードでひとつ原因が思い浮かんだ。っていうかそれ、つい昨日の話なんだけどもう噂になってしまったのか。一気に脱力して肩を落とすと米屋君が大丈夫かーと棒読みで心配してくれる。
「……それ、ランク戦に付き合ってって時の話」
「は? マジ? 緑川すげー真剣だったって聞いたけど?」
「その直前に、今まで冷たくしててごめんって言ってくれてたの」
自分の中で出来る限り緑川君の言葉と自分の言葉を思い出して、なるべく正しい順番で米屋君に状況と会話を伝えてみればなるほどと一度頷かれる。そりゃあ誤解を招くだろ、なんて言われたけど一体どう聞きかじればそうなるんだ。
「もー、なんでそんな面倒な話になるかなー……」
「まぁ注目集めてるんだろうな。お前ほっとんど他の奴とつるまないし」
確かにそうだ、今までは特に何かを察されるのが嫌でなるべく距離を置いていた。米屋君と出水君とはクラスメイトだから比較的普通に話していたけど、それ以外の人が絡んでくるとなるべく早くその場から逃げていたのも事実だ。
今まではそれでどうにかなっていたのがS級ということで好奇の目が増えてしまったのか。
「これを機に少しは交流を広げてみればいいじゃん?」
「スタートラインが最悪すぎるでしょ……」
はてさて、どうすればそんな誤解が解けるんだろうか。
人の噂も七十五日とは言うけれどそれを待っててもいいのだろうか。かといって下手に火消ししようとすれば、その一生懸命さが仇になることもある。あんなに焦ってるってことは事実なんじゃないの? なんて勘ぐる人達も出てくるからだ。
しかもそんな噂が広がっている状態じゃ、緑川君になんと申し開きをするべきか。
「もー、なんで皆そういうの噂するかなぁ……」
「まぁ恋愛話って格好の的だよな。しかもお前ってことでなおさら」
お前も大変だなぁ、と腕を組みながらうんうん頷く米屋君。他人事だと一線を引く態度を見せるなら、最初から放っておけばいいのに。そうはいってもトリガーの時といい今回といいわざわざ私に声をかけて、こうして教えてくれる程度にはクラスメイトとして私を心配してくれているんだろう。
「……なんか米屋君も、毎回ありがとね」
「お? オレともフラグ立てちゃう?」
「じゃー出水君にも謝ってくるついでにフラグ立ててこようかー」
「わりぃわりぃ、自暴自棄になんなって」
茶化したように笑う米屋君に乾いた笑顔は返すけど、実際問題この状況じゃ、緑川君に話しかけたら変な目で見られてしまいそうだ。どうしようかな、とぼやけば米屋君は私の悩みを察したのか、んー、と少しだけ空を見上げて考えてから私に一つ提案をした。
「オレとランク戦しようぜ」
「……え? いいけど、なんで?」
「オレも楽しいし、人が集まれば緑川も釣れるんじゃね?」
「……釣って、どうすんの」
「こんな噂流れてるぞって知ってるだけで、お互い気をつけられるじゃん?」
私が下手に緑川君を探したり伝言を残すようなことをすると確かに疑いが深まりそうだ。それならランク戦して偶然会いました、の方が無難だし自然かもしれない。どちらにせよこれ以上お互い火傷しない為には情報共有は必須だろう。
「それじゃあ是非、お願いします」
「ラッキーだな。今回は手抜くなよ」
満面の笑顔を返されて安心する反面、その約束を思い出した。いつかランク戦しようなと笑って言ってくれた米屋君も覚えていたのか。期待に応えられるだろうかと一度深呼吸。気付けばもうボーダー本部は目前だ。
荷物をおいて、ランク戦に行く旨を伝えてくるからと隊室に向かう米屋君を見送る。私に注目するような視線を感じるけど、ブース内なら気にならないだろう。そう思って足早にランク戦ロビーを目指す私の背中を誰かがとんと優しく叩いた。
誰かと振り返れば聞き慣れた――でもここで聞くとは思っていなかった声が鼓膜を揺らす。
「和音ちゃんとこっちで会うのは初めてだな」
「……あ、空閑君もランク戦にきたの?」
「そうだよ」
後少しでポイントが溜まるんだと笑う空閑君は当然のように私の隣を歩き始める。
目的地が同じだからと深く考えずに私もそれに足並みを揃えればざわりと空気が動く感覚。
周りの視線が戸惑ったように揺れ、ざわめく原因は私か、それとも空閑君か。いまだ突然の邂逅に鼓動が少しだけ早まっているうえどうにも居心地が悪い。一方の空閑君は慣れているのか平然として、気にせず私に声をかける。
「和音ちゃんはまた計測か?」
「ううん。米屋君とランク戦しようって」
ざわ、と再び私達を包む空気が変わった。
私達の会話を聞いている訓練生の注目が一斉に集まるのを感じる。あげく背後から聞こえてくる足音が増えたような感じがしてやっぱり落ち着かない。野次馬……は失礼だけどそんな感じで見に来る人も混ざってるんだろうなぁ。
それすらも空閑君は気にならないのか、様子が一切変わらないのはさすがだ。
「ふむ、いいなぁ」
「……空閑君はB級あがったらって話じゃなかった?」
「うん。だから今日は我慢する」
勿体ないけどな、と空閑君の屈託のない笑顔に少しだけ緊張がほぐれる。
視線が痛いけど多分これなら緑川君の耳にも届くだろうし、結果オーライかな。二言三言会話をした後に到着したランク戦ロビーでそういえば、と空閑君が口を開く。
「和音ちゃん、おれが終わるまで待っててよ」
「うん?」
「玉狛に連れてくるように言われてるから」
用件を簡潔に述べた空閑君はじゃあなと手を振りながらさっさとブースへ向かっていった。空閑君の姿にびくりと身体を震わせる訓練生もいるのは恐れられているからだろうか。実力は次元が違うし、ポイントの荒稼ぎしてるんだろうなぁとブースに入る姿を見送って一息つく。
「……言われてる、ってことは迅さんかな」
どうせながら直接言うなり連絡残しておいてくれればいいのに。なんでわざわざ空閑君を通して言うかな。何企んでるんだろう。
思うところはあれどとりあえずは私も当初の目的を果たさなければ。なるべく視線を避けながら私もブースへと足を踏み入れた。