『水沢、ベイルアウト』
落とされた背中をふかりとベッドが受け止める。迅さん以外の人と勝負するのはやっぱり慣れないなぁ。それも言い訳かと反省して自分で自分の頬を叩く。
米屋君、緑川君それぞれと勝負を終えてようやくブースの外へ。休憩しようという米屋君の提案に揃ってラウンジへと向かう。飲み物を選んで腰かければ、それにしてもと口火を切ったのは米屋君だ。
「こてんぱんだな、水沢」
「ほんと。迅さんの顔に泥を塗るのはやめてよね」
二人から勝者の笑みを向けられて、私はなす術なくうつむいた。まず緑川君は、この前の一戦で対策を練られてしまったらしい。米屋君は槍さばきが独特で、相手にするのが難しかったのだ。苦戦することは当然とはいえ反省点も多かった。
「二人とも凄いねぇ」
「当然でしょ」
「まぁ、でも訓練生の興味は散ったかもな」
そう視線を周りへ向ける米屋君。個人的にはありがたいけど、S級としてはまずかったかな。そうは言ってもこれが今の実力差なのだからどうしようもない。
そんな私の諦めを悟ったのか、緑川君はつまらなそうに手元のカップを弄ぶ。
「水沢って、もしかして対人戦だめなの?」
「まぁ、そうだねぇ」
「手を抜くって噂あったけど、案外デマじゃなかったんだ」
どうやらその真実が、単に手を下せないだけだと気づいたんだろう。呆れたような視線の緑川君に私は乾いた笑いだけを返す。
――ボーダーのトリガーは、人を殺さない。
ボーダーのトリオン弾は生身に対して殺傷能力を持たない。そもそもランク戦だって訓練だ。それもトリオン体での。最中に相手を傷つけても生身に影響はない。
――なら、これが、ブラックトリガーなら?
戦いに集中しているまっさらな思考の中に、突然ぽつりと落ちるしみ。弾道も調律も似ている。似ているからこそ一瞬でパニックになる。その隙を見逃すような二人じゃないから、負けてしまうのも仕方ない。
「大規模侵攻でよく人型と戦えたじゃん?」
「……あれは囮になって逃げただけだもん」
「それよりランク戦が怖いなんて変なの」
人型ネイバーの方を怖がりなよ、と言われても感覚的なものは難しい。ブラックトリガーを使うと決めてこんな弊害があるとは予想していなかった。どうしたものかと息を吐くと、誰かの靴音がすぐ傍で響く。
「まぁそこは、実力派エリートの出番じゃない?」
迅さん! と喜びの悲鳴をあげた緑川君がその姿に飛びかかる。ランク戦やろうよと騒ぎ立てる緑川君を宥める迅さんは何の用か。刹那ぱちりと視線が絡んで、満面の笑顔を浮かべる迅さんに悪寒が走る。
「和音、一本遊ぼうか」
その妙な雰囲気に、緑川君と米屋君が口を噤む。私は渋々と手元のジュースを飲みきって立ち上がった。
無機質な声がランク戦開始を告げた。
商店街。後ろに歩道橋、左右は等間隔で電柱が並んでいる。それ以外に目に留まる障害物は無い、質素なステージだ。
「……気を抜くなよ」
迅さんはそう言って両手にスコーピオンを出して柄を握る。私もトリオンキューブを浮かせ、目だけで礼をした。互
いに睨み合って、気配を探り――空気が、動く。
迅さんは速い。動きも、こちらへの対応も。
初手で真っ直ぐに私の懐へ踏み込んでくる迅さん。頬を掠める鋭い空気も慣れたもので、視線を必死で迅さんに縫いつける。意識が向けば身体も傾き、それがゴーグルの瞬きに現れるから。幸いにもステージの天候は晴れ。光源は充分。その煌きは灯台だ。
それを頼りに、刃が辿るだろう太刀筋に弾道を重ねる。迅さんはわかっているのか躊躇いなくスコーピオンを振り抜いた。耳を劈いて、間合いをあけようと身をひるがえす。
片刃の切っ先が私に届くまであとわずか。瞬間迅さんはその場を飛びのいた。私へと容赦なく降り注ぐのは、私が放ったトリオン弾。それはコンクリートを叩き壊して土埃を上げ、互いの姿を見えにくくする。
次の手を、とトリオン弾を調律する途中で風を切る音が聞こえた。殺気にしても軽いと違和感を覚えて、私は後ろへ下がりながら脇の電柱を撃ち抜く。
瓦礫に代わったそれが崩れる音に混じって、再びスコーピオンの折れる音。
土煙を避けて、歩道橋の階段の中腹に足をかけて構える。すると瓦礫の向こうからこちらへ笑顔を向ける迅さんと視線が絡んだ。ようやく音が止み、土埃は消え、静かになったステージで迅さんは溜息をつく。
「……なんでこれが、他に出来ないかな」
呆れた、と言わんばかりの声色に私も溜息をつく。ランク戦のステージではあるけれど、迅さんにとってはこれも修行の一環だ。気を抜くなと言った張本人は私に指導するべく手を抜いている。
「お前、おれに対しては遠慮ないよなぁ」
「散々私を切り捨てておいて、どの口が言うんです」
そうだ、最初から遠慮が無かったのはこの人だ。刃を向けることを躊躇った私に、ボーダートリガーの安全性を説いた迅さん。次からはひたすらに切り捨てて切り捨ててを繰り返されたのだ。段々と怖さは鈍り、痛くもなく、繰り返されるそれに募る焦燥と不快感。
「そうでもしないと、お前はおれを撃ち抜けないよ」
「……それは、そうですけど」
「和音は器用じゃないからなぁ」
そう、器用じゃない。私に殺意を向けない人に、私は刃を向けられない。ランク戦だって訓練だ。皆は私を殺そうとして戦うわけじゃない。だから私はどうしても、とどめの一手を躊躇ってしまう。だけど。
「迅さんは別です。特に今日みたいな迅さんは」
「……わかってるなら、ちゃんとしな」
喝を入れられて、一度呼吸を整える。鬼怒田さんに言いつけられた、射手としての戦い方は今は置いておこう。なんせ相手が迅さんなのだから。
「和音はさ、機動力を生かした方がいいんじゃない?」
迅さんはそう言ってディスプレイの映像を指差す。その先の彼女は身軽に飛び回り、攻撃を障害物で防いでいた。放たれる変化弾は、障害物を綺麗に避けて敵へと駆け抜ける。
「……私、こんな弾道設定無理です」
「まぁ、お前は“狙わない”方がいいよ。だけどさ」
彼女を示していた指がゆっくりと私に向く。
「和音は勘が良い。攻撃手でもいいとこいきそうだ」
「……そうですか?」
「うん。ただお前は攻撃が苦手だからなぁ。攻撃手じゃ最後頭打ちだろ」
だから、と迅さんはまるで名案だとでも言うように私に告げるのだ。
「“狙わない弾”を当てればいい」
何を言ってるのかと普通は思うだろう。だけど多分迅さんは視て知っていて、だからそう言ったんだ。
――それが、私のブラックトリガーの戦い方だって。
「……バイパー」
小さく、それでも聞こえるように迅さんに宣言する。私の周りに浮かぶそれは、いつでも私の意志で弾道を走れる。その状態で私は地を蹴って迅さんの間合いへと飛び込んだ。
迎え撃つスコーピオンを避け、シールドで受けつつパイバーを放つ。それは射程はほぼなく弾速もそこそこ、だから残りは威力へ調律済み。私を中心に放射状に駆けたり、時には弧を描いて戻ってきたり。ランダムにしてるつもりだけど迅さんはそれを当然のように避けていく。
刹那、迅さんの片腕が弾幕に“引っかかった”。吹っ飛んだそれに視界が眩んで、静かに響く確定、の低い声。
「いつも言ってるよな?」
状況を把握しても、もう遅い。片腕が握る刃先は間違いなく私の首筋に添えられている。
「今のお前は、ボーダーのトリガーだよ」
宣告と同時に私の首を切り裂いていく刃。耳元で無機質な声が戦闘体活動限界と警告を告げた。