手を繋ぐっていう特別なことを、簡単に許しちゃいけないとは思う。だけど私には下心があって何も言えないまま。
結局玉狛に連れてこられた私は夕飯をご馳走になった。もうこれで今日は終わりだ。そそくさと帰り支度を始める。何で迅さんに呼ばれたのかなんて気にしている余裕は、ない。
「和音ちゃん少し待っててよ」
だから、空閑君の声にびしりと体が固まった。
「ボスにちょっと確認したら暇になるから」
そうして返事も聞かず食堂を後にした空閑君。私が暇に付き合うかどうか、疑ってすらいないらしい。嬉しいような、疲れるような、複雑な感情のままソファーに沈む。惚れた弱みかとうな垂れていると、くすくすと迅さんの笑い声が響いた。
「……迅さん、ここまではどうです?」
「おおよそ、想定内かな」
わかっていたことだけど。それにしても今日は迅さんに振り回された。もう文句を言う気力もないから最後の抵抗でおおげさに溜息をつく。
笑顔でそれをかわした迅さんに、ところでさと話題を変えられた。
「鬼怒田さん、何か言ってる?」
「何か……って?」
「戦うのに向かないって以外にないか?」
唐突に真剣な色を宿した真っ直ぐな蒼。私も気持ちを切り替えて、鬼怒田さんとの会話を思い返す。ふと浮かんだのは最近で印象深かった一言だった。
「これは、欠陥品じゃないかって」
「へぇ?」
このトリガー本来の目的は、トリオン器官の代替品だろうと考えられること。それならこれは欠陥品だと言った鬼怒田さんの言葉を借りて伝える。話終わると迅さんはそれをどう受け止めたのか、深くため息をついた。
「……そう遠くない内に、また侵攻がありそうなんだけど」
告げた言葉の重さとは反対に平然とした様子の迅さん。もう一度、静かに息をついてから視線を逸らされる。
「お前が出ると、ろくな事がない」
「……それは」
「わざわざ先に言う意味、和音ならわかるだろ?」
少しだけ鋭い目つきを私に向けた迅さんに、固唾を飲む。今日言っていた“次”って、思ったより近い未来の話なんだろうか。迅さんがこうして言葉を砕くことは珍しい。その必要性があるって、つまり。
「……気をつけます」
真剣な忠告は、警告に近い圧力があった。これが本題だったのかと頷けば、ちょうど良く足音が近づいてくる。ガチャリとノックも遠慮もなく扉を開いたのは、やっぱり空閑君だ。
「お、迅さんも一緒か」
「早いな、もう終わったのか?」
「うん。サインするだけだったから」
そう言ってあっという間に私の目の前へ戻ってきた空閑君。行こうと笑顔と一緒に差し伸べられた手を無意識に掴みかける。瞬間、今日の帰り道がフラッシュバックした。
「あったかい飲み物作るから、待ってて」
「……おぉ。わかった」
頷いた空閑君の手が、ゆっくりと引っ込められる。おれ、ココアがいいと強請る声に頷けば、くるりと踝を返した空閑君。そのまま足早に団欒室から出て行った背中を呆然と見送る。
「……自由だなぁ」
「仲良いのはいいけど、あんまり遅くなるなよ」
自室に戻る迅さんも見送って、私もいよいよ腰をあげた。待たせるわけにもいかないから早くココアを準備しなければ。そう思うと、笑う空閑君と差し出された手を思い出して体が火照る。
ダメだ、やっぱり疲れてる。いつもならもう少し平気なのに。台所を拝借して、手早く牛乳を火にかけても思考は止まらない。さっきの私、当たり前のように手を繋ごうとしてた。
ため息を吐くと、くつくつと音を立て始めた牛乳に気づく。火加減間違えたかな。慌てて火から下ろしてマグカップに注ぐ。だけど揺らめく水面は白いまま。あぁもう手際が悪い。入れ忘れていたココア粉を改めて落としてかき混ぜる。
――まるで手を繋ぐことが当たり前みたいじゃないか。
渦を巻く牛乳とココアみたいに、ぐるぐるまわる心。ようやく混ざったそれをひと舐めして確認する。
「……うん、甘い」
だけど、少しだけ苦いそれを手に持つ。温かいうちに早く、空閑君のところへ行こう。
やってきた屋上の扉を覗くと、空閑君の姿がなかった。どうしよう。待ってるにも屋上は寒そうだな。出るのを躊躇っていると、階下から足音が響くからまさかとそれを待つ。
「早かったな」
「空閑君、どうしたの?」
「ちょっと寄り道してた」
そう言って私の隣に立った空閑君。脇には何故かブランケット。不思議に思ったのも束の間、空閑君は促すように扉を開けてくれた。支えられた扉にありがたく屋上へと出れば、空気が冷たくて肺がきゅうと縮む。
空閑君はいつものように腰掛ける――直前、ブランケットを敷いた。珍しいと眺めていると空閑君に手招きされて、その手にココアを差し出す。だけど空閑君は眉根をよせると、受け取ったマグカップを脇に置いてしまった。催促かと思ったら違ったらしい。だけど無言で私を見つめる意図がわからなくて戸惑う。
「……な、何?」
恐る恐る尋ねてみれば続く沈黙。空閑君は不可解そうに唇を突き出して唸った。
「なんで座らないんだ?」
唐突な、そして今更な疑問。なんで今かと思いながらも、一応は座らない理由を答える。
「私、生身なんだよ?」
「うん」
「……落ちたら、危ないじゃん」
高いとこダメなのかと聞かれて、そうじゃないと首を振る。空閑君はトリオン体だからかな。この恐怖は縁遠いものかも。
しばらく私を眺めていた空閑君は、突如何かに合点がいったように目を瞬かせる。
「こうしたら平気か?」
自然に差し出される手。その意図を理解して心臓が跳ねる。だけど、躊躇う私に空閑君は違ったかと首を傾げるだけだ。それは手を繋ぐ違和感に対するものじゃない。手を繋いでいれば怖くないんじゃないのかという疑問だ。
そうだ。大規模侵攻の後、二人で過ごしたここでの夜。手を差し出したあと空閑君に促されて、隣に座ったことを思い出す。あの時は怖いなんて考えている余裕がなくて、それがこんな形で返ってくるなんて。
少し考えて――できれば怯えからくる躊躇いだと思って欲しい――その手を取る。
自分のマグカップを脇に置いて、片足ずつ慎重に縁を跨いで体制を整えた。浮遊感は落ち着かないけど、なんとかなりそう。だって繋いだ手の先に空閑君がいる。思わず安堵の息を漏らせば隣からくつくつと笑い声。
「高いとこ本当にダメじゃないのか?」
「ダメではないけど、怖いと思うのはいいじゃない?」
そう、怖い。自覚すると手に力が篭ってしまって、慌てて指先を緩める。すると今度は逆に、空閑君が少しだけ私の手を強く握ってくれた。そうして支えられて差し出されたのは、もう一枚のブランケット。
「これも、和音ちゃんの分」
「……え?」
「今日寒いんだろ? だから」
その優しい笑顔に、視界がくらむ。違う、これは身体がふらつくせいだ。だって受け取るのは片手で出来ても、膝にかけるのは難しいんだから。そう自分に言い聞かせるけど、揺れる私を支える手に、また、くらり。危なっかしいな、怖いはずだとからかう空閑君の声が遠くに聞こえる。
――夢みたいな現実に眩暈がしてる。
燻っていたものがぶわりと火がついたように燃え上がったのがわかる。
あぁ駄目だ。私、この優しさを独り占めしたい。