近くて遠くて、案外近く
 空になった菓子篭とマグカップを持って、食堂に足を踏み入れる。人影に目をやれば、後片付けをしていたらしい栞が洗い場に立っていた。いつの間にか玉狛パーカーに着替えている栞も、私に気付いたらしい。濡れた手で手招きされて、私も大人しく台所へと歩を進める。

「和音、どっか行くの?」
「時間つぶしに迷ってたとこ」

 とりあえずは片付けようと流しの脇にマグカップを置いた。近くにあった布巾を濡らして絞り、菓子篭を拭いて食器棚へ。
 すると栞は、私のマグカップをさらっていったと思ったら軽く中をすすいでくれる。またコーヒーでもいい?と聞かれたのでもらうべきか悩んでいると、ちょっとお茶に付き合ってよと言葉を重ねられたので静かに頷く。

「修くん、休憩してた?」
「うん。でもなんか閃いたみたいでまた集中し始めちゃった」
「そっかそっか。煮詰まってないならまぁいいかな」

 ポットにお湯が残っていたようで、栞は手際よくインスタントコーヒーを溶いてくれた。ミルクと砂糖は自分でやってとマグカップが差し出されたのを受け取る。そうして自分用のコーヒーを作る栞の隣で、私も自分用に味を調えていく。
 出来たコーヒーを持って互いにソファーに腰を下ろして、今日もお疲れさま、何て栞の明るい声と共にマグカップで乾杯をした。

「なんだかランク戦の忙しさが久しぶりで、懐かしいよ」
「あぁ、風間隊を抜けて以来なのかな」
「うん」

 ランク戦ってどんな感じかと聞けば、途端に栞は目を輝かせる。最初に相手部隊の情報を集めて、直近のランク戦データをおさらい。近距離中心だとか相手の構成に合わせてさらに基本戦術のおさらい。その上で、相手部隊独特の戦術への対応策を考えて、部隊で連携の練習。

「そうやって互いの戦術を破っていく感じが燃えるんだよ!」
「はは。兼任大変そうだと思ってたけど、なんだかんだ栞も楽しんでるんだね」
「当然!」

 だからあんまりアドバイスし過ぎないようにって、レイジさんに釘刺されてねぇ。そう残念そうに呟く栞は、それでも楽しそうでつられて笑う。内心で安堵していると、ねぇねぇところで、と待ちきれない様子で栞が別の話題を切り出した。

「その後、例の人とどうなの?」
「……もしかしてそのために引きとめた?」
「それだけじゃないよー、もちろんお礼も兼ねて」

 にんまりとした笑顔は女子特有の、なにかを期待したような顔。期待に応えられるかどうかは別として、なんとなく居心地が悪くなる。そうはいっても、相手が栞である以上あまり邪険にもできなくて一つ溜息をついた。

「何が聞きたいの?」
「うーん、やっぱり何で好きになったのかとか、最近どうとか」
「何で、ねぇ……」

 問われて、改めて記憶を振り返る。明確なきっかけがあったわけではないような。
 大規模侵攻の後に自覚したような気がするし、その前から気にしていた気もする。どこかでスイッチが切り替わったように好きになったというよりは、じわじわと、悪い人じゃないから良い人かもになって、好きになった、ような。
 ただ、今でもやっぱり、好きだなぁと思える点は一つ自然に浮かんできていて。

「本当が伝わるのって、やっぱり嬉しいなぁって思うよ」

 自分でも驚くほど甘ったるい声が出てきて、誤魔化すようにコーヒーを一口。それでもやっぱり、私の声色の違いは栞にも伝わってしまったらしい。茶化す様子はなく穏やかに、そっかと呟いて同じ様にコーヒーを飲んだ栞。心遣いは嬉しいけど恥ずかしさでさらに居心地は悪くて、最近は、の話を考える。

 ――最初に浮かんだのは、優しい顔をした空閑君。

「……きっと、私には届かないんだろうね」
「え?」
「やりたいことがあって、見てるものが違うから」

 千佳ちゃんの為に、三雲君の為に、部隊を組んで遠征を目指す。今の空閑君の根幹の一つは間違いなくそれだ。あの夜の私は多分それに嫉妬に近い感情を持っていた。けど、それだけじゃないと今なら思う。空閑君を構成するその一部になっている二人には、届かないんだという、寂しさ。

「どこかで近く感じてたんだけど、やっぱり遠いなぁって再確認しちゃった」

 自分の中に押し込めていた感情が、ほろほろと崩れ落ちていく。駄目だ。これ以上自覚したら、私はきっと空閑君に嘘をつく。そう思って、無理矢理頭を振って思考をとめた。栞に、ごめんねとだけ言って笑う。
 栞はそんな私を見てから少し考える様子を見せて、口を開いた。

「……最近ね、小南が修行に一段と気合いれてるの」
「ランク戦が始まるし、空閑君に喝いれてるの?」
「それもあるけど、もっと強くならなきゃいけないって」

 何だろう、この前の大規模侵攻で小南も思うところがあったのかな。コーヒーを飲みながら黙って続きを待っていると、栞は困ったように笑って続ける。

「万が一の時に、ブラックトリガーをぶちのめすのはあたし! だってさ」
「……え?」
「アタシも、多分小南も、ちょっとだけ遠いなって思ってたよ」

 その、遠いは何に対して感じていた距離だろうなんて今更だろうか。全く予想もしていなかった言葉に面食らっていると栞はくすくすと笑って、だけどさ、と手元のマグカップを弄びながら言葉を重ねる。

「もう和音は、聞いたら教えてくれるでしょ? 今みたいに」
「う、ん」
「だったらきっとその人とも、近づける時がくるんじゃないかな」

 大丈夫、と言って話終えたらしい栞はそっとマグカップに口をつける。まるでさっきの私みたいで、話を聞いた私まで照れくさくなってしまう。
 遠いと、感じていたのは私も同じだ。二人は部隊の仲間で、玉狛のメンバーで、私だけが違う。だからどこか二人に入り込めないような、そんな気持ちがずっとあった。
 まさか同じようなことを、栞も小南も感じているなんて考えたこともなくて。

「私よく玉狛にお邪魔してるけど、その」
「もう、前から思ってたけどね、お邪魔してるってのなしだよ!」
「え?」
「お客様扱いしてるつもりなんてないよ。和音だって仲間なんだからさ」

 ――ずっと中途半端だった私でも、仲間だったのか。
 そしてきっとこれからも、仲間でいてくれるんだ。

「風間さんと同じことを栞に言われるのも、仲間なんだねぇ……」
「え、風間さん? なになに?」

 胸がじんわりと温かくなって、思わず漏れた呟き。その名前に耳聡く反応されてこの前の話をすれば、栞は誇らしげに笑う。さすが風間さんと言えるのもやっぱり、仲間だからなんだろう。

「ありがとね、栞」
「どういたしまして」

 仲間だと言ってくれるなら。こうして勇気を貰えるのなら。私はいったい、皆に何が返せるんだろう。

 そこからどんどんと話題に花が咲き、時間はあっという間に過ぎていく。防衛任務の時間まで大分針が進んだ辺りで突如、レイジさんが部屋へと現れた。

「水沢、ここにいたのか」
「え、はい」
「千佳がまだ修達といてな、防衛任務のついでに家に送ろうと思ってる」
「もう夜遅いですもんね」
「あぁ。だからその分早く出ようと思うが大丈夫か?」

 大丈夫です、と返せばレイジさんは車で待ってろ、と私に指示を出す。了解すれば地下に二人を迎えに行くために部屋を後にしたので、私も片づけをするべく立ち上がった。

「和音。片付けは私がやっとくよ」
「え、いやそれくらいは」
「いいから。和音、防衛任務だし。それくらい任せてよ」

 後方支援はオペレーターの仕事、なんてウインク付きで笑われちゃ断れない。それじゃあよろしくお願いします、と空のマグカップを渡して立ち上がる。
 今日の防衛任務も頑張れそうだと私は意気揚々と足を踏み出した。

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サヨナラの引力

 

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