自白した感情に決別を
 扉が軋む音に惹かれて目をやった先。紅と視線が絡んで動けなくなる。

「おう、遊真」

 迅さんの声で我にかえった。正確には、それと同時に握られた手によって。これは空閑君の瞳に映っているのだろうか、気づくと同時に血の下りる感覚。動けないでいると、声をかけられた空閑君はゆったりと迅さんへと視線を移す。

「迅さんと和音ちゃんは付き合ってるのか?」
「いいや?」

 平坦な空閑君の声に、当然のように否定してみせる迅さん。空閑君の視線の先は迅さんから外れず、私が割り込む余地がない。どうしようもなく成り行きを見守っていると、空閑君は鋭い視線のまま言葉を続ける。

「じゃあ、何で手つないでるの?」

 指摘されて、体が跳ねるのを抑えきれなかった。空閑君に咎める権利はない。私は悪い事はして、いない。そのはずなのに、まるで空閑君を裏切ってしまったかのような妙な後ろめたさ。

「遊真が言えることじゃないだろ」

 迅さんはひどく優しい声色でそう言って、動けなかった私の手を解放してくれた。口調はどこか空閑君を責めているみたいだけど、視線は私に向いている。私の手にあったマグカップをさらって、片付けておくな、とそう笑う迅さん。

「それじゃ、おれはもう寝るよ。おやすみ」

 迅さんはそう言って呆気なく、私をおいて屋上を去っていく。後を追って帰った方がいいだろうか。でも、そうしたら。言葉にできない。けれど、それは駄目だと足が動かないまま。
 迷っているうちに、空閑君は自然な動きで屋上へと出てきた。いつもの特等席へと腰掛けて、ほうと息をつく空閑君。私に一瞥もくれずに街並みを眺める横顔に、声がかけられない。どんな言葉も場違いな気がして、喉が張り付いたように動かない。

「……なぁ、和音ちゃんに聞いていいか」

 唐突に沈黙を破った空閑君に、肩が跳ねる。まさか声をかけられるとは思っていなかったのだ。
 だって、空閑君は屋上に来てから私をちっとも見ていない。

「和音ちゃんは、迅さんが好きなのか」

 ぞくりと背筋が粟立った。空閑君の単調な声はどこか冷たさを孕んでいる。
 ――どうして好きな人に、違う人が好きなのかと尋ねられているんだ。
 そう思うと、迅さんの言葉が頭の中に蘇ってくらりとする。
 これが、そうなの。私が気持ちを曖昧に濁した、その結果なの。

「……先輩としては、好きだよ。それ以上ではない」

 そう返すのが、やっとだった。そうとしか言えなかった。ゆったりと空閑君が振り返って視線が絡む。柔らかく輝く紅色。このままだと私の気持ちの奥まで見透かされそうで、反射で目を逸らす。
 あぁ、誤魔化すならもっと上手に答えなければいけなかったのに。それ以上、だなんてどこか恋愛感情を匂わせるようなこと、どうして言ったの。そうでなければ、どうしてそんなこと聞くのって、聞き返せたのに。
 考えすぎならよかったのに。だけど空気が違うのが肌でわかる。このままじゃ、駄目。そう思うのに何一つ言葉が浮かばない。

「じゃあ、誰だ?」
「え」
「誤解されたくないやつ、いるんだろ?」

 どうして、と再び聞きそうになるのを堪える。遠まわしな聞き方だけど、間違いなく好きなのは誰かという問いだ。空閑君はそういう存在がいることを、確信しているようにも聞こえる。
 どうして見透かされているのか。いないと言えば嘘になるから、出来ない。だけどこの場でいると答えてしまえば、その先は。

「……言えないって、言ったらどうする?」

 だから、言えない。これが私の精一杯の答えだ。
 空閑君に嘘をつきたくない。けど、誤魔化したら誤解される。いやだよ。空閑君に、他の人が好きだなんて誤解されたくない。だけどその為に私が出来ることって、本当を伝えることしかないの?

「教えてよ」

 ずきりと、今にも張り裂けそうなくらいに痛む胸。抑えようと、抑えたいと思うのにそれが苦しくて、溢れそうになる感情。あぁだめだ。いやだよって言えない。嘘になってしまう。
 苦しくて、辛くて、だから、全部、全部聞いて欲しい。

「……聞いて、くれる?」

 小さく漏れた本音に、空閑君はこくりと頷いて、しまった。
 瞬間、私は賽が投げられたことを知る。
 駄目だって思うのに。明日は大事なランク戦が控えているのに。そう思うだけじゃ収まりそうにないくらい、今にも気持ちが弾けそうだ。本当に、いいの? 私は今伝えてしまっていいの?
 だけど、私は聞いてくれるかと聞いた。空閑君はそれを了承した。それを今更突っぱねる理由を、そうできる本当を、私は持っていない。

「……私が、誤解して欲しくない人、は」

 時間が止まったり、動いたり、歪に淀んで流れている。吐き出したくて、でもまだどこかでそれを踏みとどまろうとして。
 最後の最後で私は、喉までせり上がった感情を吐露した。

「――空閑君、だよ」

 言って、しまった。途端にすうと胸の痛みが引いていく。じわりと涙が溢れて、下を向いたら零れてしまいそうだから顔を上げる。
 そこには、呆然と佇む空閑君の姿だけがあった。眼差しは私を見ているようで、どこか焦点があっていない。照れもなく、焦りもなく、どこか無感動に私を見つめる空閑君。

「……本当か?」
「う、そに、聞こえた?」

 空閑君がわざわざ真偽を尋ねることに驚いて、言葉が不恰好に震える。そんな情けない私の声にも、空閑君は大した反応を見せない。少しして、小さく首を横に振っただけだ。本当だってわかったんだろう。
 わかったうえで、空閑君はぼうっと私を見るだけ。感情が見えないそれは、どう受け取ればいいのかわからない。だけど一向に何も返事がないということは、それは。

「……困らせ、ちゃったね」

 好きだとか、嫌いだとか、興味がないだとか。何かしらがあると思っていた。
 いざ目の前にした空閑君は何ひとつ私に返すものがなかった。それはつまり、空閑君は私に答えるべき言葉を持っていないということ。

「ごめんなさい。言わなければ、よかったね」
「……聞いて、ほしいんじゃなかったの」
「だって」

 言いそうになった言葉を飲み込む。そうしてまた、ずきり。苦しい、辛い、痛い。伝えたいことを我慢することが、痛い。責めるようで嫌だと思う反面、この痛みに負けた私は情けなくも再び本音を漏らす。

「……空閑君に、迅さんが好きだって、誤解されたままは嫌だったの」

 引き攣るような胸の痛みがまた、あっという間に消えていく。反対に、胸が鉛のように重くなって今にも沈んでしまいそう。自分の都合ばかりで感情を吐き出してしまった。
 私は、そんなことを望んでたんじゃないはずなのに。

「……和音ちゃんは」

 どくりと、心臓が痛いくらいに疼く。怖い。怖くてたまらない。
 まるで叱られる前のように全身が強張って動けなくなる。

「誤解がとけたら、それでいいの?」

 返された問いに、抉られた胸が引き攣って痛む。
 いいよって言えたら、いいのに。でも違うって、痛みが訴えてる。空閑君が私の本当の気持ちをわかってくれたら、それでいいはずなのに。そう思うほど胸が苦しくなって、私はまた空閑君に甘えてしまう。

「……教えて、欲しいの」

 ぎゅうと、痛む胸が急かすのをどうにか抑える。感情に振り回されないように、せめて必死で言葉を選びながら。

「このままでいいのか、距離をおいた方がいいのか、……もっと、傍にいってもいいのか」

 泣いたら駄目だ。まだ、だめ。耐えて。必死で自分に言い聞かせる。
 瞬きをしたら今にも雫が零れ落ちそうだから、必死で目を開いた。
 まだお願いは終わっていない。だから、涙を使って請うようなことはしたくない。

「空閑君の気持ちを、大切にしたいから、……選んで、欲しい」

 ぽろりと、頬を転がり落ちた雫。あぁ耐え切れなかった。
 だけど、駄目。空閑君の気持ちを無視して願うことは駄目。だから。
 嗚咽が零れそうになるのを必死で耐えながら、私はどうにか言葉を押し出す。

「も、ちろん、選びたくないなら、それでも、いいの」

 耐えろ。耐えろ。その言葉だけで頭の中がめちゃくちゃだ。もう空閑君の姿すら滲んでぼやけて、どんな顔をしているのかがわからない。
 まだ、あんな無感動な顔をしているんだろうか。だとしたら私は、なんて滑稽なんだろう。軽蔑されてしまったとしても文句は言えない。だって、こんな大事な時なのに。
 だから、だからせめてこれだけは。

「……明日のランク戦、頑張って、ね」

 やっとの思いで搾り出した、応援。
 言えたと思った次の瞬間には、私はもう地を蹴って走り出していた。返事も何も聞くことも出来ずがむしゃらに足を動かす。
 そうして、私の告白は、その場から逃げ出すという最悪な幕引きとなったのだ。

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サヨナラの引力

 

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