ぴぴ、とどこからか音が聞こえた気がする。
ちょうど一試合終えてブースに戻ってきたところだったおれは、視線を右手の甲へ。なるほど、さっきのはポイントが4000を越えた合図だったらしい。
それならもう用がないからとブースを出る。そろそろ帰らないと。そう思ってロビーを見回しても知った顔がないから、ラウンジへ向かった。和音ちゃんの姿を探し出せば、よーすけ先輩とミドリカワも側にいる。
「何か盛り上がってるな」
「……あ、空閑君」
声をかければ、最初におれに気付いたのは和音ちゃんだった。お待たせ、とそれに返せばその声に反応した二人もおれに気付いたらしい。
「おう、おチビもランク戦すっか?」
「もう腹へった。玉狛に行くから和音ちゃんも連れてくな」
そう言えばよーすけ先輩は残念とすぐに引いてくれる。ミドリカワだけは食い下がったけど、迅さんに頼まれてると言えば渋々ながら引いた。和音ちゃんはそれらを確認すると荷物を持って立ち上がる。
「それじゃあまたな、ミドリカワ、よーすけ先輩」
挨拶を交わして和音ちゃんの手を引けば一瞬ぴくりと引き攣った腕。何だろうとは思ったけど、歩き出せば和音ちゃんは何も言わずについてきた。
そうか、さっきは人目が多かったから良くなかったのかもしれない。
とはいっても今更な話だし、とりあえず和音ちゃんの様子はどうかと声をかけてみる。
「和音ちゃん、よーすけ先輩達に勝った?」
へ、と和音ちゃんの驚いたような声はすぐに白い霧に変わった。何度目かの白い息を吐いた後、和音ちゃんは一勝一敗だと笑う。
――やっぱり、何も言わないんだな。
握る手に少し力をこめれば、ゆるく握り返される手の平。多分おれも和音ちゃんも振りほどくのは簡単だけど、手を繋いだままだ。今だって別に怒ったっていいのに和音ちゃんはそうしない。だからおれも何も聞かないままでいる。
聞いてしまったら駄目だと、わかっているから。
玉狛に着いたのは丁度夕飯の時間を少し過ぎた頃だった。レイジさんお手製のちゃーはんを食べて、ボスに報告に行こうと腰を上げる。
同時にふと、視界の隅で荷物へと手を伸ばす和音ちゃんに気づいた瞬間。帰ってしまうのかと思ったおれは、無意識にそれを呼び止めていた。
「和音ちゃん少し待っててよ」
「へ?」
「ボスにちょっと確認したら暇になるから」
きょとりと丸まった目がまっすぐにおれを見る。すぐに否定の言葉が出てこなかった時は大抵大丈夫な時だ。そう思ったからおれは返事を聞かずに食堂を後にする。
和音ちゃんはどうにも押しに弱いところがあるなぁ、なんて今更か。とっとと用事を済ませてしまおうと支部長室へと足を急がせる。
「ボス、おれポイント貯めたよ」
「おぉそうか。おつかれさん」
タバコの煙をくゆらせながら軽快に笑う支部長。オサムの退院日も迫っているし、おれも無事に昇級した。後は書類の申請さえ済ませればランク戦へと参加することが出来るらしい。
「ということで、この書類にサインしろー」
「ふむ?」
「部隊申請の書類だ。修と千佳の分は今日病院で貰ってきた」
差し出されたペンと書類を受け取って残された空欄に名前を書く。その傍らで書類の内容を確認していると、記載されている隊員一覧が目についた。隊長オサム、隊員チカ、おれの分の空欄のその下にもう一人。
「オペレーター?」
「そうだ、宇佐美に頼んでおいたぞ」
部隊を組むのにはオペレーターも必要なのか。それは初耳だ。ボスはおれ達の穴に気づいて、栞ちゃんに頼んでおいてくれたのか。そう考えながらも書きあがった書類をボスへと返す。
ボスは穏やかに笑って、これで玉狛第二の結成だな、と嬉しそうに呟いた。
「後はこっちで処理しておく。もういいぞ」
書類を躍らせるボスにお疲れさまですと言って部屋を出る。さて、後はオサムの退院を待つだけとなると今晩はやっぱり暇だ。和音ちゃんを引きとめておいてよかった。というのはおれの都合だけど。そう考えながら足早に食堂に戻れば、和音ちゃんと一緒に迅さんもいた。
「早いな、もう終わったのか」
「うん、サインするだけだったから」
待っている間和音ちゃんに付き合っていたらしい。食後のお茶を手に持ちながらそこに居た迅さんに答えながら、その脇をすり抜ける。くたびれたようにソファに深く腰掛ける和音ちゃんに行こうと声をかけ、
――無意識に手を差し出していた。
いつもは意識させないように何も言わずに手をとっていたのに、だ。そうすれば、和音ちゃんは何も言わなかったから。
「あったかい飲み物作るから、待ってて」
「……おぉ。わかった」
躊躇われたその指先に、ひやりと嫌な緊張が背筋を走った。拒絶ではないと思う。だけどそれに近い何かは気のせいだろうか。そして、少なくともそれに動揺してしまうくらいには、当たり前になりつつあったことに気づく。
「おれ、ココアがいい」
「ココアね。わかった」
和音ちゃんが笑顔で頷いたのを確認してそのまま食堂から出た。
今のは、なんだったんだろうか。ざわつく感じがまだ治まらない。
知ってたはずだ。和音ちゃんはおれが手を取ることには何も言わない。だから断りもせずそれを続けていただけであって、聞いちゃいけないこと、だったのに。
階段の手前でそう考えながら呼吸を整えていると、遠くで扉の開く音。大股の足音に振り向けば予想通り、部屋に戻るらしい迅さんがやってきた。
「どうした、行かないのか?」
「……行くよ」
「なら、寒いからブランケット持って行った方がいい」
迅さんはそう言っておれの傍を擦り抜けて先導した。部屋の前までついて行けばちょっと待ってろ、と言われ大人しく外で待つ。
「えーと、この前使った後こっちにしまったはず……」
独り言と、がさごそと箱を動かすような音。少ししてから差し出されたのは、前にも見た小さな毛布だった。
「和音に風邪引かせるなよ」
「うん。ありがとう迅さん」
二枚の小さな毛布を手渡されて礼を返せば笑顔で応える迅さん。おれがそういう感覚にうといから、気をつけないとな。毛布を抱えて早速屋上へ向かおうとしたら、何故か迅さんに呼び止められる。
「遊真。一応、聞いておきたいんだけどさ」
「何?」
「和音のこと、好きか?」
ゆるりと細められた探るような視線。
真っ直ぐに見据えて一言返す。
「嫌いじゃないよ」
あ、そ。とそれに納得したらしい迅さんは、そろそろ行かないと和音が来るぞ、とおれに教えてくれる。おれはそれに答えることなく静かに迅さんの部屋を後にした。