だんだんと辺りが白んで、朝が近づいてきた。任務終了時間だとレイジさんに声をかけられて、巡回の足を止める。どうやら遠くから跳ねてくる引き継ぎ先の部隊が来るのを待つらしい。
しかしそいつらが到着する前に、レイジさんから先に帰るよう提案される。
「少し業務があるからな、引き継ぎもやっておく」
「ほう、よろしくお願いします」
「学校に遅れるなよ」
その姿は親父みたいで、頭をがしりと撫でられたから了解と返事をする。学校の始まる時間を考えても本部に寄る時間くらいはありそうだ。任務中にはもう決めていたから、おれは迷わずに本部へと足を向けた。
「あ、和音ちゃん見つけた」
本部の正面玄関が見えてきた辺りで、出てきた和音ちゃんと目があう。駆け寄れば、きょとりとした顔でどうしてと不思議そうに尋ねる和音ちゃん。
「迅さんに、本部にいるって聞いたから」
あながち間違いではない。けど、少しだけ言い訳が混じったそれ。迅さんがわざわざおれに通信を使ってまで声をかけた理由はなんだったのか。会わせたかったのか、そうでなかったのかまではもうわからない。それでも探しに来る理由を持っていたおれは、会いに行こうと決めたのだ。
「……そっか、ごめんね」
けど、思っていたより悪い反応に、返事をすることを躊躇った。
和音ちゃんの“ごめんね”を聞くのは何回目だろう。
耳馴染みのない和音ちゃんのごめんねは、あまり好きじゃない。ただおれがここに来ただけで、どうして謝られるんだろうか。聞こうかと悩んで、だけど頭を過ぎった迅さんの姿に言葉をのみこむ。
「……行こうよ」
聞く代わりに手を差し出して待つ。今の和音ちゃんを無理矢理連れて行っていいのか、少し迷ったから。
決断を委ねれば、和音ちゃんは少し躊躇いながらもその手を重ねてくる。
だからおれは緩くそれを握り返してから、朝日が照らす街並みの中歩き出した。
和音ちゃんのトリガーの仕組みは難しい言葉ではよくわからない。ただ、トリオンを溜めすぎるとその負担を減らす機能が発動するらしい。
『自分のトリオンを他人に譲る能力とは珍しい』
「だな。奪うならまだしも」
和音ちゃんが帰った後の屋上でレプリカと話し合う。おれがあの国に関して覚えてることはあまりなくて、記録を遡るレプリカの話を黙って聞く。
『ユーマがトリオン体だからというのも違うだろう。捕獲された場合、敵にトリオンを与えることになる。』
なら、他には何が理由として考えられるだろうか。例えば、ブラックトリガーに共鳴しているだとか。多分それも違うし、今の段階じゃ答えの出せるものじゃない。
「これからも機会があったら確かめてみるか」
『うむ』
――最初は、そんな理由と好奇心から始まった。
毎回手を繋ぐだけでトリオンを供給するのか、状況によって違うのか。悪い言い方をすれば、興味本位の実験みたいなものだった。
そしてその機会は、大規模侵攻前に訪れた。
会議の後に丸いおっちゃんに呼ばれて姿を消した和音ちゃん。迅さんからトリガーのメンテナンスと聞いて、丁度良いと思ったんだ。だからおれは適当にオサム達を言いくるめて 和音ちゃんを待った。
『確かめるのか』
「……そうだな」
レプリカはおれに聞きながらも、どこか躊躇いを感じていたようだった。その時は何も気にしなかったけど、レプリカは知っていたのかもしれない。おれがそうやって興味を持った先にあるものを。
突然手を繋ごうと提案しても、普通はいい顔をしないだろう。そう思ったから現れた和音ちゃんの手を何も言わず取る。振り払われる場合も考えていたのに、実際は咎められることすらなかった。一応立ち止まって機会をつくっても、きょとりするだけの和音ちゃん。
「和音ちゃんも、自分をソマツにしてるのかと思ったから」
そう言ってみても気づかない和音ちゃんに、やっぱり変だと思った。
オサムは人からの悪意に鈍い。
それは多分オサムにとって、悪意の有無があまり意味を持たないからだろう。どういう感情が自分に向けられようと、自分のすべきことは変わらない。たぶん、あの悪意の矛先がチカやおれだったらまた違っていたはずだ。
和音ちゃんはそれとは違う。
人からの悪意には敏感なのに、わかっていて目を逸らしている様に見える。悪意を悪意と見なせば、見逃すわけにはいかなくなるからだろう。だから今も、見ないフリをしているんだと思った。そうして自分を守っているんだろうと。
だけど、途中で腕を引かれたから立ち止まる。きっとものすごく勇気が必要だったんだろう。聞くことは和音ちゃんからしたら、気づかないフリをやめることだから。
「どうして、手、繋いでるんだろ」
おれの答えに悪意があったら、和音ちゃんはどうしていたんだろうか。
だけどその時のおれは生憎そういう感情を持っていなかった。
「あーすは、発動しないか?」
その単語一つで和音ちゃんの警戒はあっけなく緩んだ。顔を綻ばせて、心配してくれてありがとうなんて言ってみせる和音ちゃん。おれを疑う素振りを見せない和音ちゃんの信用が、少しだけくすぐったい。
人前では手を繋がなくても大丈夫だと、和音ちゃんは諭すように笑う。気になってる子に誤解されたら困るでしょ、と続ける和音ちゃん。どれだけおれは恋愛事に疎いと思われてるんだ。笑ってしまうのをどうにか堪える。
どうせならその鈍さにのっかろうと悪戯心が湧いたんだ。
「おれ達って付き合ってるのか?」
頬をうっすらと染める和音ちゃんの答えを待つ。付き合ってないよね、とおずおずと確認を取られて。だから、誤解してないからいいんじゃないかとだけ告げたのだ。
多分とっくにおれは気を許していたんだと思う。あの日から、繋ぐ度に手に温かい感覚があるのが心地良い。その感情が行き着く先に気づいたのは、それからしばらく後だった。