二月八日土曜日。B級ランク戦。
玉狛第二の対戦カードは那須隊、鈴鳴第一。
「……見に行けば良かったかなぁ」
少しだけ見たい気持ちはあった。だけど昨日の今日だ。はたして私はまともに空閑君の勇姿を見ていられるだろうか。
しかも今日の解説は最悪なことに迅さんと太刀川さん。迅さんはともかく太刀川さんには意地でも捕まりたくない。
結局観戦は諦めて、試合が終わったであろう夕方に玉狛支部へとやってきた私。
空閑君はきっとランク戦の後は、そのまま個人ランク戦に勤しんでいるだろう。声をかけてある栞はきっとすぐに帰って来る。小南も同じく。だから。
「平常心、平常心……」
呪文のように繰り返して何度目かの深呼吸をする。気合をいれて、玄関へ手を伸ばした。瞬間。
「――いつまでそこにいるんだ?」
「は、へ?」
私の手は空を切って、意図せずガチャリと開かれた扉。その向こうにいたのは不思議そうな表情の空閑君だった。出鼻を挫かれた私は確かめるように、空閑君の頭からつま先までを見つめる。
「……空閑君?」
「うん。何でそこに立ってるの?」
「えーと、心の準備をしてて?」
「いつも来てるのに?」
心底不思議そうな空閑君にへらりと笑顔を返して間をおく。突然のことにばくばくと鳴る心臓が落ち着きそうにないからだ。目の前にいる空閑君は普段どおりで、らしいとは思うけど余計になんだか緊張してしまう。けど、黙っていても仕方ないので、とりあえずは当初の目的を果たすべく空閑君に声をかける。
「栞も戻ってきてる?」
「うん。さっきまでミーティングしてた」
そっか、と答えて途切れる会話。このままじゃあねというのはなんだかもったいない、ような。かといって予想していなかったから、何を話したらいいか頭は真っ白のままだ。唸っていると、意地悪く笑った空閑君が私の反応を伺う様に口を開く。
「こなみ先輩も待ってるよ。和音ちゃんは自分に用があるんだって自慢された」
「……へ?」
「その様子だと、おれが戻ってきてるのは予想外だった?」
図星をつかれて言葉に詰まる。空閑君の眼差しが鋭くなって、もう逃げ場はない。
数拍おいて、個人ランク戦してると思ってたと白状すればくつくつと笑う空閑君。
「今日はチカと栞ちゃんが早く帰るらしいんだ」
「う、うん」
「だから先にミーティングを済ませようって皆で帰ってきたんだよ」
個人ランク戦にはこれから行こうと思ってた、と言われて頷くしか出来ない私。そんな空閑君と、何の意図もなく鉢合わせた私のタイミングって良いんだか悪いんだか。
「それにしても残念だな」
「……何が?」
「おれに会いにきたのかと思ったのに」
唐突に落とされた、まるで口説き文句のようなそれにどぐりと心臓が跳ねた。
空閑君の細められた眼差しには少しからかいの色が混じっている。それなのに声色は優しいというか、甘い、まだ聞き慣れない音だった。返事に困っている私を見て、空閑君はやっぱりくつくつと喉を鳴らして笑う。
そんな空閑君を直視出来なくて、私は足元へと視線を落とした。いつもの私っていったいどんなことを空閑君と話していたんだろう。必死に思い出そうとしていると、視界にある空閑君の足が一歩前に出る。反射で一歩後ずさってしまえば引き止めるように手をとられて。
「和音ちゃん、本当は結構恥ずかしがりなんだな」
「……ふ、普通だよ」
「そうだな。いいと思うぞ、おれは」
何がいいのか、何が楽しいのか、にこにこと満面の笑顔の空閑君。駄目だこれ。完全に空閑君のペースだ。多分、からかわれてる。そうはいっても私には、この状況をどうすればいいかわからない。
何もできずに固まっていると、ふと空閑君が何かに気付いたように声をあげた。恐る恐る見れば視線が私の背後に向いていて、私もその先を追いかける。
「……仲良いのはいいけど、ここでは止めといたら?」
迅さんの呆れたような視線が私達に刺さった。これはまずいところを、と手を引けば、空閑君は離すどころか引かれるままに玄関から出てきてしまう。そのまま寄り添う様に隣に立たれて、なかなかに居心地が悪い。空閑君が平然としているから余計に。
「遊真は個人ランク戦してこないのか?」
「これから行くよ」
「なら急いだ方がいい。お前の遊び相手がいなくなりそうだ」
迅さんの言葉を聞いて、じゃあ急ぐかと呟いた空閑君は呆気なく手を離す。それじゃあなと私に笑顔を見せて、迅さんにはひらりと手をふって背を向けた。名残もなにもなくさっさと歩いていった空閑君はあっという間に見えなくなる。
途端にどっと緊張が緩んで肩を落としていると、迅さんはくすくすと笑って私の頭をぽんと叩いた。
「その様子だと、上手くいったみたいだな」
「……どんな様子に見えましたか」
「遊真が凄く楽しそうだ」
そう笑う迅さんの眼差しは優しくて、色々とお世話になりましたと頭を下げる。気が早いんじゃない? なんて言われて顔を上げれば、迅さんの穏やかな笑顔。
「仲良くするのは人気のない所でな」
「……肝に銘じます……」
これ、迅さん以外の人に見られてたら恥ずかしさに耐え切れなかった。公私混同というか、時と場は弁えないとと浮ついた胸元を抑える。入らないのか、という迅さんの声に応えて、私はようやく玉狛支部へと足を踏み入れたのだった。