お付き合いが始まったとは言っても、なんだかんだと互いに忙しい。結果として、都合が合えば家まで送ってもらうという、これまでと変わらない関係が続いていた。
そんな中で、事のきっかけは、本部で会った空閑君が私を見つけるなりこうのたまったことだった。
「おれ、和音ちゃんと一緒に行きたいところがある」
この後暇かと続けて尋ねられ、事実だからと頷いたのが運のツキ。じゃあ行こうと手をとられてどこかへ向かい始めた空閑君。何事かと妙に緊張しながらも、歩き慣れた帰り道を引かれて歩く。
「ここだ」
ぴたりと立ち止まり、そうして視線を投げた先はスーパーだった。もう既に、わけがわからないまま連れてこられているので何から聞くべきか。とりあえずはどうするのかと尋ねれば、よし行こうと何がよしなのかわからないけど促されて、入店。ついでに自宅の買い物をしようとカートにカゴをセットすれば、感心した様子の空閑君。
「さすがに和音ちゃんも慣れてるな」
「……それは、どうも?」
一体全体今の状況は何なんだ。いやまぁ、聞く気力がないんだけどね。わくわくした様子で自動ドアをくぐる空閑君を、私もカートを押して追いかける。夕方だからか子連れのお母さん達の姿も多い。それが自分達の様子に重なって、複雑な気分だ。
「それで、何を買えばいいんだ?」
「……それは私の台詞かなー」
「む、そうか?」
このままじゃどうしようもないと気づいた私は、売り場の隅に空閑君を引っ張る。その上で連れてきた理由を説明するよう頼めばつまりはこうだ。
つい最近、玉狛第二の三人での夕飯作りで大変な目にあったらしい。そこで私が夕飯を作っていたのを思い出し、料理を教えてもらおうと思い至ったようだ。
とりあえず、先に言ってほしかった。ここまでの私の気苦労。……それに。チャレンジ精神旺盛なのはいいけど、それ、どこでやるつもりだろう。案の定尋ねたら今更ながらに家に行ってもいいかと聞かれた。いいけども。
「で、今日の夕飯は何だ?」
「……ほんっとどうしようかな……」
さて、私がしなければならないのは今日の夕飯の献立を決めること。前提として空閑君も一緒に作れるような料理で。もっと言えば不器用な包丁さばきでもどうにかなる食材を使うこと。
……駄目だ、さすがにすぐは良い案が浮かばない。
「とりあえず、野菜売り場に行こう」
「おう」
「それで食べてみたいの教えて。それから考える」
そう言えば、空閑君は楽しそうにとてとてと青果売り場に向かう。なんだか親戚の子に振り回されてるような可愛げがあるだけまだましか。
だけど冷静になると、彼氏、なんだよね。今更ながら自宅に招くのってなんか、なんか。いや、料理をして夕飯を一緒するだけでやましい意味はない。大丈夫。そう私が悶々としている間に、売り場を一通り眺めた空閑君はこれがいい、と野菜をごろりとカゴにいれる。
「……大根かぁ」
「うむ。やはり白というのは目を惹くな」
「空閑君の髪と同じだねぇ」
さて、気持ちを切り替えよう。冬に大根というのは中々いいチョイスだ。丸々一本あれば包丁が使いたい空閑君の要望にも丁度良い相手だろうし。問題は献立。多分空閑君と一緒に作るととんでもなく疲れそうだから、できればあんまり手の込んでない奴がいいな。そう、例えば。
「……えーっと、とりあえず卵は家にまだあるから……」
「お、夕飯は決まったか?」
「うん。よし、ちゃっちゃと買い物済ませちゃおう」
目移りする空閑君をどうにか引き止めて買出しを済ませる。
荷物は軽々と持ってくれる空閑君に任せて真っ直ぐに帰宅した。キッチンの隅に買ってきたものを置いて、互いに身支度を整えれば準備完了。
「よし、包丁は空閑君に任せるよ」
「おう、任された」
私はとりあえず大根を洗ってヘタの部分を切り落とす。そのまま一回気持ち薄めの輪切りにして、自分の手元で実演する。
「皮剥きは、包丁じゃなくて野菜の方を動かすの」
「ふむふむ」
一周くるりと回して皮がぺろりと剥けるのを見せれば、おぉと歓声をもらす空閑君。それじゃあ任せた、と包丁を渡すと輪切りのところから真似を始める。どんな手つきなのかと緊張しながら見守ると、猫の手で野菜を押さえるのは教わったらしい。ずだん、と激しい音を立てて輪切りにした空閑君は、眉間に皺を寄せながら皮剥きに挑戦を始める。
と思ったら、どうにも最初の一手が難しかったのか、ざくりと食い込んだ包丁。そのままざく、ざくと大胆に包丁が入って、ほぼ三角形の大根がまな板にころり。
「うむ、加減が難しいな」
「……そうみたいね」
やっぱり一本丸々買っといてよかった。でもあれ勿体無いな…あ、三角コーナーに。
まぁ、もう、細かいところは今回は見ないふり。奮闘する空閑君を横目に私はケトルでお湯を沸かす。ついでに軽く洗った卵も入れて一緒に茹でつつ、私はスーパーの袋の中身を漁る。
「和音ちゃんみたいにくるくる回らん」
「あ、根元の方でやった方が持ちやすいと思うよ」
ねもと、と首を傾げる空閑君に場所を指して示せば大根の位置をずらして再び挑戦。今回は多角形くらいにはなってそうだ。力の加減を覚えてる最中なのかな。
するとパチンとケトルが鳴ったから、お湯を卵ごとボウルに空けて少しの間脇においておく。再びお湯を沸かして、下茹でのためにこんにゃくを…あ、包丁は空閑君か。
「空閑君。こっち先に切ってくれる?」
「……なんだこれ?」
「こんにゃくっていうの、えーとこれはね」
空閑君が好きかわからないから、一口はちょっと小さめに。力を抜いて切るように進言すれば、まな板に響く切り方を改めてくれた。ついでに包丁で表面を格子状に撫でて欲しいと頼めば、軽く切り込みも入れてくれる。
なるほど、つまり切ろうと思うと力加減がへたくそになっちゃうんだろうな、きっと。
「できたぞ」
「ありがとう。じゃあ大根の続きもお願い」
すっかり楽しんでいる様子の空閑君はおう! と元気な笑顔で返事をくれた。私は空閑君が切った少しだけ不恰好なこんにゃくを鍋にいれて下茹でを始める。タイマーをセットして放っておくことにして、そうだ、そろそろ卵を冷やそうと流水にさらす。
「……やっぱり皮剥きは難しい」
「そうねぇ。こればっかりは慣れかなぁ」
まな板の上で何かを切るのはそんなに大変じゃないと思うけど、皮剥きは別だ。だけど、大根の輪切りをかつら剥きの要領でやるなら、他よりはまだやり易いはず。
空閑君のチャレンジした大根達は側面がまだガタガタになってしまっているけど、コツを掴んできたのか手つきの危なっかしさはなくなってきている。
「うむ、皮は剥けたぞ!」
どうだと言わんばかりの笑顔を向ける空閑君に思わず笑顔を返す。面取りは難しいかな、と思ったけど空閑君はまだ包丁を離すつもりはないようだ。頼んでみれば、やっぱり繊維の妙な感覚が引っかかるのか歪に剥いた角。隠し包丁も撫でるように、と念を押してお願いしたら、どうにか一通り下準備がすんだ。
一本分の割りに出来た量は少ない気がするけど、まぁ、努力の成果ってことだね。
できた大根は、スチーマーに入れて一度レンジにかけてしまおう。続けてケトルをセットした頃にタイマーが鳴って、茹だったこんにゃくをざるに出して一段落。練り物のパックを別のざるにあけて少し待てば、すぐにケトルがパチリと音を立てた。水を流すシンクの上で、ざるの中の練り物にお湯をかけていく。
「……和音ちゃんはさっきから変なことばっかやってるな」
「下準備には色々あるんだよ」
さて、後は流水にさらしていた卵ももういいだろうか。ボウルに溜まった水の中で殻を剥いていくけど、やっぱり冬場は冷たくて辛い。一段落すると同時にレンジが鳴ってスチーマーを取り出せば、台所には下ごしらえの終わった具材が並ぶ。
「よーし、あとは全部まとめて煮込むだけ」
「え?もうこの辺は茹でてあるだろ?」
「さっきのは下茹で。今度はちゃんと味をつける為に煮るんだよ」
やっぱり買い物の時点で想像して素を買っといてよかったなぁ。裏面で必要な水の量を確認し、計量カップを取り出して準備する。練り物以外は全部具材を鍋にいれてもらって、とりあえずは沸騰するまでと火をつけた。
「ざるとかは先に洗っちゃおうか」
「おう。それも任せろ」
まな板やら包丁の調理器具を軽く洗ってもらって干せば、少しだけ時間が空く。沸騰してから練り物を入れて、最低でも十五分くらいかな。本当ならもっと煮込みたいけど。
ちょっとだけ手持ち無沙汰になったから学校の課題でお茶を濁して、タイマーが鳴ったら今日はお鍋ごと食卓へ運んでご飯をよそう。
「と、いうことで今日の夕飯はおでんです」
「うむ! いただきます!」
空閑君力作の大根は見た目こそ不恰好だけど味は問題ない。頑張ったねぇなんて声をかければ、またおかーさんだと笑われてしまった。
あっという間に食べつくした空閑君は洗い物をすると名乗り出てくれる。任せることにして、私は食後の一服にとお茶の準備を済ませた。そうして再び食卓につく頃には、互いにそろって溜息をついてしまう。
「ごめんな、大変だったか?」
「ちょっとね。でも楽しかったよ」
「うん。おれもだ」
最初はどうなることかと思ったけど無事に終わってよかった。というか、夕飯作りに時間を使ってよかったのかな。忙しくないのだろうか。そんな私の考えを見透かすように空閑君が突然、頼みがあると口を開く。
「またこうして一緒に夕飯作ってくれ」
「私はいいけど、空閑君はいいの?」
「オサムにランク戦以外もしろって言われてるから大丈夫だ」
毎日データばかり見てるオサムに言われたのは癪だけど、なんて。唇を尖らせて不満気にそう言う空閑君に思わず笑ってしまえば重なる笑い声。あっという間にマグカップも空になって、帰るという空閑君を玄関まで見送ろうとついていく。
そこまでがとても楽しくて、私はすっかりと忘れていたのだ。スーパーで買出ししたものの片付けをせず、キッチンの隅に置きっぱなしだったことを。
空閑君は覚えていたのか何の違和感も見せずにそれを避けていて、私は後をついていく道中でそれに足をつっかけてしまった。
「え、あ」
まずい、踏んじゃだめだ、と判断する。と、不恰好に踏み出した片足。呆気なくバランスを崩した私に気づいたのか、振り返った空閑君が私に手を伸ばす。縋るように掴んで、それを支えにどうにか袋を避けて足を床へと下ろすことに成功した。よかったと思ったのも束の間、すぐ目の前には空閑君の身体。
――すごく、とても、近い。
「ご、ごめん……っ」
焦ってしまって、謝ろうとしたら空閑君の瞳と視線が絡んだ。こんなにも近くで空閑君の顔をみたことがなくて、頭が真っ白になる。何も出来ずに息をのんでいると、空閑君の眼差しも私に向けられて。体感としてはとてつもなく長い時間を見つめあっていた、気がする。
「気をつけないと、危ないぞ」
眼差しと、すぐ近くで響く声にどうにか僅かながらも頷いてみせる。空閑君は私がきちんと両足で立っているのを確認したのか、ゆっくりと身体を離した。そのまま空閑君は踝を返し、いつもの調子で玄関のローファーに足を差し入れる。
「それじゃあ、今日はありがとな」
「う、うん。おやすみなさい」
たんたん、と軽快な音を立ててローファーを履いた空閑君。何時も通りの笑顔で手を振って扉の向こうへ消えて行く姿に呆然と手を振る。閉まったのを見届けて、途端に力が抜けた私は廊下へとへたりこんで息をついた。
「……キス、しちゃうかと思った」
わけのわからない恥ずかしさに思考が乱されて、
結局私はそのまま暫く廊下で呆然としていたのだった。