玉狛支部地下のソファに身体を預けて、ぼうっと天井を見上げる。ふぅと息をついて目を閉じれば鮮明に蘇る紅。あんなに近くにいると紅い瞳しか見えないんだなぁ、なんて。恥ずかしさに耐えて、どんなに思い出そうとしてもそれしか思い出せない。
あの時空閑君は一体どんな表情をしていたんだろう。
そういうことを、一切想像していなかったわけでは、……ないん、だけど。結局あの後の空閑君には自然に距離をとられてしまった。恋人っていうからには、そういうことも空閑君は考えてるのかな。それとも、離れていったのはそういうことを考えてないからなのかな。もやもやとする気持ちを溜息ごと吐き出す。
空閑君はまだ本部でランク戦だろうか。いっそ先に帰ってしまうべきか。だけどそうする理由は見つからないし、そうしたい理由はない。
一緒に、いたい。ただすこし、恥ずかしいだけ。
そんな絡んだ思考を、エレベーターのベルが遮った。一瞬どきりとして身構えるけど、扉が開いて現れたのは三雲君で息を吐く。
「水沢先輩?」
「……お疲れさま。データ解析かな?」
少し驚いた様子だけど、三雲君は頷いておずおずと私の脇を通り過ぎる。使っても大丈夫ですか? とパソコンを指差すのでそれを肯定した。三雲君は私の様子に言及するつもりはないらしく、そのままパソコンデスクに腰掛けて作業を始める。
本当は頑張る三雲君の邪魔はしたくはない。もちろん。だけど今の私は、わらにもすがりたい思いなので、申し訳ないながらもそっと声をかけてみる。
「……三雲君、邪魔していい?」
「はい? なんですか?」
「ちょっと恋愛相談したいんだけど、駄目かな」
聞いて、一瞬言葉に詰まったと思ったら私の言葉に驚いたらしい。げほ、ごほ、と咽込む三雲君は可哀想な程に頬を赤く染めてしまった。声をかければ手の平で大丈夫だと示されて、とりあえずは呼吸が落ち着くのを待つ。
「けほ……ええと、その」
「あのね、三雲君から見た感想を教えてもらえたらなって」
どうやら、予想していたよりは私の提案はハードルが低かったらしい。感想ですかと確認されたので頷けば、少し考える様子を見せた三雲君。それならと了承をもらい、私は一度深呼吸して本題を告げる。
「……空閑君は私のことどう思ってると思う?」
「は、はい? 空閑、ですか?」
個人名をあげるのは大分勇気がいったものの、ここをぼかしたら意味が無い。だけど空閑君が私と付き合ってるってことを三雲君に言ったかどうか知らない。もし言ってなかったら悪いなぁと思うから、理由は曖昧にして感想を聞く。
三雲君は空閑君の名前が挙がったことに不思議そうな表情を見せた。けど、少し考えたと思ったら結論はすぐ出たようで、私に視線が戻される。
「あの、ぼくの感想でいいんですか?」
「空閑君に関しては三雲君が一番信用できるよ」
面倒見の鬼でしょ? と言えばぐ、と言葉に詰まった三雲君。それには答えず一度咳払いをしてからおずおずと話が始まった。
「空閑はよく、色んな人に絡まれてますよね」
「先輩達とかに可愛がられてるよねぇ」
「はい。ですけど」
そこまで話したと思ったら三雲君の視線が一度私から逸らされた。何故だろうと思ったけど、視線を外されたまま話が続けられる。
「自分から誰かに触れるのは、水沢先輩以外見かけたことがないです」
「……え?」
そういえば三雲君も、入院の時に私の手を引く空閑君を見ているんだ。だけど、空閑君が自分から誰かに触れることって、ないの?
「……なので、そういうことなんだと、思います」
「そういう?」
「その、空閑の気持ちをぼくが言うのは駄目だと思うので」
そう言って三雲君は、最後に私を見てから閉口して視線を逸らした。あんなに平然とした態度の空閑君は、そもそも他の人に触れる事が滅多にない。そうだとしたら、いつも空閑君から手を伸ばしてもらえるって、凄いこと、なんじゃ?
「……ちょっと元気出た。ありがとうね」
「はい」
「よし、お礼にお姉さんが差し入れをあげよう」
鞄を漁ればまだ持っていたお菓子を数個、三雲君に差し出す。ちょっと勇気も出たことだし、いい加減邪魔しないように帰ろうかな。
そう思っていると再び響いたエレベーターの到着音。今度は誰だろうと見ると、噂をすればと言わんばかりの本人で背筋がヒヤリと冷える。
「やっと見つけた。オサムと一緒にいたのか」
「……え? 探してたの?」
「今日はこなみ先輩が泊まるから、夜はずっと修行するんだ。だから先に送ってこうと思って」
それとも用事があるか? と尋ねられたので、首を横に振れば笑顔が返ってくる。空閑君はそういうことだからと三雲君に声をかけて、三雲君もそれに頷いた。
「じゃあ帰ろう」
そう言って空閑君は当然のように私の手をするりと絡め取った。そのままエレベータへと引きずり込まれ、行ってくると手を振る空閑君。もう今更かと、私もありがとうと三雲君に手を振った。三雲君が優しく笑って手を振り返してくれたのを見届けて、エレベーターの扉が閉まる。
「……空閑君。三雲君って私達のこと知ってるの?」
「言ってはないけど、気づいてるんじゃないか?」
「そっか」
ってことは、もしかしたら気を遣わせてしまったかもしれないな。久々に人前で平然と手を取られた気がしたけど、居たのが三雲君だからだろうか。やっぱり空閑君のことはよくわからないなぁ。と、視線を感じて隣を見る。空閑君は少しの間黙っていたと思ったらじぃっと私を睨んできた。
「オサムと何話してたんだ?」
え、と尋ね返してみるけど空閑君は表情を変えず私を見つめ続ける。何と問われると説明するのが難しいけど、まさかなんて言えばいんだろう。キスされそうでされなかったから不安になって三雲君にアドバイスをもらった?
その不安を空閑君に言えないから三雲君に相談したのに。
「……おれには言えないことか」
ただ、私が言葉に詰まった時点で空閑君にはある程度見通されてしまう。内容がわからなくても自分に言えない、という事実だけは伝わってしまうから。悩んだ末にごめんねと言えば、空閑君は仕方ないと言ってゆるりと首を横に振る。
「……なぁ、和音ちゃん」
「なに?」
「いいや、なんでもない」
「……もしかして、仕返し?」
ちょっとだけ笑いながら問えば、うむと満足そうな空閑君の顔。本当に用事があったのかそれとも単純に紛らわしい態度を取ってみただけか。どちらともとれるそれに上手な仕返しだなぁと心内では褒めておく。そうはいっても咎めるわけにもいかないし、どうしたものか。
「……私が話せるようになったら、その時は空閑君も教えてね」
「おう、いいぞ」
さぁ帰ろうと行って先導する空閑君に手を引かれながら帰り道を進む。一緒にいてくれる、それは多分間違いなく、空閑君にとっての“恋人”。それだけじゃないと思ってしまう私と、少しだけ噛み合わない感じが寂しい。けど、これをどうしたらいいのか、経験のない私にわかるはずもなくて。
「和音ちゃん?」
ぐん、と強く引っ張られて足を止める。何かと思えば、別れ道を間違えて進もうとしていた私の足。ごめんと言いながら振り返れば、思ったよりすぐ傍にある空閑君と視線が絡む。
「……悩むのはいいけど、上の空になると危ないぞ」
咎めるような眼差しにもう一度ごめんなさい、と告げれば再び開いた距離。引きとめられたからとはいえ、どうしてあんなに距離が近かったんだ。目の前で光っていた空閑君の紅い瞳を思い出してばくばくと心臓が鳴り始める。
こんなんで、これから先大丈夫なんだろうか。縋るように繋いだ手をきゅうと握れば優しく握り返される手。
――今は、これで満足。
私は深呼吸を繰り返してから空閑君との帰り道に集中することにした。