結局、それから私と遊真くんは他愛のない話をポツポツとして過ぎる時間を待った。合間にはノートパソコンを付けて音楽をかけてみたり、ずっと起きているとお腹が空くからと買い込んでいたお菓子を出してきたり。遊真くんは全く眠そうな様子を見せなくて、むしろここ数日バイトを詰めていた私の方が眠くて眠くてたまらなくなって。気づいた時にはトントンと肩を叩かれて目が覚めたことから、寝落ちてしまっていたらしい。
「……あ、れ?」
「朝だよ」
夜だからと閉めていた遮光カーテンの隙間から白い光が差し込んでいる。時刻を確認すれば七時を過ぎた頃。確かに朝だと、私は机に突っ伏していた身体を起こして大きく伸びをする。
「ごめん、寝ちゃったね」
「別にいいよ、それくらい」
寝ぼけ眼で伺ってみても、遊真くんはハッキリしゃっきり、といった様子。全然眠くならないのかなぁ、若いっていいなぁ、なんてしょうもないことを考えてしまう。
「とりあえず、おれはもう帰るよ」
遊真くんは腰を上げ、ゴミばかりのレジ袋を手に持つ。捨てておくからいいよと声をかければ、それじゃあよろしく、と言ってレジ袋を机の上に残し、遊真くんはそのまま玄関へと歩いていく。「それじゃあ」と「またね」の軽いやり取りをして、遊真くんは扉の向こうへと消えていった。
「……もうちょっと、寝ようかな」
中途半端に寝て、唐突に起こされてしまったものだからまだ全然頭は働かない。どっと疲れが出たような妙な心地に逆らうことなく、私はずるずると身体を引きずって布団へと潜りこむことにした。
*
――と、あの日のことを冷静に思い返してみると、穴があったら埋まりたいくらいに恥ずかしい。
いやだって、中学三年生の男の子に一人が怖いなんて言っちゃって、朝まで一緒にいようって言ってくれたのに自宅に招いて寝落ちるって、あり? なしじゃないこれ。本当なら私って、怖くなかった? って心配する方じゃないの? そんで、安心した遊真くんが眠ってしまうとか、そういう方じゃないの? なんで立場が完全に逆転してるの?
「店長お疲れ様でした……」
「はい、おつかれさま」
とは言え過ぎたことを言っても仕方がない。痴態を見せてしまったことは覆らないので、せめてここから名誉挽回といかねば。遊真くんに見せられる年上っぽいところってなんだろう。……なにかあるかなぁ。
「湊川さん、こんばんは」
「え、あぁ、遊真くん。こんばんは」
頭を抱えていたせいで入店音にも全く反応ができなかった。突然背後から声をかけられて驚くも、挨拶を返せば遊真くんは普段通りと言った様子。気にしてないのかなぁ。まぁ、この前のことを蒸し返されるよりはいいかと、私も何事もなかったように改めて商品棚に向き直る。
一方で、ちらりと見えた店長は私の隣に並ぶ遊真くんを眺めながらにこにこ顔。
「最近は早い時間が多くていいね。感心だ」
……夜十時は十分に遅い時間だと思うんですが……。とは、思ったけれど。これまでがよほど遅い時間だったのか店長はこの時間でも嬉しそうだし、遊真くんも褒められたからか満足気に頷くので口を噤む。
さて、悩んだけど今日はこれにしよう。そう決めて一つ商品を取った矢先、遊真くんがところで、と声を上げる。
「湊川さんはもう仕事終わったか?」
「え? うん」
「じゃあ、今日はおれに付き合ってくれ」
……え? と思わず間抜けな声を上げてしまった。まさか、この前の今日で遊真くんから誘われるなんて予想外だ。というか改めて考えると、この前の遊真くんはよく私の誘いに乗ってくれたなぁ。そう思えば、ここで誘いを断る理由も見つからない。
「……何か要るものある?」
「いや? あぁでも、そういうのはあってもいいかも」
遊真くんがそういう、と言って指すのは、私が買って帰ろうと選んで手に持っていたお土産の類だ。つまりは飲み物とか食べ物があるといいと。まるで散歩にでも行くみたいな雰囲気だ。いや、おやつと飲み物持参なら遠足か?
遊真くんもいつものように、適当な飲み物と食べ物を持ってレジへと並んだので後に続く。あんまり遅くならないようにね、と穏やかに笑う店長はさすがと言うべきか。おおらかだなぁと眺めていると、遊真くんは素直にうん、と頷く。
とにもかくにも、お揃いのレジ袋をぶら下げてコンビニを後にした私達。どうするのかと遊真くんを見れば、よし、と一度気合を入れている。
「今日はあっちだ」
「……うん?」
「行こう、湊川さん」
今日、は。ということは夜の散歩って結構その日の気分次第なのね。夜遅くに見知らぬ場所に行くのは少し不安になるけど、遊真くんがずんずんと進み始めるのでついて行くしかない。
「遊真くんは、どうしてこんな時間に出歩くの?」
「暇だから」
「寝ないの?」
「うん」
遊真くんは夜型の生活をしているのだろうか。いやでも、中学生って毎日朝からきちんと授業があるのに。それでもこんな時間まで出歩く体力が残ってるのは素直にすごい。
「若い子ってやっぱり体力あるんだねぇ」
「なんだか年寄りみたいなセリフだな」
「だって中学なんてもう五年以上昔の話だし」
「ほう? 五年くらいしか違わないのに、なんでおれが夜に出歩くのはダメで湊川さんはいいんだ?」
「未成年と成人の壁だよ。私はもう自己責任だからね」
ふぅん、とつまらなそうな顔。やっぱり思春期真っ盛りな年頃だし、子供扱いされるのが面白くないんだろうな。私自身、身に覚えがある気持ちではある。けれど、どちらにせよあまり突くとまた藪蛇になりかねないし、私は話題を逸らそうと続けて遊真くんに訊ねる。
「他に、夜にできることってないの?」
「やれって言われるから勉強はしてるよ」
「え、すごい偉いね」
「けど、よくわからなくて飽きるから、気晴らしにこうして散歩するんだ」
まさかの新事実発覚。第一印象が非行少年だったからこそ、今の情報は驚きだ。だって、遊真くんて夜に自主的に勉強するほど真面目なんだ、って思ってしまった。
「なるほどねぇ、一人でわからない問題解こうとすると煮詰まっちゃうもんねぇ」
「うん」
「あと、甘いものが欲しくなったり?」
「そうだよ。だからここまで来るんだ」
勉強の息抜きとして夜、散歩をしているのか。そうと聞いてしまうと、なんだか口うるさく言っていたのが申し訳なくなってしまうなぁ。いや、危ないことには変わりがないんだけど。それでも夜歩きのそもそもの原因が勉強となると、なんだか咎めるに咎めきれない。
「甘いものは事前に買っておくとかでもいいと思うんだけどねぇ」
「問題がわからないままだと飽きてくるし、でも、やらないと怒られるし」
「うーん、中学生の範囲だったら教えられるかなぁ」
何気なく呟いた一言。高校生くらいのレベルになると、さすがに文系理系の壁があったりするから何でも来いとは言えないけれど。中学生くらいのレベルだったら私でもどうにかなるかも?
瞬間、遊真くんの足がぴたりと止まる。どうしたのかと私も足を止めてみると、遊真くんがじぃっと私を見つめていて。あれ、これ、私なんか失言したかもしれない。
「教えてくれるのか?」
「えっと? 私ができるとこなら教えられるかも、だけど」
「教えてくれ」
「……私?」
まさか、ちょっと知り合った程度のコンビニ店員である私にそんな頼み事をしてくるとは予想外だったのだ。だってそうでしょう、私なんかより家の人とか、友達同士とかで勉強した方がよほどやりやすいんじゃないだろうか。っていうか、そもそも。
「一般受験の対策なら、ちゃんと塾に行った方がいいんじゃない……?」
「推薦でどうにかなるから問題ないと言われた」
……結果ってまだ出てない、よね? どんだけ余裕なの。っていうかむしろ先生もどんだけ推薦結果に自信を持ってるの。そういうのって生徒に言っていいのかな?
色々疑問はあるけれど、仮に受験が問題ないとしても、だ。遊真くんが学校の友達でも先生でも家の人でもなく、私と一緒に勉強をするメリットって何かあるだろうか。と、そのまま訊ねれば遊真くんはうむ、と一つ頷いて説明をしてくれる。
「放課後は忙しいから、学校の友達には聞けない」
「へ〜」
「夜もおれが暇になるこれくらいの時間は、みんな仕事に行ったり寝たりする」
「……う〜ん……」
学校の友達とも家の人と生活リズムが合わない、ってことか。だから逆に、遊真くんが暇になるこの時間帯にバイトが終わって暇になる私がちょうどいい、と。
「おれは夜何時まででもいいから、湊川さんが起きてられる間は教えてほしい」
「…………う〜ん……」
「ダメか?」
私が言葉を濁すことであまり期待できないと思ったのか、遊真くんは残念そうな表情を見せる。なんと答えるべきか。というかまぁ、教えられるかどうかというのも不安だけれど、それよりも現実的な問題が一つ。
「時間が時間だから、場所をどうするか、だよねぇ……」
百歩譲って、私のバイトが終わった夜十時から十一時くらいまで勉強の時間をとるとしよう。遊真くんはきちんと朝起きれるみたいだし、私も春休みに入って暇だから翌日への影響はないだろう。教えられるかどうかは見てみないとわからないけど、中学生レベルなら私がわからない、ということはない……と、しておく。
問題は場所だ。つまり、どこで勉強するか。この時間は基本的に公共施設は閉まっているし、ファミレスとかファストフード店とかは……できれば避けたい。深夜は利用客も少ないだろうから一時間くらいなら居座っても見逃してもらえるかもしれないが、やっぱり心苦しいものがある。
そうなると家庭教師みたく家、というのは候補に上がるが……今の話だと遊真くんの家は無理そうだ。家の人が仕事に行っていなかったり、寝ている時に上がらせてもらうわけにもいかないし。かといって私の家に上げるのはさすがに抵抗がある。いやまぁ、この前のことはノーカンで。
「ちょっと、考えさせてくれる?」
「わかった」
私の待ったに素直に頷いた遊真くん。はてさてどうするべきかなぁ。なんて、どうして真面目に考えているのか自分でも不思議だったけれど、なんだかんだと頭を悩ませて。けれど穏やかな空気のまま、私たちは夜の道を歩くのだった。