「じゃあ店長、今日もお願いします」
「はいはい。遊真くんもどうぞ」
「うむ。お願いします」
遊真くんと二人並んで、店長へとお願いしますの挨拶。何度もお世話になっているからこそ、こういうところはきちんとしなければ。
出勤してさっそく引き継ぎ業務にあたっていた店長は、にこにこ笑顔で私たちをバックヤードへ入れてくれた。この勉強会もだいぶ日常になりつつあるものだ。まぁ、とは言え三月いっぱいまでが限度だろうけど。四月になると私も新学期が始まるし、遊真くんだって高校に入学するわけだし。
「じゃ、今日も頑張りましょうかね」
「うん。湊川さんもお願いします」
「はいお願いします」
休憩室の机に向かい合って、始まりの挨拶。はてさて、今日はどんな難問が待っていることやら。
「この問題、湊川さんにも教えてほしい」
そう言って遊真くんが差し出してきたのは速さの問題だった。うっわ、ものすごいハードル高いんだけど。これを遊真くんに教えるのか。私にも、ってことは誰かに聞いたけどそれでもわからなかったってことかな。
「どこがわからない?」
「問題がよくわからん」
……頭を抱えるしかない。さて、どうやって説明していこうかと私は問題文を眺める。その間にも遊真くんは眉間に皺を寄せながら、改めて問題文を読み直しているようで。
「こいつら、なんで一緒に家を出ないんだ? そもそも先に出たんだったら連絡して待っててもらえばいいのに」
「それ言っちゃうと元も子もないからね〜」
気持ちはとーってもよくわかる。数学の文章題って色々とこう現実味がないんだよね。こういう速さの問題もそうだけど、お風呂くらいの大きな容器に水を入れながら水を抜くとかもそう。何その水の無駄遣い。まぁ、個人的には図形上を動く点Pってのもなかなか意味がわからないけども。
とにもかくにも、遊真くんと一緒に考えるために適当な言い訳を考える。問題が成り立つように、かつちょっとだけ現実味というか、親近感を覚えるように。
「では、遊真くんがコンビニで買い物をしました。そうして家へ帰るべく歩きはじめます」
「ふむふむ」
「ですがレジを打ち終えて一息ついた私は、商品一つをレジ袋に入れ忘れたことに気づきました。連絡先も知らないので、商品を届けるしかありません」
「今度会った時でいいだろ? それに、仕事中なんだからコンビニから離れたらマズいんじゃないの?」
「……商品は生ものなので、今度あった時には食べられなくなっているかもしれません。そして、西岡先輩と一緒のシフトだったので少しなら店を空けてもいいと言われました」
遊真くんの度重なる指摘にどんどん苦しくなる。気持ちはわかる、わかるよ。現実的に考えるとこういう数学の文章題って非合理なことこの上ないからね。それでもとにかく理由を付け足して、問題文をなるべく納得できる状態にまで持っていこうと頭をひねる。
「けど、早く仕事に戻らなければいけないので私は頑張って走って追いかけます」
「ふんふん」
「遊真くんは、そもそも商品が足りないことに気づいていないのでのんびり歩いています」
「ふむ」
「そうしたら私はいつか遊真くんに追いつくはずですが、それはいつ? っていう問題です」
と、ここでようやく問題文へと立ち返る。最初は眉間に皺を寄せていた遊真くんだったけど、そういう事情ならしょうがない……と問題文の状況に少しだけ共感してくれた様子。いやまぁ、だいぶ苦しい言い訳ばっかりだったけど。それでも親近感を持ってくれれば、多少は問題も解きやすくなる。
「……で、速さってことだけど」
「うん」
ここからはもう少し数学的な話に寄り添いながら説明。とは言っても上手には説明できないので、単位を参考にしながら。問題文に書いてあるものと速さの単位を見比べて、記号と数字の並べ替え。
「ふーん、そういうもんか」
遊真くんは疑問も多いけれども、そういうものだと飲み込めることも多い。特に数学においては助かる部分だ。たくさんある公式は本来ならきちんと証明できるものだけど、数学教師でもない私には証明の再現は難しい。それに再現できたとしても、遊真くんが結果を飲み込めるかは別の話。だから、公式というルールがあるのだと言えば、遊真くんは案外そういうものなのだと受け入れてくれる。
「……ふむ、十八分後?」
「うん。正解」
「よし、計算は慣れてきた」
問題が解けるようになるということは遊真くんにとってそれなりに嬉しいことらしい。ほんのりと口角を上げて問題を解きはじめた遊真くん。私も一緒に次の問題を眺め、自分でも解きつつ説明の仕方に頭を抱える。問題を解き終えた遊真くんに呼ばれれば丸付けをしつつ、間違えたところの説明。そうしてやり直してもらう間に自分も、と忙しくしていると、時間は案外あっという間に過ぎていくもので。
「今日はずいぶん長引いてるね」
集中してしまった私たちに待ったをかけるのは店長の役目だ。なんだか毎回のようにペットボトルのジュースをもらってるけど大丈夫なのだろうか。遊真くんは奢られ慣れているのか、笑顔でありがとうと受け取っているけど。私もすみませんと言いつつありがたく受け取れば、いつの間にやら一口煽った遊真くんがうむ、と急に頷いてみせる
「おれは覚えたぞ。こういうのを、るいはともをよぶって言うんだよな」
満足げにそう言ってみせた遊真くん。あぁ、類は友を呼ぶ、ってことわざの話か。店長もそれが勉強の一環だと気づいたのか、穏やかな笑顔で遊真くんを伺う。
「遊真くん、そのことわざの意味は知ってるのかい?」
「うん。似たような奴が集まるってことだ。店長さんも湊川さんもお人好し同士だからな」
得意げな遊真くんに、私は思わず苦笑い。どうにも遊真くんは、店長だけでなく私までお人好しだと口を酸っぱくするほど繰り返す。まぁ、なんだかんだでこうして勉強会に付き合っているからそう言われるんだとは思うけど。でも、遊真くんは勉強会のあとはジュースだとかお菓子だとかをお礼だって言って私に買ってくれる。だから別に無条件で優しさを分けているってつもりもないんだけどな。
と、私が口を挟むより先に店長が、平然と返事をするのだ。
「それなら、遊真くんだって私たちと同じお人好しってことだね」
「ふむ?」
「遊真くんは私にもきちんと挨拶をしているし、湊川さんにはお礼をしているだろう? それは、人が好くないとできないことだよ。だからここにいるんじゃないかい?」
――ちょっと、盲点だった。確かに類は友を呼ぶというなら、そして私と店長がお人好しだと言うのなら。私たちに囲まれた遊真くんだってお人好しなんじゃないか。
盲点だったのは遊真くんも同じようで、きょとんとした顔で店長を見つめている。そう見つめられたニコニコ笑顔の店長は、ひらりと手を振るとバックヤードから店内へ戻っていった。遊真くんに言い返される前に話を終わらせた店長、凄いな。これが年の功ってやつか。
「……なんだか、フクザツだ」
「そうなの? 人が好いってのは誉め言葉だと思うけど」
「それはわかってるよ」
ふぅ、とため息をつくと遊真くんはペットボトルを煽った。不満そう……っていう感じでもない。どことなく呆れてるような、でも満更でもないような、本当に複雑な心情って顔だ。そう眺めていると、そうだ、と何かを思い出したように声を漏らした遊真くんがくるりと私へ顔を向ける。
「さっきので思い出したけど、湊川さんの連絡先教えてくれ」
「ん? まぁ別にいいけど……」
今更連絡先を聞かれるとは思ってなかったので少し驚いてしまう。とはいえこうして頻繁に勉強会をしている以上連絡手段があるに越したことはないかと、携帯は? と尋ね返す。今日は忘れた、と言われたので仕方なく、断りを入れて遊真くんのノートの端に電話番号をメモ。
「これでいい?」
「うん。あと、連絡してもいい時間も聞いてこいって言われた」
「……だ、誰に? どうして?」
時間も、ってことはそもそも連絡先を聞こうとしたのも遊真くんの意思じゃないっぽい? え、ちょっと待って嫌な予感。そう不安のままに素直に尋ねれば、遊真くんはけろりとした表情のまま理由を話してくれる。
「お礼をしなきゃいけないからって」
「もしかして、家の人に?」
「うん」
「えぇ!? ちょっと待って、そんなのいいよ……!」
さすがに予想外の展開に気が引けてしまう。っていうか、急に遊真くんの家の人から電話なんてきたらびっくりしちゃいそう。迅さんからならまだしも、話したことのないボスとか言う人から電話きたらどうしたらいいの? そもそもお礼、って言われたって別にお金貰ってるとかそういうわけじゃないし。いやまぁ、遊真くんになんだかんだと奢られてはいるけれど。でも、きちんと契約とか約束した家庭教師じゃないんだから、わざわざお礼の電話なんてされたって心苦しいだけだ。
「こう、あれ、友達と一緒に勉強するみたいな感じだから、お礼言われるようなことじゃないよ……!」
「ふむ、そうか?」
「そうそう。だから、気を遣わないでください、大丈夫ですって伝えて?」
遊真くんは少しの間私をじぃっと見て黙っていたけど、納得したのかわかった、とすんなり頷いてくれた。あぁもう、びっくりした。さすがにそんなきちんとした家庭教師でもない私がお礼だなんて分不相応にもほどがある。
「でも、大学生だって暇じゃないんだろ? カテーキョウシをしてお金をもらう大学生もいるんだからって言われたぞ」
「……それはそうだけどさ。私はコンビニバイトでお金を稼いでるので大丈夫です」
「おれと湊川さんって友達なのか?」
……痛いトコ突くなぁ。
「……少なくとも知り合い以上じゃないと、約束して会うことも、夜の散歩に付き合うこともないんじゃないかなぁ」
言葉を濁しつつ、遊真くんの様子を伺う。なんだか友達って言い切るには違和感があるし。年齢差を飛び越えた友情っていうのもありなのかなぁ。とは言え元々はコンビニアルバイトとお客さんだったし、なんというか、今更だけど私と遊真くんの関係って不思議なものだ。
「二人とも、そろそろ帰りなさい。もう遅い時間だよ」
ふと、私達の会話へ店長が割り入ってきた。おしまい、とペットボトルを渡されてから話し込んでしまったからだろう。時計を見れば十一時十五分も過ぎた頃だ。はーい、と返事をしつつ机の上の片づけを始めれば、遊真くんも大人しくノートや筆記用具を片付けはじめた。
「それじゃ、今日もお疲れさま」
「うん。ありがとうございました」
おしまいの挨拶。さっきの会話を蒸し返すことはしたくないけど、もし続いていたら、遊真くんは何て答えてくれたんだろうか。年の差があれど先輩後輩、っていうのも違う感じがあるしなぁ。私と遊真くんは別に同じ学校なわけでも、現状何か上下関係が発生するような関係でもないし。いや、ある意味で先生と生徒かな?
いつものように気をつけて帰ってね、と声をかければわかってる、の返事。店長にありがとうございますとおやすみなさいの挨拶をしてから、私たちはコンビニを後にしたのだった。