「お邪魔します」
「はい、どうぞ」
いよいよやってきたお家デートの日。コンビニの傍で待ち合わせて、私は遊真を自宅へと連れてきた。さすがに友達を家に呼ぶのとは違う緊張があるもので落ち着かない。いや、掃除はきちんとしたし、片付けもきちんとしてあるし、大丈夫なはず。たぶん。
「桐香、これ」
「え?」
「人の家にお邪魔するときは手土産を持っていけと言われた」
……しっかりした躾だこと。友人間だと招かれた方がちょっとしたお菓子やジュースを買っていくとかするけど、流れでお邪魔したりされたりも多かったりする。だから改めてきちんと準備して訪問されるとくすぐったいものだ。なんて、ちょっとときめいてしまったけど平常心、平常心。ありがとう、と言って受け取ってみればなるほど、お菓子らしい。
「ってこれ、いいとこのどらやきじゃん!」
「そうだよ」
「これは食後のデザートに決まりだね!」
ちょっと家に招いたくらいでこんなにしっかりした手土産をもらってしまうとは。いや、こういうことなら本当に、準備をしておいてよかった。
「……じゃあ、ご飯、用意するから待ってて」
きょとん、とした表情が見ていられなくて、遊真の背中を押してとりあえずは座らせる。勉強でもしててと残して踝を返し、いざキッチンの前へ。
「なぁ、夕飯なんだ?」
「…………肉じゃが」
遊真のことは一切見ずに答える。いや、我ながらなんていうか狙っている献立かな、ってちょっと迷ったけど! でも、遊真に好きな食べ物を聞いた時には“日本の食べ物”って言っていた。帰国子女なんだし和食ってどうなんだろうって思わなくはなかったけど、お父さんの故郷とも言ってたからある程度日本食にも親しみがあるのかも。そう思って、和食のイメージから王道の肉じゃがをチョイスした。
おふくろの味、なんて言うけれど私は自分の家の味しか知らない。久々に肉じゃがが食べたいなぁ、なんて世間話からさりげなくおおよそのレシピを聞き出して、一度は自分で作ってみた。実家で食べる味とはちょっと違ったけど、まずくはなかった、はず。
なので実は、遊真が来る前に調理は済ませておいた。やっぱり肉じゃがは味がしみ込んだジャガイモが美味しいから。ガス代とかの都合で長く煮込むのはちょっと気が引けたので、それならと早めに作って寝かせておいたのだ。ということで、置いていた肉じゃがの入った鍋を改めて火にかける。温めなおして、それからご飯ももうすぐで炊けるはず。あとは和食定番の豆腐の味噌汁と、何かあっさりしたものを、と思って作ったほうれん草の胡麻和えを……。
「うまそうなにおいだ」
「え!?」
勉強しておいて、と言いつけたハズの遊真はいつの間にか私の背後に立っていた。なんだか妙に恥ずかしくなってしまって、向こうに行ってと抗議してみても遊真はどこ吹く風。
「白米のにおいもする」
「もう、すぐにできるから向こうで待ってて!」
二度目の勧告に気が向いたらしい遊真はようやく私の傍から離れていく。あぁよかった。見られながらなんて絶対無理。恥ずかしいし緊張するし集中できないし、絶対なにか失敗しちゃう。
とにもかくにも遊真が大人しくしていることを確認しながら夕飯の仕上げ。実家と違って食器も一人暮らしの最低限の分しか揃ってないけど、必死で無難なものを選びつつ盛り付ければ完成だ。
「……じゃあ、どうぞ」
「うむ。いただきます」
遊真はにこにこ笑顔で手を合わせ、さっそくご飯茶碗を手に持った。何から食べるかとドギマギしていると、真っ先に肉じゃがへと箸を伸ばす遊真。その先はジャガイモで、あぁもう、味大丈夫かな。っていうか口に合うかな。ハムスターのように頬を膨らませ、もごもごと口を動かす表情はいつも通りで全く反応が読めない。
「……日本食はどう?」
「うん? うまいぞ」
正直に尋ねてみれば、遊真はもぐもぐと咀嚼したあと、ごくんと飲み込んでから平然と答える。どうやら悪くはなかったらしい。ほっと胸を撫で下ろしながらも、私も自分の分を食べ始める。せっかくなので、遊真の好物をリサーチしつつ。
「前に日本食が好きって言ってたけど、最近食べたので美味しかったのってなに?」
「オムライスとか、カレーとか。肉いっぱいの野菜炒めとか」
「……日本食……?」
これはちょっと、遊真の好物への認識を改めた方が良さそう。日本食が好きって和食っていう意味じゃなくて、もしかして日本に来てから食べたものって感じ? だって少なくともオムライスとかカレーは日本食とは……いや、どれも本場のものを日本風にアレンジしてるとは聞くけど。少なくとも和食、ではないよね多分。そして野菜炒めが好きっていうかお肉がいっぱいなのが好きってことなら、遊真の好みって……わりと、お子様メニュー的なタイプなんじゃ?
「……なんか、ハンバーグとかも好きそうだね」
「ほう? 作れるのか?」
「…………気が向いたら頑張ってみるね〜」
私これ藪蛇突っついた気がする。ハンバーグってなんか面倒そうなイメージだなぁ。作れるのかな。まぁ、また今度レシピを調べてみますか。
そんなこんなで夕飯を食べ終えて一息だ。自分の食器は自分で流しへと運ぶあたり、遊真ってやっぱり礼儀正しいよなぁ。私も自分の食器を運んでから、片づけをするべく流しの前に立つ。手伝うと言われたけれど、一応お客さんでもある以上そんなことはさせられない。そう釘を刺し、私は手早く食器を洗いはじめる。
「遊真、まだ食べれる?」
「うん?」
「食後のデザート。今がいい? もうちょっと食休みしてからにする?」
「そうだな……もうちょっとしたらにする」
そう、と気のない返事を装いつつも内心で安堵してしまった。だって、少なくともそれなりにお腹が膨れるくらい食べられたってことは、……まぁ、まずくはなかったんだなぁなんて。
ところでこれからどうしようかと、食器を洗いながら考える。食後のデザートが後で、となってしまったらそれまで何をしようか。
最後の一枚を濯ぎ終えて、食器かごに干してから水を止めた。遊真は何をしているだろうか。そう部屋の中を振り返れば、手持ち無沙汰にベッドへと腰かけてぼんやりとしている遊真。
「夕飯、満足できた?」
「うむ。たしかなまんぞく」
「それはお粗末様でした」
良かった、と私も満足だ。さすがに結構頑張ったからね、私。下準備どころか事前に練習しておいたくらいだし。報われたものだと胸を撫で下ろしていると、遊真がポンポンと自分の隣を叩くので深く考えずに隣に腰かける。
――そのままベッドについた手に、遊真のそれが重ねられた。
思わずびくりと身体が震えてしまって、我ながら情けない。いや、だってびっくりしちゃうでしょ。何の前触れもなく手が当たるっていうか、むしろ遊真は意図して手を重ねた感じだったし。別に掴まれてるわけでもないそれだけで、私は指一本動かせなくなってしまう。
「……家に上げるのは平気なのに、こういうのはダメなのか」
「だ、ダメっていうか、急にじゃびっくりするでしょ」
「ふぅん? じゃあ断ってからなら大丈夫なんだ?」
ぎし、とベッドが妙な音を立てる。なんとなく危機感を感じてしまうのはきっと、遊真が真っ直ぐに私を見つめているからだろう。恐々と目を逸らしつつ、よせばいいのに何を、と聞いてしまえば遊真の唇がゆっくりとそれを音にする。
「キスとか」
心臓が跳ねて、一気にパニックになってしまう。私は何も答えられなくて、けれど遊真がふっとこちらへ身体を寄せるから余計に頭が真っ白になる。あれ、私まだ、いいって言ってない、よね? でも、遊真はするつもり? と、何も言えない、できないまま反射でぎゅうと目を瞑る。
――ふわりと頬に押し付けられたなにか。
「……え?」
離れていく気配に目を開ければ、遊真と視線がかち合った。私が驚いた声を漏らしたことに、遊真も不思議そうに首を傾げてみせる。
「口にしてもよかったのか?」
「い、いや、それはちょっと」
ダメ、と言ってしまってもいいのか躊躇ってしまって言葉を濁すも、遊真はわかっているかのようにうん、と頷くだけ。い、今の私って何されたんだっけ。ほっぺに、キス、されたんだよね?
「……わ、私まだ、いいって言ったつもりはなかったんだけど」
「そうだったのか? 目を瞑ったからいいのかと思った」
あの状況で平然と見つめ返し続けられる猛者がいるなら、是非ともその心得をご教授願いたいものだ。あんな真っ直ぐな瞳、普段ですら見つめると妙に緊張してしまうのに、恋人同士の雰囲気の中でとなったら私の度胸では無理がある。なんだか、どっと疲れた。
とはいえ、あまりにけろりとしている遊真を見ていると緊張しているのが馬鹿らしくなってしまう。遊真は遊真で多少は悪いと思ったのか、それはすまなかった、と謝ってくれたし。いやまぁ、私も紛らわしい態度を取ったのがダメだったかも。とはいえちょっと強引だったよなぁ。さすがに釘だけは刺しておかないと、とため息交じりに口を開く。
「……今後は確認してからにしてください」
「ほう?」
私の言葉に、遊真は呆けた表情で首を傾げる。え、なんで不思議そうにするんだろう。思わずなに? と訊ねるもいや、と言葉を濁す遊真。また同じことをするつもりかと焦ってしまって、もう遊真を見習って先に断っておくべきなんじゃないかという思いが頭を過ぎる。
「あ、のさ」
「うん」
声をかけて、躊躇って、深呼吸。なんて切り出すのが正解なんだろうか。あんまりストレートに言うのもちょっと、どうかと思うし。言いにくいし。とはいえきちんとしておかないといざ迫られた時にパニックになってしまうだろうことは体験したばかり。私は勇気を振り絞って先手を打つ。
「き、キスはもーちょっと待ってほしいというか……なので」
正直にお願いをしたつもりだ。いやまぁ、ほっぺにキスされたばっかのムードの中じゃ言いづらいけど、言うべきことはきちんと言っておかないとダメだし。しかも、照れてしまって内容が伝わならなければ意味がないので、かなり直球で伝えた、ハズ。それなのに遊真は……なぜか余裕たっぷりにクスクスと笑いはじめる。
「ちょ、ちょっと、人が真面目に」
「桐香はそれでいいのか?」
「……え、なんで?」
至極真っ当な主張じゃないか? っていうか笑っている遊真だって私の主張がダメとは思ってない……よね? 何がいいのかとわざわざ確認されているんだろう。まさか遊真ってば、少女漫画の俺様ヒーローのごとく、キスがお預けになってもいいのかとかそういう意味で聞いているんだろうか。――と、遊真は殊更に笑みを深める。
「おもしろいな。別れるって考えは浮かばなかったのか?」
――今更な指摘にドキリとした。言われてみれば、遊真とキスをする前提の考えだった。私が言ったのはもうちょっと待ってほしいってだけ。自分の気持ちがわかったら、だとかの条件があるわけでもないただの先延ばしは遊真にとっても同じように聞こえたんだろう。このまま付き合いを続けていくつもりというか、むしろ、別れる可能性なんて考えもしてなかった。
「おれ、最初に言ったよな? 付き合ってみて、ちがったりダメだと思ったら別れたっていいって」
「……う、ん」
確かに言っていた。告白された時に、そして付き合おうと言われた時に遊真はそうと言ったのだ。嫌いじゃないなら問題ないだろう。そして遊真の好きと私の好きがどうしても噛み合わなかったら、とも話していた。恋人になったら別れちゃいけないってわけではないんだと。
「つまり桐香は、ちがうともダメだとも思わなかったのか?」
少しの間、頭が真っ白になってしまって、それから……大きく息を吐き出す。
「……降参です」
「ほぅ?」
「何も言い返せません」
いよいよ揚げてしまった白旗。それがどういう意味かもわかっているのだろう。つまりはおれの勝ちか、と遊真は満面の笑顔を見せたのだ。