その後居た堪れなくなった私に助け船を出してくれたのは遊真だった。しばらくの妙な沈黙の後、デザートは食べないのか、と何気なく話を変えた遊真。私はこれ幸いとばかりに用意すると言ってベッドから逃げてきたのだ。
どら焼きに合わせてお茶を用意しようと台所に立ちつつ深呼吸。顔が熱い気がするのは、身体が火照っているような気がするのは、お湯を沸かしているからだ。台所に熱がこもってるからだ、なんてそれっぽい言い訳をしつつまた深呼吸。
私、遊真が好きなんだ。いや、ずっと好きだったんだ、きっと。もしかして、成人だの未成年だのとうだうだ考えていたのは、裏を返せば付き合いたいくらいには好きだったからなのかな。未だに自分の中の迷いは消えないけれど、それでも遊真が好きなんだという一つの指針が見えてしまった。
お茶を淹れて、どら焼きも用意して食卓へと戻る。遊真はまってましたと言わんばかりの表情で座っていて、差し出されたお茶とどら焼きを前にぱちん、と手を合わせた。いただきます、の挨拶をして早速どら焼きを頬張る遊真。微笑ましいおやつの光景を眺めていると、なんで遊真に私の本音が見抜かれてしまったのかが不思議でしょうがない。
「遊真は凄いね」
「んん?」
「私の気持ちなのに、遊真の方がわかってそう」
何気ない呟きに、遊真はふぅん、と感慨もなく相槌を打った。そのまま咀嚼していたどら焼きを飲み込んで、お茶を飲んで一息。遊真は不思議そうに私を伺う。
「自分のことなのにわからないもんか?」
「わからないというか……気づけないというか?」
「変なの」
「だから、自分の気持ちに自信がある遊真は凄いよって話じゃん」
そこまで話して私もどら焼きを頬張れば、遊真も同じようにまた一口どら焼きにかじりつく。
私のことを……たぶん、とは言え特別な意味で好きだと言い切った遊真。きっとそういう自分に迷いがないからこそ、遊真は気兼ねなく私をデートに誘ってみせるし、名前を呼んだりと歩み寄ってくれたんだろう。好きだと思ってくれて、その気持ち通りに行動できる遊真はやっぱり凄い。
「でも、キスとか、嫌がられるかもって思わなかったの?」
「思ったよ。だから待て、って言われてびっくりしたんだが」
「……えぇ……」
さらには嫌がられるかもって思って、それでも踏み込めた遊真って大物じゃないか。もう一度しみじみと凄いね、と零せばそれほどでも、との返事。いや、褒めてるのかなこれ。気持ちとしては褒めてる気持ちが半分と……ちょっとの呆れも混ざってしまうんだけど。
「勝算のない賭けは無謀じゃない?」
「ゼロじゃないだろ。お人好しってのは自分を後回しにするからな」
――ふと、遊真の視線が遠くなった、気がした。
「お人好しってのは疑わないからできるもんだと思ってた。相手が悪いヤツだなんて考えもしない、こっちが相手のことを考えてれば同じように考えてくれるって信じられちゃうようなヤツ」
それは多分、大多数の『お人好し』と評される人のことじゃないだろうか。だってそもそも、自分に対して悪意を向けてくる相手に良くしようなんて思わないだろう。自分を大切にしてくれない人を大切にする義理はない。だからこそ、相手に不義理なことをしないようにする。遊真の言うお人好しっていうのはそういうことのように思うんだけど。
「おれがここに来て初めて会ったヤツはやっぱりお人好しみたいだったけど……ちょっと違った。本人が言うには、自分のタメなんだってさ」
「へぇ?」
「自分がそうするべきだと思うから、相手が悪いヤツだろうがなんだろうが助ける」
凄いね、と素直な感想をもらせば、遊真はだろ、と満面の笑顔で頷く。友達を褒めたつもりだったけど、遊真はまるで自分のことのように嬉しそうだ。
今の話を聞くに相手が悪い奴でも……というならば、たとえ自分に不義理を働くような人間であっても助けるということだろう。それは本当に、生半可な覚悟ではできないことだと思う。自分を蔑ろにするような相手であっても、それで自分に被害が及ぶとしても、自分の信念のために助けるというのは凄いという他ない。
「それで、桐香はまたちょっと違うよな」
「へ?」
遊真の友人に感心していたら、唐突に話題の矛先が私へと向く。
「相手が良い奴でも悪い奴でも関係ないんだろ。悪い奴でも、騙し切ってくれるならそれでいいって」
「う、うん?」
「それでもお人好しでいられるの、凄いと思うよ」
……凄い、のだろうか。というか遊真が言う“私”は本当にお人好しなんだろうか。
自分ではそうと思ったことはなかったけど、遊真に言われて初めて感じたのは“まるで諦めてるみたいだ”ってこと。相手が良い人じゃなくても、むしろ悪い人でもしょうがない。害さえなければそれでいい。今の遊真の言葉はまるでそんなことのように聞こえる。
他人に期待しないというのは良いことなのかもしれない。けれど、他人を諦めてしまうと言い換えたらあまりいい感情を抱かない。むしろ諦められてると思うとなんだか……がっかり、するというか、寂しくないだろうか。でも遊真はそれこそを好ましく思うのだろうか。だとしたら。
「遊真って、期待されるのが嫌なの?」
私が推測した一つの仮説を、遊真は不思議そうな表情ながらも頷いてゆるりと肯定する。
「できることはいいが、できないことはしょうがないだろ」
ふと、付き合い始めの頃のやり取りを思い出す。遊真は長い文章を打つのは嫌だとか、電話もそれほど好きじゃないというようなことを言っていた。その時は代替案も一緒に話してくれていたから、私はそれほど気にしていなかった。けど、今改めて考えると遊真としては“できないことはできないから諦めてくれ”と予防線を張っていたのだろうか。
――ぴり、とささくれを引っ張ったような細い痛みが胸に走ったような。
「……お、時間だ」
「え?」
「迅さんたちにも、あまり遅くまで家に上がるなと言われてな」
いつの間に時間を見ていたのか、遊真は軽く身支度を整えると名残もなく玄関へと歩いていく。見送ろうとその後ろをついて歩き、遊真が靴を履いて玄関の扉へと手をかけるのを見守って。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「うん。帰り道、気をつけてね」
遊真は来る時と同じようにあっさりと帰っていった。パタン、とドアが閉まる音を聞き届けて一息。少しして靴音が遠くなっていくのを確認してから、戸締りのために鍵をかける。
「……落ち着こう、私」
遊真が好きなんだと自覚したばかりだと言うのに、妙な不安で胸がざわつく。
これまで恋人という肩書を持っていたって、私は私で遊真は遊真だった。年上だからと甘えることを自分で律することができたし、求めようなんて考えなかった。ただ、名前だけの恋人なんだと、そんな感情なんてないんだと思って、思い込んでいたから。
だから――恋愛感情を自覚してしまった――今、なぜだか無性に、寂しいと思ってしまう。
私だって料理なんてそんな得意なわけじゃないんだよ。でも遊真が食べたいって言ったから、わざわざ練習して、用意した。遊真は美味しいって言って食べてくれたけど、ねぇ、私ができないから諦めてって言ったら、諦めたの?
「……大丈夫」
言葉で無理矢理に活を入れる。大丈夫。だって私は“年上”で、遊真は“年下”なのだ。今までも、これからも、関係は変わらなくていいのだから。