現在、レポートの提出期限を目前に控えた深夜十一時。さすがに締め切り前なので、今日はバイトも入れずに家にこもってノートパソコンとにらめっこしていた。けれどさすがに疲れてくるし、頭は重いし、なんかもうとにかく、糖分が欲しい。限界を迎えた私は適当な恰好のまま、財布と携帯だけ手にもって最寄りのコンビニ――つまりは、いつものバイト先へと足を運ぶことにした。
家から近いコンビニをバイト先に選んだのだけど、こういう時はちょっと憂鬱。だって気兼ねなく行けるのがコンビニの利点なのに、同僚がいると思うと少しだけ腰が重くなってしまうから。とはいえ深夜シフトに入るとしたら店長か西岡先輩くらい。二人にはもうとっくに気の抜いた姿を見られているのでそれほど身なりに気を遣うこともなく。
だから、まさか、入店して目に飛び込んできた光景に思わず足を止めてしまったのだ。
「あれ、シフト入ってないけど手伝いにきてくれた?」
「こんばんは、湊川さん」
「…………こん、ばんは」
先輩の軽口に反応する余裕すらなかった。だって先輩がフライヤーで何やらを揚げている、そのすぐ後ろのレジカウンターには非行少年がいたのだから。
「あれ、湊川さんも知ってるのか?」
「ここで働いてるだろ?」
「そうそう。ほんっともうココの常連だなぁ」
非行少年はやはり先輩ともそれなりに親しいらしい。私も先輩に声をかけられた手前、返事をしたいのだけど話に割って入るのも憚られる。そうでなくても顔見知りの少年と適当な恰好で遭遇してしまった私としては、居心地の悪さを感じているのだから。
結局何も言えずに立ちすくんで、どうしようかと悩みはじめた矢先。ぴぴぴとフライヤー脇のタイマーが鳴って、すぐに西岡先輩の手によって止められる。深夜の時間帯は日にもよるけど、揚げ物系は売り切った時点で補充をしない。お客さんが減る深夜はそうそう出ないし。だから注文があれば時間がかかることだけ断って、その場で揚げて出すのがマニュアル通りの対応だ。店内には少年以外の姿が見えず、だからきっとあれは少年が注文したのだろう。
「ほら、揚げたてだから気をつけろよ」
「うん。ありがとう」
予想通り商品を受け取ったのは少年だ。何となく動けないままだったけれど、時間も時間だし少年はそのまま帰るだろう。見送ったらようやく私も買い物ができる……と思っていたら、レジ袋を受け取った少年は何故か私に声をかけてきて。
「湊川さん、これから仕事なのか?」
話題の矛先が自分に向いて、え、と口ごもってしまう。この前は仕事中だったからどうにか対応できたけど、こう普通の状態で唐突に話を振られるとびっくりしてしまって。割とフレンドリーな子なのかな。そう戸惑っている間にも、先輩が口を挟んでくる。
「違う違う、どーせ修羅場中なんだよ」
「ふーん? いつもの西岡さんみたいにか?」
「大学生のレポートってのはいつまでも終わらねぇからなー」
……一理はある。が、あまり少年を脅かさないでほしいものだ。ゆるりとした雰囲気の二人の会話に負けじと私も口を挟む。
「終わらないのは先輩が締め切りまでレポートに手をつけないからです」
「ははっ、まぁな」
「ふむ?」
私が口答えしたからか、今度は素直に先輩を伺う非行少年。先輩がレポートの提出を理由にバイトにギリギリ遅刻するのは決して珍しいことではなく、聞けば締め切りが近づかないとやる気が出ないとかなんとか。つまり先輩は、夏休みの宿題をギリギリにやるタイプ、ってこと。
「まぁ、また後期終わったら過去問とか流すからさ」
「それは嬉しいですけど。遅刻は控えてくださいね」
レポートに追われる先輩が遅刻する分を、同じ大学の後輩であるよしみで夜間シフトに入った私が補うことも多いのだ。ということで強請った、講義ノートと過去問で持ちつ持たれつ。そんな私たちのやり取りを眺めていた少年はなるほど、と手を打つ。
「湊川さんはマジメなんだな」
「……おい俺が真面目じゃないみたいだろ」
「仕事によく遅刻するのはマジメじゃないと思うぞ」
少年の冷静な指摘に先輩が言葉に詰まった。非行少年、なかなか厳しいところつくなぁ。とは言え、真面目だのなんだのを言うなら非行少年はどうだろう?
「それを言うならキミも、こんな時間に出歩くの危ないと思うよ」
店長と同じことを私からも言われたからだろう。少年はげんなりとした表情を隠すこともなく、さらには唇まで尖らせて不満げな顔。間を取り持つように先輩が、苦笑いを浮かべながらも少年をフォローする。
「いつまでもガキじゃねぇんだから、コンビニで買い物するくらいなぁ」
「とはいえ色々物騒ですし、時間も時間ですし」
「別に、湊川さんには関係ないだろ」
私と先輩のやり取りに口を挟んできた少年はまさに不機嫌です、といった雰囲気。関係ないと言われてしまえば確かにそれまでなんだけど、こうも邪険にされてしまうとは。やっぱり思春期の男の子にはお節介だったろうか。そう返す言葉に迷っている間にも少年はそれに、と言葉を続ける。
「自分の身くらい自分で守れるよ」
――ぞくり、と悪寒。
うまく言えないけど、強がっているとか子供ながらの無鉄砲さとは程遠い真剣さを感じたのだ。なんなら、今すぐにでも組み伏せられそうなくらいの。少年の鋭くも見える眼差しは私だけに向けられていて、だからだろうか、先輩は呑気な雰囲気のまま言葉を重ねる。
「男は無茶して痛い目みてたくましくなるんだって。まぁ、本当にヤバイ時はその辺の家なりここに駆け込むとか、なんとかできるだろ」
先輩の話を聞きながらも、私は少年から目を逸らせない。少年も、私から一向に目を逸らさない。蛇に睨まれた蛙のようだった私は、よくわからない恐怖にいよいよ一歩後ずさってしまう。
途端に、少年がふいと視線を逸らした。同時に私たちの間の張り詰めた雰囲気が霧散し、少年は何食わぬ顔で先輩を見上げて笑顔を見せる。
「じゃあ、おれは帰るよ」
「おう。気をつけて帰れよ」
先輩と挨拶を交わして自動ドアへと足を向けた少年。ただ帰るだけだとわかっているが、その通り道には私が立っているのだ。向かって歩いてくる姿にさっきの名残で、思わず身を引いてしまう。そう道を空けられたことを気にも留めず、少年は私へも当然のように声をかける。
「湊川さんも、じゃあな」
「……気をつけて、ね」
さっきまでの雰囲気が嘘のように平然とした表情。まるで何事もなかったかのようで、うっすらと微笑んですらいるように見えるほど普通の顔で、少年は傍を通り過ぎていく。すぐに背中しか見えなくなり、自動ドアをくぐり抜けて闇夜へと消えていく少年を見送って、ようやく私は安堵して息を吐いた。
「ほら、湊川さんも早く買って帰らないと、レポート間に合わないんじゃね?」
「……そうですね。そうします」
あまり口うるさく言い過ぎただろうか。それにしたって、店長に対しては心配性だのなんだのほのぼのした雰囲気だったのに、どうして私にはあんな目をしたんだろう。しつこくし過ぎただろうか。
そんなことを考えながら、私はともかく本来の目的のためにコンビニの陳列棚へと意識をうつす。次会った時は少し気まずいなぁ、なんて考えながら。