離れていても、見送り一つ
 ボーダー玉狛支部公認の元、近界民であるユーマとの同居生活は継続中。
 イレギュラーゲートの一件で三門中学が年内休校となってしまい、代わりにというべきか、入隊が決まったからとユーマは朝から晩まで訓練に出ずっぱりだった。年末年始だけは一緒に過ごしたものの、三箇日が終わった平日からはまた訓練に出かけるようになったユーマ。近界民とは意外に勤勉なのか。それとも、ユーマの性格なのだろうか。
 私も、連休が終わってまた仕事が始まってしまった。すると私とユーマの共有する時間は、朝の僅かな時間と、夜遅くにユーマが帰宅した際のちょっとした時間くらい。

「ただいま」

 ユーマの帰宅の声が聞こえたので、台所で洗い物をしていた私は現れるだろう扉を眺めて待つ。少しして予想にたがわず開いた扉。姿を見せたユーマに「おかえり」の挨拶。

「今日が入隊式だったんでしょ? どうだったの」
「無事に入隊できたぞ」
「そ、よかったね」
「これはおみやげだ」

 ユーマはそう言って、提げていた紙袋を示す。どうやら今日も、玉狛の夕飯の残り物をいただいてきてくれたらしい。

「ありがと。ちゃんとお礼言ってくれた?」
「もちろん」

 私があまりに自炊をしないことが、残念なことにユーマを通して林藤さんと迅さんに伝わってしまったらしい。それで、私には世話になっているからということでそれとなく、残り物があればユーマに……正確には、ユーマを通して私におかずをわけてくれるようになって半月近く経つ。

「玉狛の人たちはいつも偉いね。学生なんでしょ? 皆で自炊するなんてすごいよね」
「おれも作ってるんだけど」
「ウソ、作れるの?」
「まだ練習中」

 夕飯は玉狛で食べてくる癖に、どうにもユーマは燃費が悪く、帰宅するなり食料を漁り始める。気付けばお菓子やら何やら食べてる気がするが、太らないのだから羨ましいものだ。
 洗い物を終えた私は私で、今日のおかずはなんだったのか物色。お肉の比率が高い野菜炒めなので、おそらくレイジさんと言う人が当番だったのだろう。頻繁にもらってくるものだから、最近ではいただきものを詰めて会社にお弁当すら持っていくよう習慣づいてしまった。

「カエデは? いつになったらボーダーに行くんだ?」
「ん〜、引継ぎはしてるけど、さすがに急だったからね……」

 そう、私もどうにかボーダーへの就職を決めていた。年末の忙しい時期だというのに、履歴書を送った翌日にはすぐに今後の採用試験の日程が伝えられ、迅さんの不穏なアドバイスを思い出した私は慌てて職場に退職の相談もはじめたのだ。
 結局、一回の採用試験と一回の面接をこなしただけで、年始早々には採用が決まったと連絡をもらった。門戸が狭いのではなかったかとちょっと驚いたけど、とりあえずは肩の荷も下りたというものだ。現在は、出社日を引継ぎ業務に費やす日々。

「とりあえず、ボーダーに行くのは来月からってことで話はしてあるよ」
「ほぅ。じゃあおれの方が先輩なわけだ」
「お手柔らかに頼みますよ、先輩」
「まかせろ」

 お世話になってきた現在の職場に未練がないわけではなかったし、引き止められもした。けれど、私も後には引けないからとボーダーの名前を告げたら、職場も理解を示してくれたのだ。私が家族を大規模侵攻で失っている事情を知っていたから、きっと強くは引き止められないと察したのだろう。
 まぁ、実際のところ家族がどうこうという事情はまったく関係ないんだけど。幸か不幸か、近界民……ユーマと出会ってしまった日から、私の人生は大きく舵を切り始めてしまったというだけ。果たしてこれが吉と出るか凶と出るか、神のみぞ知るというやつである。

 さて、ユーマは夜のおやつを食べながらもようやく机の上の紙袋に気づいたらしい。分けてもらったおかずの入っていたタッパーを洗って乾かし、定期的にユーマに返す。習慣づいたそれにユーマも、「これは明日持ってくな」とだけ私に告げる。

「いい加減、お礼に何か差し入れした方がいいかな」
「いらないんじゃないか? 一応カエデのことはボスと迅さんしか知らないって話だし」
「ユーマからってことでいいじゃん」
「おれは隊員なんだから、変にお礼なんて持ってった方が怪しいだろ」

 確かに、と唸る。私としてはかなり恩恵にあずかってるものだからお礼の一つでもしたいのだけど、現状共犯者は私とユーマ以外には林藤さんと迅さんだけ。一般人が近界民のボーダー隊員を知っているだなんて問題だろうし、共犯者は少ないに越したことはないだろう。

「っていうか、それなら皆はユーマがどこに帰ってると思ってるの?」
「……さぁ?」

 ユーマは興味なさそうだけど、そんなもんだろうか。まぁ隊員のプライバシーにあまり突っ込むのもどうかと思うし、近界民であってもそうなのかな。とは言え近界民の帰る家が日本にあるって、普通に考えたらなんかおかしいって思いそうなものだけど。

「まぁそれはあれだ、キギョーヒミツってやつだ」

 ……合ってるんだか間違ってるんだか。



 気づけば、一月ももう下旬へと差し掛かろうとしている。ボーダーへの出勤日も迫り、業務の引継ぎも大詰めだ。
 私は忙しなく午前の仕事を終えてようやく昼休憩へと入った所だった。やっと一息つけると昼食を摂っていると、唐突に、警報が鳴り響く。

『ゲート発生、ゲート発生――』

 ボーダーからの通達が響いてきて、思わず窓の向こうを見た。今日は晴天だったはず。なのに、いつの間にか雨雲とも違う厚い雲が空を覆っている。あげく一見するだけでは数え切れないほどの黒い穴までもが空を埋め尽くしていく。まるで、いつかの大規模侵攻と同じような。
 一目で異常事態とわかるからだろう、社員一同慌てて避難をはじめていた。それぞれが逃げるようにと声を上げ、シェルターへの誘導をしはじめる人もいる。私も人の流れに乗って移動を始めていると、耳元で聞き覚えのある声が響いてきた。

『カエデ、返事はしなくていい。ユーマから指示を受けてきた』

 お目付け役、レプリカの声だ。人ごみの中で会話していると怪しまれると配慮してくれたのだろう。私が返事をしなくても、レプリカはそのまま耳元で話し続ける。

『カエデのいるここは警戒区域にそれほど近くない。落ち着いて避難しよう。そうすれば問題はない』

 ――大丈夫、なのか。あんなにたくさんのゲートが開いていたのに。きっとまた、たくさんの近界民があのゲートを通って三門市に侵入してくるのだろうに。そうしてまた無差別に建物を破壊し、人をさらおうとしているのだろうに。

『ボーダー隊員も交戦を始めた。ユーマも加勢している』

 そんな奴らを相手にして、大丈夫なの? 相手にできるの? ユーマって、強いの? 近界民が近界民と戦えるの? ボーダーというなら林藤さんは、迅さんは大丈夫なの?

『シェルターまですぐだ。避難を優先しよう』

 怖くて、不安で、次々と浮かぶ思考を落ち着いたレプリカの声がいなしていく。まるで、考えてはいけないと言われているようだ。いや、考える必要はない、か。私はただ、逃げるだけ。自分の命を守ることで精一杯だ。

 誘導に従って、どうにか無事にシェルターへとたどり着く。ぎゅうぎゅうと押し込まれ、どこもかしこも人だらけ。果たしてシェルターの定員は守られているのかどうか。そう大量の人でごった返す中、色んな声が耳に届いてきて。

「酷いゲートの数だったな。大丈夫なのか……?」
「待って! その子はウチの子なの! 通して!」
「電話が通じない……頼む、無事でいてくれ……!」
「ちょっと痛い! やめてよ!」

 声、声、声、声。どよめきの声。非難の声。恐怖の声。不安の声。
 ――怖い。

『カエデ、少し話をしても大丈夫だろうか』

 雑踏の中の孤独に押しつぶされそうになっていた私を、耳元のレプリカが救い上げてくれる。

「な、に……?」
『カエデ、無事か?』

 続けて聞こえてきたのは、レプリカとは違う声。誰だろうかと面食らうけど、レプリカから連想できる人物なんて一人しかいない。

「ユーマ……ユーマなの?」
『おう。無事に逃げられたみたいだな』

 よかった、と響く声はいつものユーマの声ではなかったけれど、ユーマだとわかる。ユーマ、大丈夫なのかな。加勢しているって、戦ってるってことじゃないのかな。

『悪いが、事が終わるまでそっちに行けなくなった。逃げられたなら、そのままレプリカといてくれ』

 言葉が出ない。大丈夫か、なんて聞いていいのかな。何かあったのか、なんて聞いたってきっとわからない。けれど、なんて声をかけていいのかわからない。

『それじゃあ――』
「ゆ、ユーマ!」

 話が終わる。そしたらきっと、ユーマは戦いに行くのだろう。もう話せなくなってしまう。そんな気配が怖くて、私は思わず呼び止めてしまった。返ってくるのは『どうした?』の声。何を、言えるだろうか。言いたいだろうか。
 ――どうしたら、後悔しないだろうか。

「……っ、気を付けて、ね」

 やっとの思いで絞り出せたのはそんな言葉だった。そんなのきっとこれから戦いに赴くユーマの方が百も承知だ。それでも、それでもただ、脳裏を過ぎるのは――誰もいない、我が家。

『……おう、行ってくる』

 ふ、と気配が消える。冷静になると、今の私はどうやってユーマと会話していたのだろうか。実感だけが先行して呆けていると、続けてレプリカの声が聞こえてきた。

『ユーマが戦っている間は私がカエデをサポートする。安心していい』
「レプリカ、レプリカも、気を付けて」
『大丈夫だ。私はここにいる』

 お願い、お願い。どうか、どうか早く終わって。そんな祈りを心の中で必死に繰り返す。
 まだ逃げている人がいるのかもしれない。助けを待っている人がいるのかもしれない。戦っている人がいるかもしれない。助けている人がいるかもしれない。だから、どうか、はやく近界民がいなくなってくれますように。お願い、お願いだから。

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