長い、長い時間。ただ祈るしかできない時間は私に一秒一秒を刻みつけ、まだたったの一秒だとあざ笑いながら過ぎていく。
最初はごった返していたシェルターの中も、今では落ち着きを取り戻しつつあった。一時は出入口の方から「これ以上は無理です! 近くのシェルターに移動を!」だとか、「向こうもダメだったの! お願い、助けて!」と悲鳴にも似た懇願が聞こえてきたけれど、人の出入りがなくなれば次第に動揺はなくなっていく。
今聞こえるのは、閉鎖空間の恐怖に耐えきれなかったかのような誰かのすすり泣く声。ぼそぼそと、慰めているのか、励ましあっているのか微かな話し声。時たま赤ん坊がぐずる声や、誰かの優しく温かい「大丈夫だからね」の声。避難者はそれぞれ身を寄せ合い、座り込み、ひたすらに過ぎる時間を待ち続ける。
突如、ことりと何かが胸元に触れた。続いてかつん、と床に何かが落ちたような音が響く。
私が何か落としたのだろうか。心当たりはなかったし、足元には特にそれらしいものが見当たらない。とは言え、肩が触れ合うくらいの距離に人がいるのだ。今の視界はあまりに狭い。
逆に言えば、落ちてもそれほど遠くには転がっていかないだろう。周りに配慮しながらも床を手だけで探れば――何か固いものに触れたので、これだろうかと摘まみ、どうにか目の前へと持ちあげた。
「……っ!」
声を上げそうになって、どうにか堪える。さすがに避難したシェルター内では、私のちょっとした悲鳴が大混乱を引き起こしかねない。
けれど、でも。
「……、っ、……」
恐怖の限界だった。レプリカ、これはレプリカの分身だ。さっき声が聞こえていたのも、ユーマと話せたのもきっと、レプリカの分身が傍にいてくれたからだ。
じゃあどうしてレプリカの分身が唐突に転がり落ちたのだろうか。いつもならふわふわと浮いていたというのに、まるで電池が切れたかのようにピクリともしないのは、どうして?
――レプリカの本体に、何かあったのではないか。
「大丈夫よ」
私が泣き始めてしまったのを察知したのだろう。傍にいた年配の婦人が私に優しい声をかけてくれる。
「大丈夫、大丈夫だからね。きっと、もう少しで出られるから、頑張りましょうね」
優しい声を聞くほどに、涙が止まらなかった。怖い、怖いよ。嗚咽を堪えて何度も涙を拭う私の背中を、婦人は繰り返し優しく撫でてくれる。温かさに涙が止まらなくて、息が詰まりそうだった。
そうしばらくはすすり泣いていた私だったけれど、少しして急に視界が明るくなって我に返る。――シェルターが開いたのだ。
「皆さん、大丈夫ですか!」
「ボーダーから、近界民が撤退したと発表されました。もう大丈夫です!」
わぁっ、とシェルター内が歓喜に湧き上がる。よかった、助かったと喜ぶ声。同時に早くここから出してと懇願する声も上がる。主人と連絡が取れないの。家族が無事か、確かめないと。それぞれが口々に見ず知らずの他人と喜び合いながら、助け合いながらシェルターから去っていく。
私も流れに乗っていよいよシェルターから出た。今朝と変わらない青空が眩しい。近くにはレスキューらしき人たちがいて、出てきた人たちそれぞれに声をかけている。
「大丈夫ですか? 具合が悪ければ、あちらに――」
「大丈夫です。ありがとうございます」
避難しただけで怪我もしていないし、外に出られたことで気持ちも落ち着いてきた。遠くには立ち上る黒煙の筋がいくつか見えるが、ボーダー本部の建物は健在だ。とにもかくにも、私はまた助かったらしい。
「お嬢さん、もう大丈夫?」
背後からの優しい声に振り返れば、そこには私の背中をさすって慰めてくれていた婦人の姿があった。ふいにまた泣きそうになるけれど、落ち着きを取り戻した私はぐっと堪え、どうにか笑顔を浮かべる。
「さっきはありがとうございました」
「お互い様よ。さぁ、頑張りましょうね」
「はい」
私は片手に握りしめた固い感触を確かめる。レプリカはまだ、ここにいる。――動かないまま。
*
騒ぎの中では家に帰るのも一苦労だった。やっとの思いでたどり着いた我が家は奇跡的に被害を受けておらず、家を出た時と変わらないままそこにある。この家もまた、助かったらしい。
それからは数日間ライフラインの復旧まで耐えたり、近界民のために用意していた備蓄食料で飢えを凌いだり。その内に交通などのインフラも最低限の整備が終わり、会社にも行けるようになれば今度は会社での復旧作業だ。そうして日毎に少しずつ、日常が日常の姿を取り戻していく。
――けれど。
「レプリカ。今日もユーマ帰ってこないよ」
声をかけてみても、レプリカはうんともすんとも言わない。レプリカの本体は今どうなっているんだろうか。レプリカの分身はつんと突いても、ベッドに潜った私の脇に転がるだけ。
ユーマは今、どうしているんだろうか。無事だろうか。便りが無いのは元気な証拠と言うが、果たして今どうしてるんだろう。ボーダーに聞くのが確実だとは思ったが、今はまだ第二次大規模侵攻と名付けられた今回の騒ぎの事後処理で大忙しだろう。林藤さんの電話番号だって、とてもじゃないがかけられない。
――だって、私はただの同居人だ。だから今、ユーマとレプリカがどうしているのかわからないのだ。
「……大丈夫、だよね?」
一人でレプリカに話しかけている時ほど心細いものはない。朝起きればやることはあるし、会社に出勤さえすれば仕事もあるし同僚もいる。帰宅する時だってたくさんの人がいるし、近所の人と挨拶を交わしたりする。家に帰っても寝る前に、明日の支度や食事などやらなければいけないこともたくさんある。
だから、こうして寝ようとベッドに潜ると――何もないあまり、不安でたまらなくなるのだ。大丈夫、大丈夫。言い聞かせても思考は巡る。ボーダーにも被害があったという。連れ去られた訓練生もいると言う。ユーマは訓練生だった? じゃあ、まさか、近界民に連れ去られた? それとも何かあって、またゲートの向こうに戻ってしまった? 私に、何も言うことなく?
「……大丈夫、大丈夫……」
言い聞かせるように繰り返す。けれど、不安でやっぱり涙が滲む。ダメだ、今日も泣き疲れて眠ることになってしまう。
――ガチャン、と遠くから響く、音。
私はベッドから跳ね起きて自室を飛び出た。幻聴かな。いや、でも違う。今のは絶対に聞きなれた音だった。ウチの、玄関の音だった。
転びそうになりながらも階段を駆け下りて見れば、玄関にはぽつり、ユーマの姿。
「すまん、遅く――」
ユーマが何か言おうとしているのもおかまいなしにユーマへと駆け寄る。その勢いのあまり、私は上がりかまちからがくりと足を踏み外してしまった。咄嗟のことに思わず目の前のユーマに縋る。ユーマもまた、転ばないようにか私の肩を支えてくれる。
触れている。触れられている。じゃあやっぱり、幽霊でも幻覚でもない、本当に、ユーマがここいるのだ。
「……お、かえり……っ!」
帰ってきた。帰ってきてくれた。私だけじゃない、ユーマも、ここに。
嬉しくて、安心して、あっという間に目の奥が熱くなって視界がぼやけていく。ぼたぼたと落ちる涙を拭うこともできない。ユーマを掴む手が離せなくて、ただ泣き続けるしかできない。
「……ただいま。ごめんな、待たせて」
優しい声と一緒に、そっと頭を優しく撫でられた。待ってたよ。そう言いたかったけど、私はもう何一つ言葉にできなくてただ、泣き続けるしかなかったのだ。