いよいよ問題、最深部へ
「……え? レプリカが、連れ去られちゃったの?」
「うん」

 ユーマの帰宅を喜んだのも束の間、教えられたのは分身レプリカが動かなくなってしまった理由だった。近界民と戦って追い返す最中で、レプリカの本体が近界民と一緒に向こうの世界に行ってしまった、と。

「じゃ、じゃあ今ボーダーが近界遠征がどうのこうの言ってるのって……」
「そうそう。おれもその遠征に参加するために、とりあえずはボーダーで頑張るって感じだな」
「どうして? ここに来たように、ユーマは向こうに行けるんじゃないの?」
「いやぁ、レプリカがいないとそれも難しくてな」

 私の目の前に突然現れたように、ユーマには向こうの世界とこちらとを行き来する手段があるのではないか。そう思ったが、それはレプリカの恩恵によるものらしい。つまりユーマとしても、近界民でありながらも故郷に帰るにはボーダーの力を借りる必要がある、ということか。

「……ユーマ、強いの?」
「たいした実力です」

 ……日本語がちょっと怪しい。それでも、にかりと笑うユーマには勝算があるんだろう。ボーダーで勝ち上がるための、そうして遠征に参加するための、最後には、レプリカを連れ戻すための。

「……そっか。頑張れ、ユーマ」
「おう」

 それから少しだけ、大規模侵攻の後の話を聞いた。ユーマの友達が危ない目にあったり、ユーマ自身もレプリカ本体と別行動をしていたから状況を調べたり、色々あったらしい。機密だからと詳細を教えてもらえない部分もあったけど、空白の期間が少しだけユーマによって埋められて、私はようやく不安を昇華しつつあった。

「しかし申し訳ない。忙しくしてたら、カエデに何も言ってないことに今日気づいてな」
「ううん。今回は大変だったんだししょうがないよ。でも……」

 わざわざ言う必要があるだろうか。躊躇ってしまったけれど一度言いかけたために、ユーマからも様子を伺うように「なに?」と訊ねられてしまった。私は言葉を選びながら、でも、の続きを口にする。

「今度また何かあったら、一言でいいから、連絡もらえると安心する」

 恐る恐る告げた懇願に、ユーマは間髪入れずに「わかった」と言ってくれた。そもそもが、家を空けるだとか何かがある度に私に伝えてくれていたユーマだ。今回そんな余裕がなかったのであろうことなど疑う余地もないし、これ以上は言うこともないので話題を変える。

「とりあえず、今日はもう寝ようか。私も明日仕事に行ったらもうおしまいなんだ」
「いつからボーダーに来るんだっけ?」
「二月三日だよ」
「ほぅ、楽しみだな」

 ユーマはそう言って笑うけど、広いボーダー本部で事務官と隊員が接する機会なんてそんなにないんじゃないだろうか。――と、今更な疑問が湧く。

「ユーマが近界民だってこと、玉狛の人たち以外にも知ってる?」
「うーん、まぁ知ってる奴は知ってる」
「じゃあどうする? 私と、ユーマ」

 「どう?」と不思議そうに首を傾げるユーマに説明を続ける。ユーマが隊員として書類を提出していて、私もボーダーへ履歴書を提出して採用されてしまった今、同じ家で暮らしていることは誰に知られてしまってもおかしくない状況だ。まぁ、何百人とボーダーに所属する人がいる中で、私とユーマの住所が同じことに気づく人がどれほどいるかはまた別の話だけど。

「遠縁の親戚……って言うと、近界民と? ってならない?」
「普通の奴は大丈夫じゃないか? ここ、親父の故郷だし」
「…………え?」

 あれ、と疑問。ユーマのお父さんの故郷が日本か――三門市? それなのに、ユーマは近界民なの? じゃあユーマのお父さんって何者? 人間? それとも、近界民?
 パンドラの箱を突いてしまったかのように背筋が冷えたので、これ以上考えることはやめにする。うん。必要以上に聞いて首を突っ込んでしまったら、もっと人生変わっちゃいそう。

「……えっと、うん。普通の奴はってことは、そうじゃない人は?」
「きど司令とか。ボスもそうだけど、偉い奴らはおれの親父を知ってるから、怪しまれはするかも」
「…………大丈夫なの?」
「わからん。だからボスと迅さんと、やれるだけのことはやっておこうってなったんだし」

 ……数日後には初出勤日だと言うのに胃がキリキリしてきた……。ボーダー上層部からしたら私だって共犯者なわけだし、そんな人たちに目を付けられながら働くのとか、耐えられるのかな。大丈夫かな。



 そう怯えながらも迎えた記念すべき初出社の日。
 ボーダーの人に迎えられて連絡通路からボーダー本部内へと入り、まずは入社にあたって必要な書類などの記入と提出。本部基地に入るためのトリガーを始めとする支給物の確認。その後は、案内された先で水沼部長をはじめとする人事部の方々へのご挨拶だ。これから何はともあれお世話になる部署でもあるし、同時に――今回私が配属された部署もここ、人事部だった。
 聞けば、第二次大規模侵攻後に報道された近界世界への遠征の件で三門市は大盛り上がりであり、入隊希望者が続出しているらしい。現在も続々と入隊希望の書類が届いており、これまでは四か月毎だった新規入隊の受け入れを、しばらくは毎月行うとのこと。そうなると人事もてんてこまいで、とにかく猫の手も借りたい。ということで急遽、ここへの配属が決められたのだとか。

「さて、じゃあ早速だが書類の整理とデータ管理の仕方から始めよう」
「はい。よろしくお願いします」

 初日からとにかく酷い量だったが、だからこそ自分が配属されたのだ。最初は単純作業からということもあったし初日だから指導もひどく優しい。これなら無難に一日が終わる――と、予想していたのだけど。

「結川さん」
「はい?」
「林藤支部長がお呼びだ。今日こっちは終わりにして、後は林藤支部長に引き継ぐ」

 見れば、出入り口には既に林藤さん――林藤支部長が待っていた。私の視線に気づいてひらひらと手を振っているので、まずは会釈で応えておく。そのあと上司の言う通りに今日の業務は終了として後片付けを済ませ、お疲れ様でしたと挨拶も済ませてから林藤支部長の元へ。

「入社おめでとう。初出勤日はどうでした?」
「えぇと、とりあえずは何事もなかったかと」
「結構。じゃあ、行きましょうか」

 ――どこへ、とは聞けなかった。もう既に嫌な予感しかしなかったからだ。
 まだボーダー本部の中はどこに何があるのかわからないし、林藤支部長がどこに行こうとしてるのかもわからない。だからと一生懸命に林藤支部長の後を追い続ければ、その先には迅さんとユーマまでいるではないか。

「お、カエデ」
「結川さん、入社おめでとうございます」

 迅さんに「ありがとうございます」と答えつつ、さらに嫌な予感が増していく。だってこのメンバーが揃ってどこに行こうというのか? 私の一歩前を歩く林藤支部長は平然としているし、私の後ろに続いたユーマと迅さんの会話は否応なく私の耳に届いてしまう。

「カエデは今日が初めてのボーダーなのに、もう行くのか?」
「そりゃあ後に遅らせるほど結川さんが可哀想だし、遊真が特級戦功とってB級開幕戦の活躍も見せた今の方が交渉しやすいだろ?」

 ユーマの『もう行く』という言葉と、迅さんの『交渉』という言葉。玉狛支部に行くわけでもない、どうやら本部建物の中に行き、そこで交渉するとしたら――

「やぁ、皆さんお待たせしました」

 扉を開けた林藤支部長が朗らかに声をかけたのは――明らかに、偉いですって雰囲気の人たちだ。どう考えても場違いだろうに、何故私は今ここにいる?
 私が入るのを戸惑っていると、さぁさぁと後ろから迅さんに背中を押され入室させられてしまった。林藤支部長は目の前の椅子を引いてくれて、誘導されるがままに席に座るしかできない。林藤支部長は――もしかして、定位置なのか――奥の方に一つ空いていた席へと移動してしまい、私を挟むようにそれぞれ迅さんとユーマが傍に立つ。

「……改めて、入社歓迎しよう。私がボーダー本部司令、城戸だ」

 想像以上にものすごく偉い人だった。たぶん、私の記憶違いでなければこの人が、ボーダーのトップじゃないか。

「は、初めまして。結川と申します」

 緊張で少し声が震えてしまったけど、とにもかくにも挨拶第一。精一杯名乗りながら頭を下げ、顔を上げてみても城戸司令の表情はぴくりともしていない。とにかく愛想がないものだから、粗相をしてしまったのかと不安でたまらなくなる。
 一方、林藤支部長の隣にいた人がわずかながらに微笑みを返してくれて、城戸司令に続いて名乗ってくれる。

「私が本部長の忍田だ。結川さんは人事部だったな。隊員のことでは私も、結川さんにお世話になる人間だ。よろしく頼む」

 私が人事部に配属されてることを知っていて挨拶してくれた忍田さん。続いて開発室室長の鬼怒田さん。メディア対策室の根付さん。最後に、営業部長の唐沢さん。ものの見事にボーダー経営陣というか、各部門の長が一堂に会する非常に息の詰まりそうな状況であることを再確認する。

「さて、では本題に入ろう――」

 城戸司令の静かで低い声が室内に響く。それはまぁ、これだけお偉いさんが総出で私の入社を祝って終わる、筈がないですよね。私は机の下で自らの拳を握りしめ、これから行われるであろう話合いへの覚悟を決めた。
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