あなたと一緒、日常は続く
 ――気づいた時にはぱたん、と背後で扉が閉まる音がして我に返る。

「……え、どうなったの……?」
「え? カエデ、話聞いてなかったのか?」

 隣にいたユーマに怪訝そうな顔で見返されるが、いやいや待ってほしい。そもそも中途入社初日で社長含む経営陣に尋問されたようなもので、平気でいられるほど私は精神が強くないんだけど。

「遊真はしばらく討伐報酬の減額。おれとボスは厳重注意でしたので、実質お咎めなしですよ」
「わ、私は……?」
「いやいや。結川さんは巻き込まれただけなんで、何もないですって」

 未だ全く実感が湧かないが、とりあえずは無事……無事? に、問題は決したらしい。

「さーて、じゃあ俺は結川さんを送っていくし、遊真も玉狛に連れて行く。迅はどうする?」
「ん〜。おれはちょっと本部の様子見回ってくる」
「そうか。じゃあ遊真、結川さん、行くぞ〜」

 「了解」と答えるユーマに続いて「はい」と答える。時刻は定時よりちょっと早いくらいだけど、今日はこれで帰らせてもらえるらしい。別に自力で帰れるんだけど、今日はまぁ、とにかく精神的に疲れたからお言葉に甘えさせてもらおうとおずおず付いて行く。
 案内された車に乗り込み、発進するや否や「さて」とユーマが声を上げて。

「カエデ、おれ、今日は帰らないぞ」
「あ、そうなの?」
「夜の防衛任務に出るんだ。朝までだし、終わったら玉狛でご飯食べてから学校かな」
「……寝なくて大丈夫?」

 随分とハードなスケジュールに心配してしまうけど、当の本人はけろりとした顔で「平気」と答えている。前も何日か家を空けていたし、近界民ってタフなんだな。「わかった」と答えれば、「明日は帰ると思う」というので続けて頷く。
 ユーマは一応、そういう話は本部でしないように気を遣っていたのだろう。今後は何か連絡手段も考えなければいけないな、なんて考えつつも取り留めもない会話をしていると、早々に玉狛支部へと到着したらしい。

「ボス、ありがとう。カエデもまたな」
「うん。いってらっしゃい」

 ユーマはにっこりと笑って「おう」と答えると車のドアを閉め、建物へと向かっていく。すると林藤支部長は見送りもそこそこに車を発進させ、我が家の方へと向かい始めた。さすがに車内に二人となると話題にも困ってしまいそうだったが、林藤支部長が気遣ってくれているのかポツポツと話題を振ってくれる。

「どうですか、遊真は。ご迷惑をおかけしていませんか」
「最初はどうなるかと思いましたけど、いい子ですね。特に困ることもないですし」
「それは良かった」

 そう、いい子だ。一緒に生活していて特筆すべき問題が上がらない程度には。
 出勤初日も無事に終わり、懸念していた問題も片が付いたと言えるだろう。それならそれで安心してしまえばいいものを――いや、むしろユーマという近界民の同居人に関するあれこれに一区切り着いたからか。私は今更になって、問題の根底に疑問を呈してしまったのだ。

「……ユーマのお父さんのこと、林藤支部長もご存知だと聞きました」
「えぇ、世話になった人なんでね」
「ユーマには聞けないので、あの、伺ってもいいですか?」
「なんです?」
「………近界民って、人間、なんですか?」

 一旦はやめておこうと手を引いたハズなのに、気づけばまた私はパンドラの箱に触れようとしている。ユーマのお父さんの故郷はこちらの世界。それなのに、そんな父を持つユーマが近界民だというのなら、果たして近界民とはなんなのか? 
 林藤支部長はほんの一息間を置いてから、視線は前を向いたまま答えを返してくれる。

「先に言っておきますが、普段我々の世界に侵入してくる近界民は、所謂ロボットのようなものですよ。警戒区域に現れる近界民と意思疎通を試みるなんて無茶はやめてくださいね」
「え? は、はい」
「それを踏まえた上で、ですが――遊真は人間ですよ。我々と同じ」

 明確に、林藤支部長の口から“人間”だと定義づけられたユーマ。やはり、という思いが半分と、本当に? とまだ疑いの気持ちが半分。

「遊真は、トリガー技術の影響もあって少し我々と違う部分もありますが、人間です」
「……違う部分、ですか?」
「えぇ」

 詳細を言わない辺りはあまり聞かない方がいいのだろう。それでも繰り返された“人間”という事実を噛みしめていると、林藤支部長は話を続ける。

「我々の敵は近界民です。でも、遊真のように話ができる人間もいれば、話の通じない人間もいる。彼らが使役している機械人形もいる。本来、それらは近界民として一括りにできるものではないんですよ」
「……じゃあ、ボーダーは」
「我々が戦うべき近界民は何か。それは戦う我々が判断し、我々が責任を負うべきものです。結川さんが背負うものじゃない」

 きっと疑問を見透かされていたのだろう。ボーダーは人間と戦っているのか、と。
 私が知る近界民の姿といえば、第一次大規模侵攻で大地を闊歩していた大きなバケモノ。あるいは、ボーダーによって討伐された後の瓦礫のような姿。あるいは――ユーマのような、姿。

「結川さんは……できれば、普通でいてやってください。近界民だとか人間だとか難しく考えなくていい。遊真の日常の一部になってくださるのなら、私としては本当に、ありがたいんですよ」

 林藤支部長の優しい語りが唐突に途切れ、気づけばもう我が家の前に到着していた。長く停めてもらうわけにもいかないし、私はシートベルトを外しつつ手荷物をまとめる。

「送ってくださって、ありがとうございました」
「いいえ。いずれ玉狛にも遊びにきてください。きっと遊真も、結川さんを紹介したいでしょうから」

 頷いて、いよいよ私は車を降りた。閉めた扉の向こうで林藤支部長が片手を挙げるので頭を下げ、走り去っていく車を見送る。さすがに二月は冷える。車が見えなくなったのを確認してから、私はいそいそと玄関の扉を開けて家へと入った。

「……日常の一部、かぁ」

 背にした扉が閉まる音。そんな、“ただいま”の合図に応えてくれる人はいない。それが四年前から日常になってしまっていた。誰もいない家に帰ることも、ただいまも、おかえりもないことだって。
 でも、今の私は違う。きっと“明日”は違うって、知ってるから。


 
 無事にボーダへの出勤二日目を終えた私は、目前に迫った我が家をふと見上げる。明かりがついている。あぁ、先に帰っていたのか。だから私はカバンに仕舞われた鍵を取り出すこともなく、そのまま玄関の扉に手をかける。

「ただいま」

 当然のように開く扉を閉めて、私が最後だからと鍵をかけた。玄関のタタキには並べられた革靴。その横に揃えるように自分の靴を脱いで向かった台所では、予想に違わずユーマが待っているのだ。

「おぅ、おかえりカエデ」

 ――それが、今の私の日常。家に誰かがいることは決して、特別なことじゃない。

 高校生の頃はただ、この家を失うことが考えられなかった。だから卒業までの時間は保障や保険などに頼りつつ死に物狂いでバイトしたし、卒業していざ働けるようになってからも変わらなかった。これ以上失うことがただ、怖かったのだ。
 そう変わらないことに固執し続けて、いつの間にか疲弊していた私をユーマが変えた。あの時何かを変えようとした悪足掻きが、ユーマとの縁を繋いだから。
 私たちの不思議な同居生活はこれからも続く。こんな、新しい日常を積み重ねながら。
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