翌日の土曜日も、ユーマは意気揚々とボーダーに出かけていった。まぁ、今日もランク戦の日だろうし、気合も入るというものだろう。行ってらっしゃいと見送れば、家はまたしんと静まり返る。
とりあえず、ラッキーなことに今日もいい天気だし洗濯から始めよう。そう思って脱衣所に行き、いつものように洗濯物を回し、回し終わればベランダに向かうのだけど……。
「……にかいめ……」
なにが、を敢えて言うならば、パンツ混入事件が、という話。
私はまたしてもユーマのパンツを洗っていたらしい。今回も一枚だけ混ざっていたので、やっぱり抜き忘れたんだろう。さすがに二回目ともなると動揺もそれほどなく、私はこの前と同様に干す。
そうして日が傾く前には早々に取り込み、洗濯物を畳む作業。ユーマの分を、パンツを含めて畳み終えて山にすれば、あとはまたユーマに返すだけだ。
家事も夕飯も済ませ、お風呂も済ませ、ゆっくりと夜を楽しむ時間。今日はなんか、見たいテレビあったっけ。それとも撮り溜めしておいたのを見ようか。でも、時間も時間だしちょっと眠くなってきたし、悩ましい。
そうぼうっとしていると程なくして、玄関の扉が開く音がする。
「ただいま」
少しして居間へと顔を見せたユーマ。「おかえり」と、いつものように「洗濯物終わったよ」と部屋の隅に置いた山を指さす。ユーマもいつも通り「ありがとう」といって洗濯物の前に屈む。
パンツは、一応畳んだ洗濯物の間にしまってある。だからパッと見はそれがあるとはわからないはずだし、ユーマも特に変わりなくひょいと持ち上げた。そのまま部屋に引き上げるのだろう、歩いていく背中を見送る。
とんとんとん、と階段を登る音。その内パタン、と部屋の扉が閉まる音。
――少ししてまたパタン、と部屋の扉がしまる音。たんたんたんたん、と階段を下りる音が響いてきて。
「なぁ、カエデ」
「なに?」
もう一度居間に戻ってきたユーマは、立ったまま私に声をかけてきた。ちょっと予想外の展開だ。何の用かとドキドキしていると、ユーマは普段どおりの表情ではあるものの、少しだけ唸ってから口を開いた。
「……今日は、残り物はなかった」
「え? う、うん。そうだと思ったよ」
何をいまさら、とは言わないけれど。ユーマは、残り物をもらってきた日は真っ先に報告するし、そうして台所に置いていく。台所にも寄らずに二階に行った時点で、今日はなかったのだろうと推測することは自然なことだ。
「…………あと、今日は負けた」
「……ざ、残念だったね?」
「うん、まぁ」
ランク戦の勝敗だって、私に報告する義務があるわけでもないだろう。本当に、どうしたんだろうか。
私の相槌を聞いてしばらく立ったままだったユーマは、いよいよ意を決したように居間へと入ってきた。私の傍に座り込んで、それから……ゆるりと頭を下げる。
「この前と、今日と、……パンツ、抜いとくの忘れた。すまん」
間。それから――思わず、吹き出した。
「な、なんで笑うんだ」
「いやだって、そんな、畏まって謝るようなことでもないじゃん」
「そうなのか?」
堪えきれずに笑ってしまったけれど、ユーマは逆に困惑しつつも気が抜けたようだ。きょとりと私を伺う顔はいつも通りで、さっきまであった妙な緊張感もなくなっている。
「えぇ、まさか本当にそれ謝るために下りてきたの?」
「親父が言ってたんだ。男たるものパンツは自分で洗えと」
「へえ?」
お父さんの教えとなると説得力があるなぁ、なんて。確かに世の中には、お父さんのパンツと一緒に洗わないで! みたいなのがあったりするらしいし? ユーマの今後のために、パンツだけは自分で洗えと教えていたというのはちょっと、なんというか、近界民と言えども生活が垣間見えるな、なんて。
「私は気にしないよ。っていうか普段は抜いてあるみたいだったし、私に洗われるのはやっぱり恥ずかしいかな〜、くらいに思ってたんだけど」
「うん、まぁ、ちょっと照れるな」
「あはは、まぁ嫌じゃないなら一緒に洗うし、気にしないでいいからね」
「……そうか」
ユーマはちょっとほっとした様子だった。すると今度は、ふぅ、と息をついて呟く。
「腹が減った」
「……ユーマ、燃費悪いねぇ」
「ねんぴ?」
「たくさんご飯が必要だね、ってこと。買い置き、まだ色々あるよ」
言えばユーマは「どうも」と答えて台所へ向かう。私もなんか、つまむものあったかなと後ろに続いた。
買い置きの食料置き場には変わらず菓子パンだとか、カップ麺だとか、ともかく色々が置いてある。そしてユーマはあろうことか、しばらくすれば日も跨ぐというこの時間になってカップ麺を手に取るのだから驚きだ。
「……玉狛でちゃんとご飯食べてるんだよね?」
「うん」
「…………それでカップ麺まで食べるの?」
「先輩たちも、夜に食べるカップ麺はおいしいって言ってたぞ。そのとおりだな」
にんまりと笑顔を浮かべる姿を見るに、誰かの入れ知恵らしい。残念ながら私もそれには同意しかなかったので一つため息をつきつつ、ついでだからと私は電子ケトルを手に取る。
「すぐお湯沸かすから、待ってて」
「カエデも食べるか?」
「……いや、お茶にする」
ちょっと気持ちが揺らいだのはしょうがないだろう。ユーマも「ほう?」とにまにました笑顔を向けてきたけれど、もう一度「お茶でいいの」と念を押した。でないと、ユーマに合わせて食べてたら間違いなく太る。
私がケトルをセットする後ろで、ユーマはぺりぺりと包装のビニールを破っていた。それから、慣れた手つきで蓋を開け、中に入っているかやくやらなにやらを取り出している。作り方はしっかり把握しているらしい。
「あ、そうだカエデ」
「うん?」
「おれ、あしたも帰ってくる。だから、またなんかご飯作ろう」
ユーマの提案はちょっと予想外だった。思ったより家でご飯を作ることが気に入ったのだろうか。そうなると何がいいだろうかと、夕飯のメニューを考えはじめる。
日曜の夜となると、ちょっと豪華にいきたいような。一方で次の日は仕事だし、あまり面倒くさい料理は嫌なような。手軽に作れて、ユーマと一緒に作れるご飯となると、ふいに浮かんだのは……鍋。
「お鍋にしよう。この前がお出汁の鍋だったから、トマトとか塩とかなんかそういうやつ」
「ほう? おれはなにをすればいい?」
「野菜切ってよ。包丁はユーマに任せる」
「カエデはなにをするんだ?」
「スープを火にかけて、ユーマが切った具材をいれる」
そんな話をしている内に、カチンとケトルが音を立てた。お湯が沸いたので、私はユーマの前に用意されていたカップ麺をとり、代わりにお湯を注いでいく。蓋をしめて、三分。時間を見つつ、話の続きをとユーマを見やる。
「ユーマ、嫌いな味とかあるの?」
「うーん? わからんが、たぶんない」
「じゃあ買い出しは私がやっておくから……」
「いや、おれも行くよ」
え、と思わずユーマを凝視してしまった。今日は本当に、なんだか珍しいことがよく起こる、ような。
「……なにかあった?」
「え、なんで?」
「なんか変っていうか……」
妙な違和感を覚えてしまうのは、たぶん一緒にいる時間が増えたからなのだと思う。だってこれまでユーマは、おそらく玉狛にいる時間の方が長かった。ボーダーに入隊すると決まってからは特に訓練だなんだと忙しそうだったし、入隊してからもそんな感じだったし。
ところが、B級ランク戦が始まったくらいからか、比較的家に帰る時間も増えた、ような気がするのだ。というかここ一週間くらいは、今までの比じゃないくらいに一緒にいるような。
私の違和感に察しがついてるのだろうか。ユーマは「ふむ」と小さく唸った後で口を開く。
「ボスに言われたんだ。時間があるときはもう少し家に帰ったらどうだってな」
「へぇ?」
「いきぬきも大事だから、ってさ。それに、カエデもいるだろって」
林藤支部長、気遣ってくれたのだろうか。あるいは、ユーマの方を?
私は「そっか」と軽い相槌を打つ。玉狛で過ごす時間と、家で過ごす時間はどちらの方が息抜きになるのか。ちょっと考えてしまうと「あと、」と理由を付け足すユーマ。
「玉狛だと、夜中にご飯を食べるのも大変だからな」
「え?」
「あそこのごはんはみんなのものだから。腹がへったからと勝手になにかつまむと、朝ごはんが足りないと怒られる」
「……それ、経験談?」
にしし、と笑うユーマを見るに、どうやら実際にあったことのようだ。うん、燃費悪いもんねユーマ……。育ち盛りの男の子ってよく食べるとは聞くけれど、そういうものなのだろうか。共同生活をする場である以上、さすがに少しは遠慮せざるを得ないのだろう。
ふいに、思い出して時間を見ればちょうどよいタイミングだ。声をかけつつ箸を差し出せば、受け取ったユーマはニコニコとしながらカップ麺の蓋をあける。ぽふりと吹き出す湯気。箸で麺をかるくほぐして、スープの素をいれて混ぜればカップ麺の完成だ。
「夜中にいつでもカップ麺を食べれるのは、家のいいところだ」
ほくほくと嬉しそうな顔でそう言って、「いただきます」と挨拶をするユーマ。それから意気揚々とラーメンをすするのが微笑ましく……同時にちょっとだけ、やっぱり、おいしそうだなって。
「ユーマ、一口だけちょうだい」
「やっぱりカエデも食べたかったんだな」
「そりゃあ、ちょっとはね」
家だからこそできること、少なくとも一つはあるようで安心した。私は夜中にも関わらず誘惑に負け、ユーマから一口ぶんを小皿にわけてもらう。
うん、夜のラーメンっておいしい。そんな不摂生も夜の自宅なら日常になるのだと、私は今更ながらに思い出すのだった。