「それでは、お疲れ様でーす、乾杯!」
幹事の音頭に各々がグラスやジョッキを持ち、近くの人と乾杯の音を鳴らす。
てんてこまいだった怒涛の一週間もこれでおしまいだ。明日の土曜日が入隊式だが、司会進行やオリエンテーションの運営は本部隊員の管轄。来月には次の入隊準備が待ち構えているとはいえ、とりあえずは今回の山場を越えたことで皆浮かれ調子だ。
「じゃんじゃん飲んで食べてね!」
「ちょっと、若い子潰さないように加減してよ」
「誰か熱燗頼んだ人〜?」
飲み放題らしく、さっそくビールを飲み干して注文している先輩の姿が見える。あるいは料理は足りてるかとか、飲み物はあるかとか、逐一私に声をかけてくれる世話係の先輩も。
ふいに肩を叩かれ、なにかと思えば人事部課長の姿が。え、と驚いていると「結川さんはビール飲めるかな?」と尋ねられるので、少しならとおずおずコップを差し出す。
「いやぁほんと、いい時期にウチに来てくれたよ」
「いえ、そんな……」
「結川さん、いつも一生懸命頑張ってくれてて助かってるよ。これからもよろしくね」
「は、はい! よろしくお願いします」
課長はそう言ってコップの半分の半分くらいまでビールを注いでくれた。するとどこかへ行ってしまって……あれ、お酌って偉い人がするんだっけ?
おそるおそる先輩に、自分も行った方がいいかと尋ねたら「気にしないでいいよ」と一蹴された。今日は(一応)私の歓迎会でもあるのだから大人しくお酌されてろ、と。昨今パワハラアルハラが問題視される中で、ボーダー人事部としては手本となるべく、そういった慣習に拘らないよう意識改革してるとか、なんとか。
「……じゃあ、課長はなんでお酌してるんですか?」
「若い人にお酌しろって強要するのはパワハラだけど、自分がお酌して挨拶する分にはいいだろって」
へぇ、と相槌を打ちつつ課長を探せば、今度は部長の元に行って熱燗をお酌していた。お疲れ様でした、だの、やっと一区切りですね! と笑顔でやり取りしているあたり楽しそうだ。
「結川さんもお酒苦手だったらチェイサー混ぜてってね。ウーロン茶頼んどく?」
「ありがとうございます、大丈夫です。でもビールはちょっと苦手なので他のが飲みたいです」
「よしきた」
メニューを手渡され、どれがいいかと先輩に相談。すると別の、今まさにカクテルを楽しんでいる先輩から「これおいしかったよ!」とオススメが。
もう飲んだのかと驚くけど、「甘いのならこれで、さっぱりしてるのはこっちかな」とさらに追加でオススメされた。折角だからとオススメされたものを注文してみれば本当に美味しくて、カクテルソムリエですね、なんて笑ってしまう。
そうして和気あいあいと料理をつまみつつお酒を飲んでいるうち、飲み放題の制限時間が目前となってきた。
「ラストオーダーです! みなさん、最後まで飲んでくださいね!」
幹事の掛け声に反応して、一部の人たちがラストオーダーに声を上げる。私はそろそろお腹が一杯だし、今あるものを飲み干すことに集中する。
時間が過ぎて飲み会はお開きとなり、締めの音頭を取ったら引き上げだ。お店を後にする人事部職員でごった返しになる出入口。どうにか流れに乗って外へと出れば、飲み会では席が遠かった水沼部長が目前にいた。ぱちりと目が合ったので会釈をすれば、ほんわかとした笑顔を返される。
「結川さんは二次会行くのかい?」
「いえ、今日は帰ろうかと……」
「だったら送っていこうか?」
「え? そ、そんな、悪いですし……」
驚いていると、周りはなぜか「お言葉に甘えちゃえば?」だとか「じゃあ二次会行く人は〜?」なんて軽い反応。なんで、と思っていると水沼部長は続けて「もうすぐ娘がくるからね」と。そういうことなら……ちょっと、若干身構えてしまった自分が恥ずかしい。
あっという間に「お疲れ様でした」の挨拶が重なって、二次会に向かうメンバーが夜の街に消えて行ったり、帰るメンバーが各々の方向に去って行ったり。残されたのは私と部長だけだ。
さて、いつ来るかわからない水沼先生を待つ間どう時間を過ごせばいいのだろうか。せめてと会話の糸口を探していると、部長が少しだけ声を潜めて話しはじめる。
「結川さん、うちの娘が世話になっているようだね」
「え? いえ、こちらこそお世話になっています……」
「空閑隊員の保護者代わりだってね、林藤支部長に聞いたよ」
ちょっとだけドキリとする。水沼部長はユーマが近界民だってこと知らないんだよね、多分。私はおずおずと「そうです」と頷けば、部長は会話を続けてくれる。
「まだ若いのに大変だねぇ」
「いえ、そんなたいしたことはしていないので……」
「卒業まであと少しだけど、なにかあればうちの娘にも相談してやって」
「……ありがとうございます」
やばい、お酒で涙腺が緩んでるのかちょっとウルっときてしまった。いい人に恵まれているなってしみじみしてしまう。深く頭を下げて深呼吸。零れるほどでない涙を馴染ませて顔を上げる。
――目に留まったのは、水沼部長の向こうに揺れる白い影だ。
「おつかれ、カエデ」
「……ユーマ?」
どうしてここに? と問いかけるより先にユーマが、水沼部長へとぺこりと軽く頭を下げる。続けて「オツカレサマデス」と挨拶をしていて、水沼部長も自然に「お疲れ様」と返す。
さらにタイミングよく、ウインカーを点けて路肩に寄せてきた車が私たちのすぐ傍で止まった。ハザードを焚いたあたりここで停車するのだろう。同時に運転席の窓ガラスが下がり、顔を見せたのは水沼先生だ。
「皆さんお揃いなのね」
「……おぉ、みずぬま先生こんばんは」
「こんばんは。空閑くんに結川さんも」
慌ててこんばんはと挨拶を返す。けれど水沼先生の言うとおり、なんだか凄い顔ぶれが揃ってしまっているような。すごい偶然もあるものだと呆けていると水沼先生はまずユーマへ声をかける。
「だめよ、空閑くん。こんな遅くに出歩いちゃ」
「うむ、ごめんなさい」
……ユーマ、先生の前だとこんなしおらしくなるのか。ちょっと意外な姿を見た、と眺めていると水沼先生はすぐに表情を和らげ「結川さんのお迎え?」と首を傾げる。
ユーマは「そうだよ」とあっさり肯定した。あれ、私ってユーマにどこで飲み会だとか話したんだっけ? 思い出そうとしている間にも、今度はユーマが不思議そうに顔を水沼部長に向け、そのあとで私を伺う。
「で、このおじさんは?」
「っちょ、ユーマ!?」
「うふふ。私の父で、ボーダーの人事部部長よ」
「よろしくね、空閑くん」
ユーマの『おじさん』発言に肝が冷えたが、水沼先生も水沼部長も平然と聞き流している。なんておおらかなんだ。
一方のユーマは偉い人だと気付いたのか、「それはしつれいしました」と頭を下げている。水沼部長は平然と「いいんだよ」と答えて、それから「立ち話もなんだし、」と続ける。
「結川さんたちも、そろそろ帰るかい?」
「カエデ、帰ろう」
部長に被せるようにユーマは私を伺う。いかにもついてこいと言わんばかりだ。えっと、これそのまま帰っていいのだろうか。迎えにきてもらったのは嬉しいが、一応部長にも送っていくと声をかけられていたのに。
おそらく水沼先生も送ってくれようとしていたのだろう。けれど、なにかを言いかけた先生を水沼部長が制する。そうして私に向かってにこやかに手を振るのだ。
「じゃあ結川さんの護衛は空閑くんに任せるよ」
「……はい、ありがとうございます」
水沼部長はユーマを尊重してくれたらしい。私もそれ以上言わずに素直に頭を下げれば、部長はそのまま先生の車へと乗り込んだ。そうして「お疲れ様」と「おやすみなさい」の挨拶を交わせば、車はゆっくりと発進してそのまま消えていく。
「……なんか、疲れた……」
「ほう? そんなに飲まされたのか?」
飲んではいるけどそれよりも、気疲れした原因がほぼユーマなんだけどね……。と、思っただけのつもりだったのに声に出ていたらしい。ユーマはむむ、と不満げな顔だ。
「おれだってびっくりしたぞ」
「……なにが……?」
ユーマは返事をするより先にゆるりと歩き始める。お酒が入っているからか思考はぼうっとしたままだけど、私も遅れないようにその後に続いた。
そうして帰路につきながらユーマが話すこといわく。どうやら迅さんに「おもしろそうだから、ちょっと行ってみなよ」と提案されたらしい。それで言われたとおりに来てみれば、まさかの私と見知らぬおじさんがいたとか、なんとか。
「……私、飲み会だって話してなかったんだっけ?」
「あるらしい、とは聞いてたけど」
「うわ、ごめん」
「おとといもそうだが、夜遅くなるなら教えておいてくれ。さっきもカエデが変なおっさんに絡まれてるのかと思ったし」
ぐうの音も出ないうち、ユーマは重ねて「なにもしなくてよかった」と呟く。……ん、なんかおかしくない? それを言うなら『なにもなくてよかった』では?
「さすがにカエデの上司にケンカを売ったらマズイだろ」
「そりゃマズイけど」
「なんかされたのかもしれないし、どうしたもんかと考えてたんだ」
……いやぁ不穏ですねユーマくん。水沼先生があのタイミングで来てくれなかったら『おじさん』以上に失礼な言葉が飛び出していたのかも。
しかし私もそれなりの成人女性なんだけど。さすがにお酒との付き合いも長いから酩酊することもないし。まぁユーマからしたら知らないおじさんだったのだから仕方ないにしろ、ちょっと心配しすぎじゃないかなぁ。なんて自然に考えて――気づく。
「ユーマってば、また心配してくれたんだ」
とまぁ、それもまた声に出していたようだ。ユーマはくるりと振り返り、「あのなぁ」と呆れ顔。
「逆に聞くが、なんで心配しないと思うんだ」
「なんでって?」
「カエデが言ったんだろ、家族みたいなもんだって」
私はなんの違和感もなく自然に『そうだね』と返事をしようとした。けれど一方で、不思議なことに目の奥が熱くなって、じんわりと涙が滲んだことに焦ってしまう。
「……は〜、お酒入ると涙腺緩むのかなぁ」
「なんだ、どうした?」
私の呟きを違う意味に捉えたのだろう。ユーマが怪訝そうに私を伺うので、深呼吸をしてから笑顔で答える。
「――嬉しかったの。ありがとね」
「……おう」
ユーマもまた、私に応えるように頬を緩めて頷いた。そうして歩調を緩めたと思えば、私の隣に並んでくれる。
なんだかとても気分がいいので、コンビニに寄ろうと提案した。「なんで?」と不思議そうなユーマだったけれど、お礼に好きなものを買ってあげると言えば二つ返事で了承。そのままコンビニスイーツを強請られて、二人分、レジ袋にぶら下げながら機嫌よく家へと歩くのだった。