目が覚めたのはトイレに行きたくなってしまったからのようだ。さすがに飲み過ぎたのが響いたのだろうか。眠気と寒さに身体を丸めるものの、このままじゃ眠れないな、と渋々瞼をこじ開ける。
常夜灯の下で薄らと見えたカーディガンに手を伸ばした。布団に引き込んでもぞもぞと羽織り、私はようやく身体を起こす。時刻を見れば深夜二時。嫌だなぁと思いながら、私はどうにか身体を引きずって部屋を出る。
――あれ、と違和感。廊下が妙に明るいような。少ししてそれは階下の灯りが漏れているからだと気づく。
私はともかく用を済ませ、それから灯りの方へ。やはりというべきか、そこは台所だ。
「……ユーマ、まだ起きてるの」
「うん」
足を踏み入れて声をかけても、ユーマは平然と頷くだけ。私が起きたことは音で気付いていたのだろうし、驚くことでもなかったのだろう。食卓に乗せた端末を前に、ユーマは画面をじぃっと見つめたままだ。
私はなんとなく台所に留まることにする。ついでだし、寒いから温かい飲みものでも淹れようか。
「なにか飲む?」
「うん。甘いのがいい」
ユーマに声をかければ頷くので、私はとりあえずケトルを手にとった。中をすすいで、水を入れてスイッチオン。あとは適当なインスタントでいいかとストックを漁る。
「こんな遅くまで起きてたら、明日に響くよ」
「大丈夫だ。トリオン体は眠らなくてもいいからな」
「……へぇ」
さりげなく夜ふかしを咎めてはみるものの、ユーマは悪びれる様子もない。
少ししてお湯が沸いたので、私はさっさと温かい飲みものを二人分用意した。そうして一つはユーマの傍に置き、私は私で向かいに腰を下ろしつつマグカップを持つ。
さすがに淹れたばかりでは熱いだろう。そう思ってふぅふぅと息を吹きかけつつ、なにとはなくユーマの表情を伺う。じぃっと端末のディスプレイを見つめる表情は真剣そのもので、映像を反射した瞳がちかちかと瞬いている。
「面白い? それ」
「うん、まぁ」
尋ねてみても、ユーマは画面から目を離さないまま答える。集中してるみたいだし、あんまり声はかけない方がいいか。私は視線をマグカップに落とし、湯気が少し落ち着いたのを確認してからそっと口を寄せる。
ふいに、かたんと音が響いた。どうやらユーマは映像を見終えたようで、端末の電源を落として脇へと寄せたらしい。そうしてようやく置いてあったマグカップへと手を伸ばす。
ユーマが「ありがとう」と口にするので、どういたしましてと返した。けれどユーマはマグカップを揺らして、水面をぼうっと眺めるだけだ。
「……やっぱ眠いんじゃないの?」
「違うよ。まぁ、ちょっとは疲れたが」
「じゃあ寝ればいいのに」
「次のランク戦まで時間がないしな。対戦相手の記録、もうちょっと見ておこうと思って」
そんなことを言われてしまうと私にはもう咎めることができない。「そっか」と相槌を打って、私もまたマグカップへと視線を落とす。
ランク戦。それはボーダーに所属する各隊員間での模擬戦闘訓練であり、その戦績が部隊の評価に繋がる。そして最終的には――遠征部隊の席を獲得できるかどうかにも関わってくる問題だ。
「カエデは大丈夫か?」
「ん?」
「いや、起きてくるなんて珍しいから、酒で具合でも悪くなったのかと思って」
「大丈夫だよ。単純にトイレ行きたかっただけ」
答えれば、ユーマは「そっか」と相槌を打つ。そうして手元のマグカップをゆっくりと持ち上げると一口、二口と飲みはじめた。集中していたのだからすぐには無理だろうけど、温かい飲みもので少しは気が緩むだろうか。そうしたら。
「ちょっとは眠れそう?」
「……さぁ、どうかな」
ユーマは困ったように笑う。これは寝る気がなさそうだ。とは言え明日――いや、正確には今日――がランク戦なのだから、根を詰めてもしょうがないだろうか。
だって頑張る理由は間違いなくレプリカのはずだから。
「レプリカはさ」
「うん」
元気にしてるかな。なんて、そんなことを聞きたくなってしまってどうにか堪える。
「……どうして、お目付け役だったの?」
急に話題を変えたせいで突拍子もない質問になってしまった。そう思ったけれど、ユーマは特に不審に感じた様子もなく、マグカップを揺らしながら答える。
「親父が作ったと聞いたが、小さいころから一緒にいたから、よくわからん」
「……子供の頃からずっと?」
「そうだよ」
それはまた随分なことを聞いてしまったと内心でため息をつく。子供の頃からずっと一緒にいるレプリカは、お目付け役なんて肩書はさておき、ユーマにとって家族に違いない。それなのに大規模侵攻で連れ去られたなんて心中穏やかではないだろうに。それでも前を向いて進もうとするユーマの、なんと逞しいことか。
私が次にかける言葉に迷っていると、ユーマはなぜかぽつぽつと話を続ける。
「親父と、おれと、レプリカと……一緒に旅をしてたんだ。四年くらい前まで」
「へぇ」
「その頃にいた国で戦争を手伝って、親父が死ぬまで」
――唐突に落とされた告白に、息をのむしかできなかった。
ユーマもまた戦争で家族を奪われた人なのか。あまりに重い真実に、私は相槌を打つことすら躊躇われて口をつぐむ。
「親父が死んでから……三年くらいかな、ずっと戦争してたよ。勝って、戦争が終わって、それからレプリカと一緒にニホンに来たんだ」
「……それが、あの日?」
「うん」
どうしてユーマは、突然そんなことを話すつもりになったのだろうか。不思議に思う一方で、思い出した『あの日』の疑問をおずおずと尋ねてみる。
「……今なら聞いてもいいのかなって思うから聞くけど」
「うん?」
「あの時、人を探してるって言ってたよね。見つかったの?」
「見つかったよ。でも、会えなかったから、それはもういいんだ」
その人も亡くなってたんだな、とわかった。父親を亡くした後、誰かを頼ろうとしてここに来たのだろうか。けれどその人も亡くなっていたとなれば、まるで。
――家族を突然失って一人ぼっちになった、昔の自分を思い出すような。
「まぁだから、帰ろうと思ったんだけどな。オサムに手伝ってくれって頼まれたから、そのままボーダーに入ることになった」
そんな苦しい話の中で、オサムくんの名前が出たことに不思議な安心感を覚えた。学校でも、ボーダーでも一緒の友達。そういう人に出会えて、同じ目標に向かって頑張れるのは素敵なこと。
「オサムくんに会えてよかったね」
「……そうだな」
ユーマは穏やかな笑みを浮かべると、ゆるりとまたマグカップを揺らす。それから一口、二口飲んだと思えば、ふぅ、と一息。話が一区切りついたようで、私もまたマグカップで手を温めつつ、ぼうっと思考を巡らせる。
最初、ユーマは帰るつもりだったのか。それがボーダーに入ったことによって日本に落ち着く気になったらしい。そのおかげで今も私はユーマと二人、この家にいられるのか。
でもそれも……たぶん『今だけは』、だけど。
「遠征ってやっぱり、遠くに行くんだよね? 長いの?」
一般職員である私がどこまで聞ける話なのか。おずおずと尋ねれば、特に問題はなかったようで、ユーマはうーん、と首を傾げつつ答える。
「けっこう長いんじゃないかな。たぶん何か月とかはかかるぞ」
「そっか……寂しくなるね」
素直な気持ちが口から零れ落ちる。せっかくユーマがいるこの家に慣れてきたというのに、今度はまた、ユーマのいない家に慣れなければいけないのだ。
するとユーマは、きょとりとした顔で私を見つめる。なにかと首を傾げれば、ふすりと、優しく笑って。
「さみしいのか」
「……まぁ、それなりに」
「そうか」
からかわれているのかとも思ったけど、少し違うような声色。満足気というか、嬉しそうというか……いや、それはそれでなんだか釈然としないのだけど。
私はお茶を濁すようにまたマグカップを持ち上げる。そうして口を寄せる私をゆるりと見つめたユーマは、続けて私を伺う。
「なぁ、おれもカエデに聞いてみたいことがあるんだけど」
「なに?」
聞き返せば、ユーマはちょっとだけ真面目な顔で訊ねるのだ。
「あの日、なにを燃やしてたんだ?」
どの日かなんて聞かなくてもわかる。私とユーマが初めて会った日。
どうやら今度は、私が告白する番になったようだ。なんだか、話しにくいような、大したことでもないような。どっちつかずな気持ちに喝を入れて覚悟を決める。
ことりとマグカップを置いた音を響かせてから、私は口を開いた。