「あれはさ、ただのゴミだよ」
言えば、ユーマはしばらく私を見つめたあとで不思議そうに首を傾げた。ゴミ、とオウム返しするので頷けば、続けて「なんで?」と問いかけられる。
「ちゃんと燃やせるのかなって、練習というか、お試しみたいな?」
そう茶化してみれば、ユーマはやっぱり首を傾げたままだ。それどころかゆるゆると眉根を寄せてしまい、最後には静かに私を伺う。
「話したくないなら、別にいいけど」
どうやら気を遣われてしまったらしい。別に『なにを燃やしていたのか』という問いには真面目に答えたつもりだったのだけど。それでもやっぱり、私が火を使ってまで燃やしたことには違和感を覚えるのだろう。
ユーマはふいに私から目を離してマグカップへ視線を落とす。そうまで気遣われてしまうと、言い渋るほどに事情があると思われてしまいそうだ。私は「本当に、たいしたことじゃないんだけど」と念を押して、おずおずと燃やすことになった理由から話すことにする。
「私の家族はさ、四年前の大規模侵攻でみんな死んじゃったの。それから、この家にずっと一人だったんだよね」
ユーマは、昔話をはじめた私に再び視線を戻した。静かに耳を傾けている様子が見てとれて、なんだか照れくさい。
そもそも家族の話ってしたことあったっけ? この家に一人だと話したような記憶もあるし、仏壇と遺影を見ればなんとなく察するものかもしれない。それでもたぶん、事情までちゃんと話したのは初めてのような気がする。
「まだ高校生でこの家だけ残されて、これから先どうしたらいいかわからなくて。でも、とにかくこの家だけは守らないとなって思ったんだ」
話していると、ちょっとだけ当時の感情が蘇ってくる。悲しくて、寂しくてたまらなくて何かに縋りたくて。そんな気持ちを思い出すほどにちょっとだけ辛くなる。
それでも、きっと同じようなことをユーマも話してくれた。思い出すとちょっと胸が痛むような焼けつく記憶。それを思い出と呼ぶのは辛いけど、だからこそ、思い出として話したいのだと私は言葉を続ける。
「高校出てすぐ前の会社に勤めて、とにかくずっと働いてた。それで、なんか……段々自分、なにしてるんだろうな、とか考えちゃって」
朝起きて支度をして、会社に行って仕事をして。帰ってきたら、また明日のために支度をしての繰り返し。今となってはそれしか思い出せないくらい、何もなかった記憶。
「だからもう、やめちゃおうかなって思ったの」
「……仕事を?」
「ううん。この家を、守ることを」
ユーマはちょっとだけ驚いたような表情になって、すぐにまた真剣に私を見つめた。一生懸命に聞こうとしてくれているのがわかって嬉しさから少しだけ頬が緩む。
「でも、踏ん切りがつかなくて。せっかくここまて守ってきたもの捨てていいのかなって。だからちょっと、なにか捨ててみようって」
「……なんでそれで、ゴミになるんだ?」
「あれは練習のつもりだったんだよ。上手に燃やせたら今度は……アルバムとかそういう思い出、燃やしちゃおうと思って。そうしたら――」
――この家も、捨ててしまえると思ったから。
それはうまく言葉になったのか、ユーマに伝わったのかもわからない。けれど改めて告白したことで、私はようやく意味を理解した。
捨ててしまいたかったのだ。家も、思い出も、残されたものを。それに捉われている自分が嫌で、しんどくて、だから全て投げ捨ててしまいたかった。なくして自由になりたかった。縛られない私になりたかったのだ、きっと。
――だって私には、なにもなかったから。
「もう捨てたのか?」
それ以上言葉にならなかった私に、ユーマの静かな声が沁みていく。抑揚のない淡々とした問いかけ。私はゆるりと首を横に振る。
「ユーマが家にきて、それどころじゃなくなっちゃった」
「……それはまぁ、そうだったな」
ユーマがちょっとだけ気まずそうに相槌を打った。思わず笑ってしまうと、ユーマはまた安心したように表情を緩める。
あの日の思い詰めていた気持ちは、ユーマと出会ったことでそのままになってしまっていた。だってユーマを匿うことに必死で、家をどうするかとか、そんなこと考える余裕もなかったから。
こうしてユーマに話すことで、しこりのように残っていた気持ちがようやく解けはじめた気がする。聞いてくれる人がいるというのは、こんなにも安心することなんだ。初めて知ったような、ちょっとだけ思い出したような、不思議な感覚に私はほぅと息をつく。
「……私さ、たぶん、ただ一人の場所が嫌だっただけなんだよ」
今の私は思い出を捨てたいだとか、家を守ることを止めてしまいたいだなんて考えてもいない。だってユーマがいるから。昔からずっと住み慣れた家に私とユーマがいる。それが今の私の家だから。
「ユーマが来てくれて、そう思った。そりゃあ最初は怖かったけど、ユーマは私の夢を叶えてくれたしね」
「夢?」
ユーマは驚いたように首を傾げる。……ちょっと、さすがに口を滑らせすぎたかな。
後悔するも時すでに遅しだ。それに、ここまで話したのだから今更ためらうことでもないだろう。伺うようなユーマの表情に、私は正直に告白する。
「この家でまた、誰かと一緒に暮らしたかったの。……さすがにそれが近界民とは思ってなかったけど」
「……うむ、そうだろうな」
それまでずっと真剣に聞いてくれていたユーマの表情がふっと綻んだ。だいぶ見慣れた、ユーマの優しい笑顔に私も笑顔を返す。
誰もいない家を守り続け、未来の見えなかった日々は虚しかったのかもしれない。かつての私が疲れ果ててしまうほどには。思い出がしがらみに感じるくらいに、私はただ苦しくて辛くて仕方がなかった。
今も仏壇の傍には変わらない家族の遺影が笑っていて、その寂しさはきっと一生残るのだろう。それでも、この家にはまだ私がいて――今は、ユーマもいる。だからまだ私にとって、この家は、思い出は、手放すわけにはいかない大切なものだ。
「ユーマがこの家を出るときまで、もうちょっと頑張るよ」
「ふむ……そのあとは?」
「私一人には広すぎる家だし、売れるなら売っちゃってもいいかな。それか借家にするとか、できればいいけど」
「ほう? カエデが結婚したらどうするんだ?」
「そんな時がいつになるかわからないでしょ。それまでにまた疲れちゃったら、この家が嫌になりそうだしね」
我ながら、すんなりと浮かんだ未来予想図に少し驚いた。この家を守ることにも、この家と思い出を手放すことにも躍起になる必要はない。そう必死にならずとも、変わる時はくる。
だって近界民と――まるで家族のように――生活する今があるのだ。どんな未来があったって、不思議でもなんでもないだろう。
「ありがとね、ユーマ。なんかスッキリしたかも」
「……つかまえて、家におしかけた近界民に言うことか、それ」
「あはは、本当にね」
ユーマは呆れた表情だったけど、それでも笑っていた。私も笑うしかない。命を脅かされていたはずの近界民に、こんなにも感謝する時がこようとは。
「おれも、ありがとな」
「面倒見てくれて?」
「まぁ、そんな感じだ」
真夜中、声を潜めた笑い声がひそやかに響く。そんな私たちの家の明かりは、もうしばらく点いたままだった。
*
結局もう一度寝たはいいものの、思ったより眠りが浅かったらしい。普段通りの時間に起きてしまい、せっかくの土曜日なのにちょっと勿体ないような、そんな朝。
階下に下りれば今度、台所から水音がする。どうしたのだろうかと顔をだせば、流しに立つユーマの背中。
「お、おはようカエデ」
「おはよう……え、洗い物してたの?」
「うん」
シンクには、夜中一緒に飲んだあとのマグカップを水に漬けていたはず。それが今は洗って干してあって、何事かとユーマを見やる。
「どうしたの、急に」
「世話になってるんだからいろいろ手伝え、ってオサムからも言われてな」
へぇ、と相槌。正直助かるな、としみじみ思う。オサムくんはユーマに夕飯作りを手伝えと言ってくれたり、本当に面倒見のいい子だ。
「ありがとね」
「うむ、これくらい」
ユーマは水を止めて一息。タオルで手を拭いたと思ったら、また慌ただしく二階へ上がっていく。
さて、せっかく起きてしまったのだし朝ごはんでも食べてしまおうか。それから……眠いなぁ、これは今日一度、昼寝を挟んだ方がよさそう。
そう考えている内に荷物をまとめたらしいユーマがたんたんと下りてきた。「おれはもう行くぞ」と言うので頷いて、見送ろうと後に続く。
「今日は遅くなると思う」
「うん、ランク戦頑張ってね」
「おう」
靴をはいて、玄関のドアノブに手をかけて。ユーマは、くるりと私を振り返った。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい」
いつもの挨拶を交わして、ユーマは外へと踏み出していった。ゆるやかに手を振っていれば、ドアの閉まり際に気付いたユーマもひらりと振り返して。パタンと扉が閉まれば、向こうでユーマが歩き出す音が聞こえる。
「……さて、今日も洗濯からかなぁ」
三門市麓台町八丁目五番一号。今日も我が家から、私と近界民との平和な日常がはじまる。