「う、うまいな……!」
「……口にあったようで何よりです」
本当に美味しかったらしく、あまりに目を輝かせてカップ麺やパンへとがっつくので、正直ちょっと引いた。近界民の台所事情ってどんな感じなんだろう。これもまた詮索になるだろうし、今後知ることはなさそうだ。
とりあえずは台所の扱い方とケトルを使ったお湯の沸かし方を教えて、食料の置き場を決めてゴミの捨て方まで共有した。ケトルでお湯が沸くことに驚いていたくらいで、どうやら近界民は電化製品にあまり馴染みがないらしい。
せっかく買ってはきたが、レトルトカレーだとかレトルト米の食べ方を教えることは見送ることにした。さすがに、電化製品に慣れていないとなると電子レンジを使ってもらうのは怖い。万が一変なものをレンジにかけて、爆発でもさせたら困るし。
「ごちそうさまでした。ふぅ、たしかなまんぞく」
両手を合わせて食後の挨拶。この近界民、本当に礼儀正しい。正直そのへんの日本人よりよほどマナーがしっかりしてるんじゃないかと思ってしまうくらいだ。挨拶はしっかりするし、片付けに関しても教えた通りにゴミを捨てているあたりきちんとしている。
「さて、じゃあついでにいろいろ確認してもいいか」
「は、はい」
近界民の提案により、二人向かい合って座り、改めて同居に当たって必要なことを確認。
「衣食住とは言ったが……とりあえず、服はいいや。さっき少しもらったし、おれも別に手持ちがないわけじゃない」
「は、はい」
まず一つ目。衣類に関しては呆気なく終了した。さっきもいつの間にか靴を持っていた所を見るに、自前で最低限の衣類はあるらしい。私が渡した古着があれば少なくとも、出かける時に見慣れない服だとかで目立つこともないだろうし、近界民としても緊急性を感じていないようだ。
「食事はさっき決めたとおりだな。おれもそれなりに食べる方だから、適当に買い足してくれると助かる」
「わかりました」
昼食という名の試食会で話を済ませてあるから、これも手早く終了した。私がするべきことと言えば、さっき決めた食料置き場に近界民が食べられそうなものを補充しておくだけ、と。私としても自炊しないで済むのならその方が楽だし、近界民の指示に甘んじることにする。
「あとはさっき部屋も借りたし、特に問題はないな。あ、風呂借りたい時は言うから。あと……あ、洗たくか」
住に関しても、さっき一部屋提供すると決まったことで近界民は満足しているらしい。本当に、必要以上のことを求めてこないだけ私としてもありがたい限りだ。だからと、洗濯くらいは融通しようと自ら申し出る。
「さっきの脱衣所に置いておいていただければ、私が自分の分と一緒に洗いますよ」
「いいのか?」
「電気代も水道代もかかるものですし、まとめての方が色々都合がいいので」
私の分と近界民の分とをそれぞれ別で回すくらいなら、一緒に洗ってしまった方が早いだろう。それに、電化製品に慣れていない近界民に洗濯機を任せるのもちょっと怖い。教えればすんなりと使えそうではあるが、どっちにしろまとめて洗えるならそれに越したことはないし。
「じゃあ、よろしく頼む」
「はい」
近界民の方も自身の衣服を預けることにそれほど抵抗がないらしい。呆気なく了承されたので、同居にあたって簡易的なルールがスムーズに決まった。
「あとはまぁ、気になることは聞いてくれ。おれのジャマさえしないでくれたら、なにしててもいいから」
わかりました、と返事をしかけて少し考える。何してもいいとは言われても、外出まではどうなんだろう。とは言え、仕事に行かないわけにもいかないから早速訊ねることにする。
「あの」
「なんだ?」
「明日から平日は私、仕事があるんですが……」
「あぁ、もちろん行っていいよ」
反応を見るつもりだったのに、あっさりと了承されて肩透かしを食らった気分だ。え、と思わず戸惑ってしまうが、近界民は「行かない方がおかしいだろ」と不思議そうに眉をひそめる。
「おれのことをバラしたり騒ぎにしないでくれればそれでいいんだ。まぁ、監視はつけてるし変なことはしないでくれ」
これまでより一段と杜撰に告げられた“監視”の言葉にはまったく凄みがなかった。繰り返す度に近界民も気が抜けるのだろうか。もちろん、かといって近界民に逆らうつもりはないし、私も素直に「わかりました」と了承する。
「あ、おねーさんが出かけてる間は家にいない方がいいか?」
「え?」
「別に変なことするつもりはないけど、おねーさんが嫌なら家には入らないようにするよ。やることもあるし」
――その申し出を受けて、私は今更ながら同居に当たって一番大事なことについて共有していなかったと気づいた。
「あの、ちょっと待っててください」
提案すれば、近界民は驚くほど抵抗なく「おう」と頷く。近界民も近界民で私に逆らう意思がないことを認めてくれつつあるのだろうか。ともかく私は一度席を立ち、自室へと上がった。
貴重品の類をまとめた引き出しの中。目当てのものを見つけた私はそれをひっつかんで足早に戻る。近界民の向かいに腰を下ろしてから握ったものを机の上、近界民の眼前に差し出して。
「……カギ?」
「たいしたものがある家でもないですし、使ってください」
「……いや、おれが言うのもなんだが、これ、おれに預けていいのか?」
さすがに近界民としては、鍵を共有させられるとは思っていなかったようだ。そしてあまり寛容にしすぎると、逆に近界民へ不信感を抱かせてしまうらしい。とは言え私としては――あれほどの大金を受け取ってしまった以上、この家に必要以上に立ち入るな、なんて要求する気は失せている。それに、何より。
「もうお分かりかと思いますが、この家には私しか住んでいません。有効活用していただけるなら、それでいいです」
近界民は少しだけ黙って私の顔色を伺うような様子を見せる。
言いながら気づいたが、私に詮索するなと言った近界民は、たぶん同じように私へも詮索しないでいてくれたのではないだろうか。でなければ、戸建ての家に案内された時点で一人暮らしかどうか訊ねそうなものだ。途中で私の家族が帰ってくるような事態になれば、近界民が忌避していた騒ぎが起こることは免れないのだし。
「……そうか。じゃあ、預からせてもらうな」
悩んでいたのだろうか、だいぶ間があった後に近界民は机上に置かれた鍵を手に取った。「はい」と返事をすれば近界民は少し安心したように鍵を懐へとしまい込む。
「じゃあ、とりあえず解散だ。部屋にいるから何かあったら呼んでくれ」
「夕飯はどうしますか?」
「うーん、さっき教えてもらったのもう一度確認したいから、食べる時に呼んでくれ。おれもその時に食べる」
「わかりました」
事務的な連絡を交わし、近界民はさっさと居間を後にした。階段を上る音の後に扉が閉まる音が響いたので、宣言通り提供した部屋にこもるのだろう。
「……誰かいるなんて、変な気分」
いつか、誰かとこの家に住めたら。残された家を失わないためにがむしゃらに働いていたころ、そんな“いつか”を夢見ていた気がする。その内に働いてお金を稼ぎ、家を維持することに一生懸命になるあまり、そんな夢を抱いていたことすら忘れてしまっていたらしい。
そんな夢が、私から家族を奪った大規模侵攻を引き起こした近界民によって叶えられるとはなんて皮肉なのだろう。けれど、近界民として一括りにするにはあまりにも――近界民は、近界民らしからぬ存在だ。もっと傍若無人に振舞ってくれれば素直に恨めたものを、あまりに礼儀正しく、ましてや私を案じてくれる姿を見れば憎むに憎めない。
「……私、なんかおかしくなったのかな」
ため息を一つ。出先で近界民が破壊した建物の下敷きになり、旅立ってしまった私の家族は果たして、今の私を見てなんと言うんだろうか。