お出かけ前の、マナーは遵守
「それじゃあ、いってきます」
「行ってらっしゃい」

 今日もまた、近界民は学校へ行くらしい。
 学生は学校に行くのが仕事みたいなものだし、変に休む方が目立つだろうこともわかる。けれど、近界民が学校で勉強しているなんて姿は想像できないし、学校に行くことが、近界民の目的であろう人探しに役立つのかはわからない。それでも行くというのなら私はただ見送るだけで、私も私で仕事に行くだけ。
 そうして今日も、いつも通りの仕事をどうにかやり切って帰路へと着いた矢先のことだ。駅前の混雑の中で電光掲示板が、『警戒区域の外にゲート発生!』と点灯している。

「……え?」

 まるで、自分が何かをしでかしたようにざっと血の気が引いていく。まさか、今日こそ本当に近界民が騒ぎを起こしたんだろうか。私は慌てて端末を引っ張りだし、帰ることも忘れてニュースを検索する。
 報道の内容はこうだ。『本日午後、本来ならば警戒区域内にのみ発生するゲートが三門中学に発生した。現れた近界民が学生を襲ったが幸い負傷者はおらず、ボーダー隊員によって近界民は無事討伐された――』

「……討伐」

 その言葉が示すのはつまり、近界民を殺したということではないか。とは言え、この記述からは“ゲートから現れた近界民”という風に読み取れるし、それが本当なら、我が家から学校へ行った近界民とこの近界民は違うのではないか。
 果たして報道の意図はどちらだろうか。まさか、現れた近界民というのはもしかして――

「落ち着こう。帰ろう」

 何度目かの独り言を繰り返す。傍から見たら不審者だろうけど、気にしている余裕なんてなかった。とにかく落ち着いてと自分に言い聞かせ、取り乱さないように細心の注意を払いながら帰路を進む。大丈夫、大丈夫。いつもと同じように、私は自宅の玄関扉を開く。

「おねーさん、おかえり」
「……た、だい、ま……」

 近界民は、三門中学の制服のまま玄関に座り込んでいた。あぁ、やっぱりいた。昨日に引き続き今日も、自宅に近界民がいるという“異常事態”は変わらないらしい。私は安堵のままに肩の力を抜く。

「なんだ? 今日は早かっただろ」
「……三門中学に、ゲートが発生したってニュースが」
「それだけ? おねーさん、他にも何か聞いてない?」
「……え?」

 無事だっただとかそういう言葉を期待していただけに、さらに何かがあることを匂わせる近界民の言葉に面食らう。三門中学に関する報道を見たところで慌てて帰宅したから、それ以上の情報は調べていなかった。
 言葉に詰まった私を見て察したらしい近界民は、続けて情報を補足してくれる。

「おれが帰ってくる途中も街の中にゲートが開いて、爆撃があったんだけど」
「……え、えぇ……?」
「おねーさん、もしかして気づいてなかったのか?」
「えっと、」

 確認しようと慌てて端末を取り出すも、まず画面に表示されたのは閉じ損ねていたさっきの記事だ。そして落ち着いた今になって、私が記事の終わりだと思ったのは広告によるただの区切りだと気づく。スワイプすればまだ報道は続いていた。
 『再び、市街地にも同様のゲートが発生。大型近界民が出現し、周辺が爆撃による被害を受けた。現在被害状況を確認中であり、今回の件についてボーダーに説明を求める声が上がっている――』

「……会社とは違う方向だったから、知りませんでした」
「ほぅ。まぁ、おねーさんに何もなかったならいいけど」

 「近界民に慣れてるってのも考えものだな」なんて呟く近界民にぐうの音も出ない。警報が鳴り響いたとして、きっと警戒区域の方だろうと方角なんてさして気にも留めない。爆撃音だって同様だ。少し離れてしまえば騒ぎだって警報や爆撃音にかき消されてしまうだろう。身近な危険に鈍感になってしまうというのは確かに、近界民の言う通り考えものだ。

「まぁとにかく、それを調べにまた出かけてくるよ」
「……これからですか?」
「うん。今晩は帰れるかわかんないから、それだけ言っておこうと思って」

 近界民は言い切ってすぐに腰を上げる。「じゃ、そういうことだから」と片手を挙げ、釣られて私も片手を振り返せば、近界民は笑顔で口を開く。

「いってきます」
「……いってらっしゃい」

 本日二度目のいってきますを受けて近界民を見送る。
 玄関で待っていたのは、私に今晩帰らない旨を伝えてすぐ出かけるためだったのか。わざわざ私に『今夜はいない』なんて、隙を与えていいのだろうか。とは言え近界民の言う監視とやらがあればどうとでも対処できるということで、近界民は私の行動を試しているのだろうか。

「まぁ、もう、どっちでもいいか」

 私の知る近界民は『戦いに一般人を巻き込まない』ことをマナーとしているし、遵守する意思もあるように感じる。そもそもの目的が人探しだからということもあるのかもしれないが、いずれにせよ私の知る限り害意はない。
 一方で報道に取り上げられた近界民は、どちらも市民を襲ったというのは間違いない。それは近界民自身も認めていたし、報道からも明らかだ。ならば“私の知る近界民”と“報道に取り上げられた近界民”とは、何が違うのだろうか。
 
「……探し人は、見つかりそうなのかな」

 近界民のことなんて私にわかるはずがない。けれど、もし例えば近界民が『それ』を調べに行ったことと、近界民の人探しが関係しているのだとしたら。探している人は、やはり私たちを無差別に襲うような近界民なのだろうか。
 それでも願わくば、どうか。早く探し人を見つけて、無事に元の世界に帰ってはくれないだろうか。少なくとも何かある度、近界民の身に何かあったのではと見当違いな心配を抱く状況は正すべきだろう。世間の正しさと相反する自分の感情を、今の私は持て余すしかできないのだから。
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