監視と保護の、おもてうら
 結局、宣言された通りに近界民は帰ってこないまま。だから、朝を迎えた私はいつも通りに出勤し、仕事を終えて帰宅する。
 ――や否や、目の前にぷかりと飛行物体。私はもはや、またか、と半ば諦めの気持ちで現実を受け入れるしかなかった。

『はじめまして』
「……はじめまして」

 どうやら私は今、この飛行物体と会話しているらしい。これは俗にいうUMAという奴だろうか。宇宙人とか。なんて少しだけ現実逃避はしつつも、なんとなく予想がついていたので私から声をかける。

「……近界民……さん、ですか」
『そのお目付け役だ』
「そうですか」

 お目付け役、ということは近界民よりも偉い立場なのだろうか。けれど、これ、なんだろう。近界民のお目付け役ということはわかったけど、そうと名乗るこの物体も近界民なのか。私の知る近界民と同じように意思疎通ができるあたり、なんだか不思議だ。

「お目付け役さんは、どうされたんですか」
『伝言を預かった。今夜も帰れないと』

 ……“まめ”だな、と見当違いな感想が浮かぶ。昨日も私に断ってから出かけたし、近界民の行儀の良さに閉口してしまう。
 しかし昨日出かけたのは、警戒区域外に発生したゲート――イレギュラーゲートと名付けられた――を調べにいくという話ではなかっただろうか。
 今朝はいよいよ、三門中学と市街地でのイレギュラーゲート発生が大々的にニュースで取り上げられた。特に、市街地の爆撃被害では死傷者が出たことも明らかになり、ボーダーの責任を問う声や非難の声が報道されたのだ。
 さらに、夕方には一転してイレギュラーゲートの原因が特定できたと大騒ぎになった。小型近界民とやらの写真が町中に溢れ、見かけたらすぐにボーダーへ通報を、との呼びかけ。私が帰宅してくるまでにも、ボーダー隊員がそこかしこで小型近界民の討伐を行っているのを見かけている。
 そう市街地が騒がしい中で、どこへかは知らないが出かけっぱなしとは――

「近界民さんは大丈夫なんですか?」
『大丈夫とは?』
「…………えっと、」

 自然に訊ねたことを聞き返されて、自分の反応に戸惑う。
 二日も帰ってこないで大丈夫なのだろうか。食事や睡眠は取れているのだろうか。小型近界民の討伐という名目でボーダー隊員が町中にいるというのに、近界民は大丈夫なのだろうか。
 思い浮かんだどの問いかけも、近界民の身を案じるようなものだ。お目付け役が不審がるのも当然で、私は前言撤回を試みる。

「なんでも、ないです」
『そうか』

 お目付け役は案外あっさりと頷くだけだった。不審がる様子もなさそうで、ほっと息をつく。
 そう一度は話が途切れたものの、今度はお目付け役への疑問も浮かんだ。私は、この飛行物体を匿う役割も担っているのだろうか。

「お目付け役さんも、ご飯が必要ですか?」
『いや、私には必要ない。気遣いも不要だ』
「……わかりました」

 承知すれば、用事が済んだからだろうか、お目付け役はぷかぷかとどこかへ飛んでいってしまった。いや、小さな姿だったから見失ってしまっただけか。
 ――と、ここでようやく、私は近界民のいう“監視”があのお目付け役のことなのではないかと気づく。
 もしかしてあの飛行物体は、いつも我が家のどこかにいて、私の様子を伺っていたのではないか。確かめるように、誰もいないはずの我が家でそっと呼びかけてみる。

「あの、お目付け役さん?」

 数秒の間。しかしてまた目の前にぷかりと小さな黒い飛行物体が現れる。

『何か用だろうか』
「あっと、あの」

 やはり呼ばれればすぐに答えられる程度に、お目付け役とやらは私の傍にいたのだ。これまでは私が存在を認識していなかったために、目の前に現れることもなかったというだけ。
 で、あるならば。脳裏を過ぎったのは、一体“どこまで”監視されていたのかという疑問だ。

「お目付け役さんが、私の監視をされている、ということでしょうか」
『何か気にかかることでも?』
「……その、お風呂とかトイレとか、そういうのも……監視、されてるんですか」

 監視は承知していたものの、盗聴器があるだとか、監視カメラが設置されているだとかを勝手に想像していた。まさか、二十四時間常に私を監視していたなんて思ってもいなかったのだ。それも、目の前に浮遊するような、近界民以上に得体の知れない存在が。
 もし私の意識の外で、このお目付け役が監視していたというのなら。普段の生活どころか、プライベートも何もなくすべてを監視できていたのではないか。考えられる可能性に身の毛がよだつ。
 ……とは言え、近界民側の危機管理および対策なのだから、ある程度は仕方がないともわかっているつもりだ。だからせめて、妥協点を見つけられないだろうか。そんな思いから発した問いかけに、お目付け役は淡々と答える。

『あまり過度な監視はしないよう言われている。一般人の女性にそこまでする必要はないと』
「そ、そうですか……」
『気持ちのいいものではないだろうが、いざという時に身の安全を保障するためにも最低限の観察は受け入れてもらいたい』

 続いたお目付け役の言葉に面食らった。いざという時に身の安全を保障する対象は、私のはずだ。最初に、私が近界民を匿う限りは、と言っていたはずだから。
 お目付け役は監視を、敢えて観察と言い換えた。近界民側だけでなく、私のための危機管理と対策も兼ねているとなれば強くも拒絶できない。『過度な監視はしない』という言葉が、必要以上のプライベートを侵害するものではないと信じるしかないのだろう。

「……わかりました。ありがとうございます」
『こちらこそ、協力感謝する』

 お目付け役はまた私の視界からふっと消えた。なにか、そういうステルスみたいなものだろうか。それとも単に、小さくて見落としがちになっているだけだろうか。
 
 近界民はどうして、家を空けると律儀に伝えるのだろう。お目付け役が監視をしているのだから、近界民が家を空けようが空けまいが関係ないじゃないか。しかも監視だって、私のプライベートに配慮するようお目付け役に進言しているのだ。私に言われるまでもなく。
 私が一般人だからだろうか。だからまるで、同居人を気遣うように私を気にかけてくれるのだろうか。
 そんなバカなと思いたい。けれど礼儀正しい近界民といい、お目付け役と合わせて紳士的な姿勢を崩さないことといい、今の私にはもう悪意を疑うことの方が難しくなりつつある。



 二日続けて家を空けた近界民。一方の私は今日さえ働けば休みだと、金曜日の仕事をどうにか乗り切った。今週は土日休みだ。ちょっとだけ浮かれた気分のまま、私は自宅へと戻る。
 さて鍵を、と差し込んで回すも手応えがなかった。もしかしてとドアノブを捻れば扉は開き、私が帰ってくる気配に気づいていたのか階段を下りる音が廊下に響いている。

「おかえり、おねーさん」
「ただいま……と、お帰りなさい」

 近界民も自然に「うん、ただいま」と答えてくれる。今日はようやく帰ってきたらしい。
 元気そうでよかったと安心しつつも靴を脱いでいると、近界民は「おねーさん」と続けて声をかけてきた。

「自転車って知ってるか?」
「え? は、はい」
「どこで買えるか教えてくれないか」

 近界民は、どうやら自転車をご所望らしい。我が家にある自転車は……と少し考えたが、手入れもせず放置しているし、錆びていないかどうか。そもそも近界民の背丈を考えれば、どちらにせよ新品を買った方がいいだろう。

「自転車、欲しいんですか?」
「うむ、移動に便利だと思ってな」
「それは、そうかもしれないですけど……」

 とはいえ、自転車に乗れるのかな。『知ってるか?』って聞き方はつまり近界民にとって自転車は身近なものではなかった。むしろ、知らなかったから出てくる言葉じゃないだろうか。悩んでいると「何かあるのか?」と訊ねられたので、私も質問を返す。

「買おうと思えば買えますけど、乗れるんですか?」
「乗るだけならできるんじゃないか?」

 疑問に疑問で返されるのも困りものだが、当人がここまで言うのならいいだろうか。少し迷いはあったものの、どの店なら取り扱いがあるか、それぞれの開店時間や閉店時間、店までかかる時間やその後持って帰る手間など考えを巡らせる。

「……明日でもいいですか? 今から買いに行くと帰りも遅くなりそうですし」
「うーん、明日は十一時に待ち合わせしてるんだ。それに間に合うならそれでいいよ」
「じゃあ、開店一番に行きましょう。九時過ぎには家を出ますので、準備しておいてくださいね」
「うん、わかった。よろしくな」

 何の前触れもなく明日の予定が決まってしまった。まさか、再び近界民と出かけることになろうとは。

 いつ帰って来たのかは知らないが、台所を見れば久々に買い置きの食糧に手をつけたらしいことがわかった。念のため夕飯について訊ねればさっき少し食べたとのことで、とりあえずはいいとの返事。それよりお風呂を借りたいと申し出てきたので私も了承する。
 二日間の空白なんて感じないくらいに、私も近界民も普段通りだ。まるで、そんな非日常が日常かのように。

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