10:心配の芽が出て膨らんで



「久しぶりにあんなに笑わせてもらった、ありがとう」


俺は笑わせたんじゃなくて笑われたの! 礼をいうな!



* * * * *



5時間目は数学だった。
雅治の教科書やノートには落書きが目立つが、数学だけは割合きちんと板書がとられている。数学は好きなのかな、真面目に受けておこう。


しかし俺には今目の前に広がる数学の問8よりもっと大事な問題を抱えている。
そう、ポケットの中にしまわれている手紙のことだ。


雅治にどうしたらいいかとメールを送ったのだが返事が返ってこない。
あいつ、まさか寝てるんじゃないだろうな?
俺の格好して授業サボられるわけにはいかないんだが。
しかし俺のふりをしているからといってあの雅治が1日ずっと机にかじりついていられるとも思わない。
……これは最悪サボり、よくて早退を覚悟していた方がいいかもしれないな。


手紙をよく見てみると、便箋の裏に名前が書いてあった。
どうやらD組の子らしい。知らなくて当然もいいところだな、俺テニス部以外の面々の顔も名前も覚えてないし。


多分この手紙、昼休みが始ってすぐに入れられたものだろう。俺が4時間目の始まり外に出る時にはなかったわけだし。
彼女、どこかで俺が出てくの見てたのかな? それとも、雅治がこの曜日の4時間目はサボってることを知っていた、とか?
まぁ放課後だし、最悪雅治が部活行く時に見てくれるだろうと思ったんだろうな。


……でも、先に見つけておいてよかった。
これ、放課後になってから見つけてたら俺てんぱってどうにもならなかったと思う。


さてどうしたものか。
もう一度メールセンターに問い合わせてみるが新着メールはないらしい。
おい雅治、いつもは無駄に返事早いくせになんで今このタイミングでは来ないんだ。早く返事をよこせ!


「仁王くん」


チラチラとスマホを確認していたら、急に名前を呼ばれた。すぐ隣までいつの間にか近づいていた数学の先生が、にっこりと微笑みを浮かべている。
さっきの生物の、進藤先生と歳は近いんだろうと思う、比較的若い感じの先生だ。ただ、何だろう、怒らせると怖いタイプの、柳さんともちょっと違う感じで……。
あ、てかやばい、スマホ見てたのバレてる、よね?


「問8の答えは?」


尋ねられてもう一度教科書と、ノートを見やる。メールを気にしていて、途中までしか説いていなかった。
ただ幸い、俺はそんなに勉強が不得手なわけでもない。それに、この範囲は数日前に学校で習ったばかりだ。
慌てながら計算の続きを頭の中ではじき出し、答えを告げる。
すると「正解です」と彼は微笑んだ。が、目が笑ってなかった
怖い、この先生。


「正解したご褒美に、みんなの課題を集めて数学準備室に持ってきてくださいね」
「へ、」
「いいですね」
「わ、かったぜよ」


うん、俺押しに弱い。



* * * * *



5時間目終了まで雅治はメールをよこしてこなかった。
渋々みんなの課題を集めて整えながら、さてと教室の扉をみやってからはたと気がついた。
……数学準備室って、どこ?
今日は移動教室がないらしいから助かっていたが、これはまずい。


「おい仁王」


ぽん、と肩を叩いてきたのは丸井さんだった。


「迫センセにみつかったのはまずったな、お前らしくない」
「はは、そうやのう」
「進藤センセほどとはいわねーけど、もちっと見逃してほしいよなぁ」


うん、でも、多分だけど迫先生が普通だよ。進藤先生がゆるすぎるんだよ。
ははは、とから笑いを返しながら、そうだと思い至る。
数学準備室の位置がわからなくて悩んでたけど、丸井さんに訊けばいい。
3年間通い慣れた校舎で迷子になるほどアホみたいなことはない。そんなことになる前に、恥を忍んで確認したほうがマシだ。
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥というだろう。


「なぁ、数学準備室って何階やったっけ?」
「何お前、ボケた?」
「そ、そういうわけじゃないぜよ」
「3階のはじっこだろぃ。……な、お前さ」
「ん?」
「何か今日、変じゃねえ?」


はい、きた。
そろそろぼろが出てもおかしくないよね、うん。確かにね、3年間通い慣れた学校の教室の位置がわからないなんてこと絶対ないよね、普通ね。
内心冷や汗をかきながら、俺は必死に口元に笑みを浮かべようと努力する。
いや、内心ではなく普通に汗が出る。
バレませんように、バレませんように、バレませんように!
流れ星の代わりに、頭の中を駆け巡っている様々な解決策と憎たらしい双子の兄の顔にそう祈っておいた。


「……そんなことないぜよ。ブンちゃんの気のせいじゃなか?」
「だからブンちゃんって呼ぶのやめろぃ!」


そういうとこはいつも通りなんだけどなぁ、と丸井さんは首を捻る。
だがもう考えても仕方ないと思ったのか、頑張れ、と肩をぽんぽんと叩いて席までいってしまった。
……危ない。これは、非常に危ない。


プリントを抱えて急いで廊下に出た。心臓がばくばくいっている。
丸井さんが単純でよかった、よかったけどさ!
ああもう、何で俺ばっかりこんな焦らなきゃいけないんだ!
雅治の馬鹿野郎!!


大急ぎで廊下を走り(ダメなのは知っているがもう早いところ教室から離れたくて仕方なかった)数学準備室まできちんとプリントを届けると、そこで待っていた迫先生は少し意外そうな顔をしてから御苦労さまと笑った。
この人のせいでバレそうだったけど、この人のおかげで丸井さんから逃げられたのも事実だ。


「そんなに急がなくてもよかったんですけど。放課後に持ってきてくれるとか、そういうのでも」
「や……ほ、放課後は、部活が」
「ああ、そうですよね。うんうん、ありがとうございます、受け取りましたよ」


失礼しました、と言って数学準備室を出て、近くの人気のない階段に腰をおろして、ため息をついた。
余計な神経ばっかり使って、体力より先に気疲れがすごい。まだ1日終わっていないのに。


……そう、放課後は、部活があるんだよ。
これから始まるその試練の時間のことを思うと、ため息がもう一つこぼれた。



心配の芽が出て膨らんで



(雅治からの返事は6時間目が始まるあたりに届いた)
(数学の時間はバレたら先生に怒られるだろうからメールしなかったんだと。そういうのは先にいえ)


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