「仁王」
この人何で何回も俺の名前呼ぶわけ? いちいち返事するの面倒なんだけど……。
* * * * *
柳さんに連れられてきたテニスコートは、校舎のすぐ近くにあった。
さすが王者立海、綺麗で広いコートだなぁ……。丁寧に整備されてるんだろうな、というのがわかる。
道具も場所も大事にしてこそプロってのはどの道でも通じるんだろう。
「蓮二、おはよう」
「ああ弦一郎か、おはよう」
テニスコート脇の部室らしき建物からジャージ姿に黒い帽子を被った人が現れた。
……こ、顧問……?
いや、今柳さんが「弦一郎」と呼び捨てにし、かつ柳さんを「蓮二」と呼び捨てにしたからには恐らく、同い年。えええ?
確かに朝、レギュラーの名前を覚えた時に「帽子かぶったおっさん」と雅治がいっていた。
これは間違いなく彼のことだろう(うちの兄が失礼ですみません)。
ってことはこの人は……。
「おう真田、おはようさん」
これで間違ってはいないはず!
それなのに、彼はぎょっとした顔をしてこちらを見てくる。
……お、え? 間違ってた?
「おはよう。珍しいな……どういう心境の変化だ? いや、精市不在の今、漸く仁王も真面目に部活に取り組む気になったということか……」
真田さんはしたり顔でうんうん頷いている。
腕を組んで視線は空を向いて満足そうに口角を吊り上げた。俺には、一体何に満足しているのかは全然わからないんだけど、なんか……ごめんなさい。
「これからは心機一転、真剣になると決意してくれたのだな。ありがとう、仁王」
ぽん、と肩を叩かれて冷や汗が首の後ろを伝った。
いや、ホントに申し訳ない。うちの兄がちゃらんぽらんなのは生まれつきで、しかも弟の俺でさえ迷惑してるんだ。
今すぐ土下座して正体を明かしてしまいたいが、そうなっては雅治からの報復が怖い。
しかも今バラすとこんなに感動してくれている真田さんが非常に可哀想だ。
よ、よし、俺、頑張れ。
雅治になりきってこの状況を回避するんだ。
散々「仁王兄弟のポンコツな方」「どんくさい方」と野次られてきたけれど、俺だってやればできる男なんだということを見せる場面だ。
仁王雅臣の本気を今こそ見せてやれ!
「……ぴ、ピヨ」
なぁ雅治、色々文句もいってきたけど……この鳴き声って、困ったときに便利だな。
* * * * *
「おはようございます」
部室でできるだけダラダラとと着替えていると、丁寧な口調で眼鏡をかけた人が入ってきた。彼は俺を見るなり、おや、と声をあげる。
眼鏡はどういう仕掛けなのか逆光でもないのにレンズが透けていないため表情が読みづらい。
いや本当、どういう仕掛けなんだろうか。柳さんといい、ちゃんと見えているんだろうか。
「今日は早いのですね、仁王くん」
「お、おう、気まぐれじゃ」
「はは、その気まぐれを続けてくれるといいのですけどね」
そういって笑った彼は多分、えっと……眼鏡だから、柳生さんだろう。
現在雅治とダブルスパートナーを組んでいるらしい。ダブルスってあれでしょ? 2対2で試合するやつだよね。
俺としては、この人が一番要注意だ。ダブルスパートナーなのだから恐らく最近は一番行動を共にしているだろう。
つまり、ちょっとした違和感でも漂わせようものならすぐにバレてしまうかもしれない。
しかしだからといってあからさまな警戒心を抱くわけにもいかないだろう。
だってダブルスパートナーなんだから、雅治も信頼もしているはず。そんな相手が急に警戒心丸出しにしてたら変だって思うよ。俺だって変だと思うもん。
「おや? ジャッカルくんもまだですか?」
「恐らく丸井と赤也を迎えにいっているのだろう。それに伴いジャッカルが遅刻する確率86%」
……、確率?
それは何を割る数にして何を割られる数にした上での計算なんだ? 日頃の経験則に従ってるのか?
柳さん……さすが参謀と呼ばれるだけのことはある、のか?
よくわかんないけど……。
レギュラーであと来ていないのはジャッカルさんと丸井さんと切原、いや、赤也くんだけか。
部長さんは今入院中って聞いたし……しかしこの時期に入院って大丈夫なのか?
ちょっと心配だな、いや、全然知らない人なんだけどね。同い年の子が長期入院しているって、やっぱりなんだか心配しちゃうよ。
王者立海、全国大会2連覇中。
それって相当なプレッシャーだよな……俺なら不安で押しつぶされそう。
まあ、みんな毎日練習を重ねてるのだから当然の結果なのかもしれない。
なんだかんだあの雅治だって毎日帰り遅いし、試合とか楽しそうだしね。
……いいなぁ、俺すっごい運動音痴だから、そういう熱中できるようなものないし。
特技の一つもあればいいんだけど、特にないし……勉強はともかく体動かすものに関しては何しても雅治に負けるし……。
思えば、俺、雅治に勝てることって何かあったかな。
真面目でまともな性格以外で。
ちゃらんぽらんではあるけど、あいつ、昔っから隠れて一生懸命やるやつだったしな。
……なんか、あれかな、俺少しはあいつを労ったり労わったりしてやんなきゃ駄目なのかな。
雅治がいつも身を包んでいるユニフォーム。
俺には少しだけ大きなそれにどうも違和感を抱く。
俺、この服に袖を通す権利、あるのかな。
赤いゴムで適当にくくられた後ろ髪をいじりながら部室に下げられた時計を見上げた。
今頃雅治はまだ家にいるんだろうか。
くれぐれも俺の格好で勝手なことをしないでくれるといいんだけど。
……抜け目ないし、大丈夫なのかな。
ああ不安だ……でも人のこと心配してる場合じゃないんだよな……。
時計の針が7時を指したとき、真田さんの額に青筋がたった。
結局、ジャッカルさんと丸井さんと赤也くんは現れなかった。
いつもは雅治がこんな顔をさせてんだなぁと思うと、申し訳なさに胃が少し痛んだ。
いつもごめんなさい
(さあ、地獄の始まりだ)
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