5:まだ慌てる時間じゃないはず



「各自柔軟の後は軽くアップしておくこと。今日の朝練のメニューはその後で指示する」


こういうのって副部長さんがやるんじゃないのかね? 何故に柳さんが指示出すんだろう。



* * * * *



柔軟。アップ。
言葉の意味はわかる。ただ今まで無縁だったもの故に、俺は手順も何もわからない。
早速ピンチに陥っている俺の隣には、今後のダブルスのことについて話したいといって柳生さんがやってきた。
俺はそれをちらちらと盗み見ながら、見よう見まねで柔軟を始めた。


「……ですからやはり、二人のもつ特性を活かすべきだと思うのです」
「……お、う」



う、ぐ、ぐぐ……返事するのが苦しい。
しかし俺身体かったいな! 足も開かないし前にも倒れないぞこれ。
雅治って身体柔らかいのかな。スポーツマンってやっぱり柔軟性が必要なのかな……。
でもあいつが家で柔軟とかしている様子を見たことはないんだけど……。


「仁王くん?」
「な、んじゃ」
「……いえ……」


柳生さんは言葉を飲み込みながらメガネをくいと押し上げた。
あ、まずい、怪しまれている。
やっぱ雅治身体柔らかいんだな。俺がこんなだったらそりゃバレるか……。


「……何だか」
「ん、?」
「今日の仁王くんは仁王くんらしくありませんね」
「……な、ぁにをゆっとんのじゃ。どっからどう見ても俺は仁王雅治じゃろ」


そうですよね、といいながらも彼は首を捻っている。
やばい、まずい、ピンチだ。
俺は平静を装いながらも口元を引きつらせて、冷や汗をかいている。
これはバレるよ、柳さんに確率出してもらうまでもなく高確率でバレるよ…!


「……仁王くん、一つ、いいですか?」
「な、なんじゃ?」
「これは全くもって私の主観的な感情であり、あなたにとっても部にとっても本当は良くないことだとはわかっているのですが……」
「だから、なんじゃ」


「柳生は自分の意見を述べるとき、いちいち回りくどくてうるさい」と雅治がいっていた。
確かにちょっと気持ちはわかる。うるさいとはいかないまでも回りくどい。本題に入るまでが長いんだなこの人。


「……あなたに真面目にされるとどうも調子が狂うのです」


あ、あぁ。
鈍くてよかった…っ!


しかし雅治……俺が物凄く頑張ってお前の適当さを演じているというのに……。
それでもなお真面目で調子が狂うといわれるほど普段不真面目なのかお前は。


「そ、そうかのぅ」
「ええ…、気まぐれにしたって、まるで中身だけそっくり別人のようです。普段アップはともかく柔軟など真剣にやらないでしょう?」


……真剣にやってるように見えるのか、これが。
ちょっと眼鏡の度を調節したほうがいいかもしれませんよ、柳生さん。
それから後で雅治のことは怒っておくから、安心していいよ柳生さん。


柳生さん。雅治のダブルスパートナー。この人、鋭いのか鈍いのかよくわからないな……。
正確にいえば今の仁王雅治はそっくりそのまま別人なんだ。
傍目から見る分には中身だけ別人のように見えるんだろうな。


俺が目つき悪くして格好を一緒にしてホクロを足せば雅治になるように、ホクロを隠して衣服や髪形を整えれば雅治は俺になる。
一卵性双生児の特権ではあるのだろうけど、それを利用することなんか一生ないと思ってたのに。
何が楽しくてこんなことしてんだろうな……俺。


「……、……仁王くん、聞いてますか」
「あ? すまん、ぼーっとしとった」
「あ、いえ……」


柳生さん。
今、小さい声で「仁王くんが素直に謝った……?」っていいましたね。
どうやらあいつには、礼儀っつーものを一から叩きこんどいた方がいいようだな。



* * * * *



「悪い! 遅れた!」


柔軟を終える頃になって制服姿の3人が慌ただしくテニスコートに飛び込んできた。その内1人は慌てた様子もなくのん気にガムを膨らませてるけど。
その人は赤い髪を揺らして俺は無関係とばかりにずかずかと部室の方までやってくる。
それを必死に1人が引き止めている。そしてもう1人が「ずるいっスよ!」といってこちらも赤い髪のガムくんを引きとめた。


引き止めたのは、煮卵とワカメ。


思わず噴き出しそうになったのをこらえた俺は偉いと思う、久しぶりに心底自分を褒めてやりたい。
こういうことか雅治。確かにこれは見ればわかる。逆にいえば見なきゃわからない。
ホントに煮玉子とワカメだ。他にいいようがないくらい煮玉子とワカメだよ!


「赤也、丸井、ジャッカル! 遅刻するなどたるんどる!!」


……どっかで聞いたセリフだな、その「たるんどる」って。
……あ、今朝か! 雅治がモノマネしてたのは真田さんだったんだな。
やっぱり顧問じゃなかった。というか、部活始まってるけど顧問はどこに……?


「ちが、違うんスよ! あーっ! ちょ、仁王センパイなんで先に来てるんスか!?」


ワカメくん(ごめん、赤也くんだよね)がこっちを指さして怒ったような表情を浮かべる。
な、なんだよ急に。俺は何も悪くないぞ。文句なら雅治にいってくれ!
いや、それだと今は俺にいわれることになるから明日あたり本人にいってくれ!


「何が違うというのだ!」
「だ、だって仁王センパイが……!」


だから俺が何だっていうんだ。いや俺じゃなくて、雅治がだけど。


「仁王、お前なんで電話出ないんだよぃ?」
「は?」


電話?


「お前んちまでわざわざ迎えに行ったおかげで遅刻しちまったじゃねえかよぃ」
「は、わざわざ迎えに?」
「だっていっつも俺たちと一緒にギリギリに登校してるじゃないっスか! ジャッカルセンパイが丸井センパイと俺起こしに来て、それから仁王センパイに電話して起こして〜。で、大体コンビニのあたりで会うじゃないっスか、それなのに!」


つまり彼らの言い分によると、
@いつもジャッカルさんは丸井さんとワカメくんを起こしている。
Aこの4人の中で仁王家が一番学校から近いため、ワカメくん回収後雅治を電話で起こす。
B電話が来てから雅治準備開始、家を出発。
C大体コンビニ前で落ち合って一緒に登校。
これがいつもの日常のようだ。


しかし今日に限って雅治が電話に出ない。これで雅治が起きずに遅刻したら、後で雅治からどんな嫌がらせという名のいたずらが待っているかわからない。
だから3人は雅治をわざわざ迎えに行った、ということか。


朝、雅治と俺はケータイを交換した。
俺はあんまりケータイを頻繁に確認する方でもないので、鞄に突っ込んでしまったため電話に気づかない。
学校に着いてからも俺は今日一度もケータイを確認していない。
よって彼らは仕方なく若干の遠回りをしてわざわざ家までいったのか。


……おい雅治、俺は聞いてねえぞ、一緒に登校してるなんて。


「いいわけなどたるんどる! 遅刻は遅刻だ! 全員校庭10週!!」
「げぇっ」
「仁王センパイ〜!!」


俺のせいじゃない雅治のせいだ。
いや、うん、今は俺が雅治なんだけど。


しかしジャッカルさん、君せっかくみんなを起こしたのに……とばっちりもいいとこだな……ごめんよ。



* * * * *



それからすぐに着替えを終えた3人が、十数分後、校庭10週を終えて帰ってきた。
丸井くんと赤也くんはぜぇはぁ肩で息をしているが、ジャッカルくんはけろっとしてる。
すげえなハーフ、って、関係ないか。


ドリンクを飲んでタオルで汗をぬぐった赤也くんが唇を尖らせながらこちらを見る。
少し怒っているような拗ねてるような顔だ。きっと可愛い後輩なんだろうなぁ、あの雅治が下の名前で呼び捨てにしてるくらいだし。


「ひどいっスよ仁王センパイ。何で今日に限って……」
「き、気まぐれナリ。すまんのぅ」
「えっ!?」


謝ったらまた驚かれた。
雅治……お前ってやつは……。


「なぁ仁王」


コートそばに座り込んで柔軟していた俺の背後に立ったジャッカルさんに上から声をかけられたので視線を向ける。
太陽に照らされた頭部が非常に眩しい。うん、綺麗な煮玉子だな。
……駄目だ、思い出したらまた笑いが込み上げてきた。


「家にいたのって弟か?」
「あ? お、おう、そうじゃ」
「お前に顔は似てるけど性格も喋り方も全然違うんだな」
「……おう」


嫌みのつもりで「自慢の弟ナリ」くらいいってやろうと思ったのに、恥ずかしすぎていえなかった。



まだ慌てる時間
じゃないはず



(「いつも兄がご迷惑おかけしてます」だとよ、いい弟さんだな)
(……あの野郎……!)


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