「仁王は筋トレ、腹筋50背筋50腕立て30を2セット」
俺は今日この部活で殺されるんじゃなかろうか。
* * * * *
こういうとき仁王雅治という男の習性は便利だ。
基本的にはだらけているし、絶対に何かを真面目にやるタイプではない。だから、難しいことやめんどくさいことはサボってしまえばいい。
咎められたら「プリッ」だの「ピヨッ」だのいってればどうにかなる。
トレーニングルームでだらだらと腹筋をし始める。
柳さんから筋トレを命じられたのは俺だけだったため、1人なのは助かった。
1,2回腹筋をしたところで、普段使われていない筋肉がぷるぷると悲鳴を上げる。
……俺、本当に運動なんてしないから仕方ないけど。健康的な中学生男子としてどうなんだろうか、この体力の無さは。
「仁王」
「う、わっ」
1人しかいないと思っているところに突然声をかけられて、思わず肩がはねる。
ばっと声のした方を振り返ると、彼は少し口角を上げて微笑んだ。
「驚かせたか、すまない」
「い、いや、油断しとった。……音もなく現れるのやめんしゃい、参謀」
くつくつと彼は喉で笑う。いつの間にかトレーニングルームに現れた柳さんは、俺のリアクションを楽しむかのようにゆっくりと歩み寄ってきた。
……何回もいうけど、目見えてんのかな…この人。
「なんじゃ?」
「いや、俺も筋トレをしようかと思ってな。それから」
「そ、それから?」
「お前にも話があったんだ」
すうっと閉じられていた瞼が持ち上げられ、切れ長の目が俺を見つめる。
心臓が冷たくて高い音をたてたのが聞こえた。
「は、なし」
「そう、話」
きゅっきゅっと、わざとシューズの底を鳴らしているかのようにこちらに近づいてくる。
使い込まれた練習用のシューズ。
長くて細い足が一歩ずつこちらに向かって踏み出される様は、ホラー映画でもみている気分だ。
いや、今実際に体験してるんだ、が。
「な、んじゃ?」
「……今日は、お前の兄はどうしたんだ?」
お前の、兄、?
「……なにをいっとるんじゃ? 俺には兄はいないぜよ」
「仁王雅治には、な」
ああ、これは、
「だがお前にはいるだろう? なあ、仁王雅臣」
バレてる、完全に。
「……、……」
「いわないでも大体は想像がつく。大方あいつが入れ替わろうと言ってきたのだろう、違うか?」
「な、んで」
何でわかった?
そりゃ違和感は多々あっただろうが、柳さんとはほとんど会話していない。
朝校門前で会って、テニスコートに移動するときが一番一緒にいたけど、別にろくな会話を下覚えもなかった。
それに、雅治に「怖い」といわれていたから一応気をつけていたつもりだったんだけど、何がおかしかったのだ。
「ほう。何故と問うか。あまり立海大附属の参謀を甘く見ない方がいいぞ」
ああ……これは、観念しといたほうがよさそうだな。
柳さんは怒っているような様子ではないが、元から表情があんまり豊かなタイプではなさそうだから、何を考えているのかは読み取りづらい。
もう完全にバレてるみたいだし、カマかけてるわけでもないもんな、この反応は。
ため息をついて、お手上げとばかりに顔の横に両手を持ち上げると、やはりなと彼は頷いた。
* * * * *
彼がいうには、顔と声だけでは判断をつけるのは難しいとのことだ。
最初に違和感を覚えたのはやはり遅刻せずに登校していたところらしい。
「でもそれだって気まぐれで済むんじゃ?」
「それもそうだが、今までの行動パターンを考えるとほぼありえないといっても過言ではない。朝練をサボる方がどちらかといえばそれらしい」
「まあ、ね」
それから、と彼は冷静な声で言葉を続ける。
「仁王」
「うん、なに?」
「それだ」
は? と首を傾げると、わからないかと逆に尋ねられた。
わからないから訊いてるんですよ柳さん。
「名前を呼ばれていちいち返事をしているのがおかしいと思ったんだ」
「……え、あいつ返事もしないの?」
それは人として最低じゃないの?
謝ると驚かれるし、返事したら違和感を抱かれる。
雅治……お前いつか友達なくすぞ。
「そういう意味ではない。あいつは人の考えを読むのがうまい。特に意味もなく名前を呼ばれたのか、何か話があるから呼ばれたのか判断して返事をする」
「へえ……」
それは知らなかった。
それもそうか、俺自身が無意味に雅治のこと呼んだりしないもんな……。
「反対に仁王自身は意味もなく人の名前を呼ぶのが好きだな」
「あ、それはわかるかも」
あいつ家でも意味なく俺のこと呼ぶもんな。何だと訊き返してもなにもないことのほうが多い。
用事ないなら呼ぶなと毎回怒るのが定番だ。
じゃあ返事しなきゃいいんだろうけど、俺が返事しないと拗ねてきて余計に面倒なことになる。
我が兄ながら、本当にめんどくさい。
普段の雅治の行動を思い返して俺が少し笑うと、ふっと柳さんも微笑んだ。
綺麗な笑い方する人だよな、何つーか、菩薩様みたいな。
「お前が仁王雅治ではないと俺が確信したのは、着替えた時だな」
「着替え? 何で?」
「着替える順番がいつもと違った。人というものはそういう習慣を変えることはほとんどない。無意識の内に自分なりの順番をつくるものだ」
「……え、ん?」
「それから、筋肉の付き方があいつのそれとは異っている。身長も若干お前の方が低いだろう、違うか?」
「……、……あのー、柳さん?」
なんだ、と特に変なことをいっているつもりはなさそうな様子で彼は尋ねてくる。
俺は嫌な感じの汗が流れていくのを感じながら、眉根を寄せた。
「こういうのって何なんだけど、」
「どうした、いってみろ」
「なんか……こう、ストーカーっぽいです」
そう告げた瞬間、ぴしり、と柳さんの動きが止まった。
……あ、これ禁句だった?
いや、知ってたよ、雅治から聞いたから。「柳蓮二は膨大なデータを操る」ってさ。
でも人の着替えの順番とか普通データ取らないだろ!?
筋肉に関しては、いいよ、そんなの見ればわかるしさ。いや見られていたことが俺にしてみれば若干恐怖だけどさ。
でもさ、でもさぁ……。
俺が顔を引きつらせると、柳さんがゆるりと閉じられた目をかっと見開いた。
まずい、ころされる。
「……仁王雅臣」
「は、はいっ」
「立海大附属中学校に通う仁王雅治の双子の弟、一卵性双生児。誕生日は12月4日、血液型AB型。身長173cm、体重60kg。家から近い公立中学に通う、クラスは3年2組、出席番号は……」
「ちょ、ちょちょちょまっ!」
「なんだ、まだ続きがあるぞ」
「もうい、もういいですよ! 怒ったなら謝るから!」
滝のように溢れ出る個人情報を慌てて止めると、少し考えた後に満足そうにそうか、と頷いた。
やっぱり怒ってたんですね……。
なんでこの人こんなこと知ってるんだ? だって俺、柳さんと会ったことなんてないし、第一俺の情報を知っていたところで彼にはなんのメリットもない。
「……それで?」
「なんだ」
「俺が雅治じゃないと確認して、柳さんはどうしたいんです? あ、雅治を引っ張ってきて説教したいっていうんだったら俺も加勢しますが」
「いや」
ゆっくりと首を振った柳さんは、ほんの少し俯いて、それから俺を見た。
なぜだろう、ものすごく見下ろされているというか、見下されているような気がするのは。
「貴重な機会だ、存分にデータをとらせてもらおう」
「へ?」
……何を言い出すんだこの人は。
もう充分だろ、あれだけデータありゃ。絶対使わないぞ、今後そのデータ。
集めるだけ無駄だろ、無駄!
だが彼は前言を撤回するつもりはないらしく、顎の下に手を当ててくすりと笑う。
「ちなみに弦一郎にバレたら色々と厄介だぞ」
「う、それって」
「せいぜい頑張れ、ということだ。俺は俺で楽しませてもらおう」
その笑顔は相変わらず綺麗で、まるで菩薩のようで、なのに膝が震えるほどに怖かった。
早々の恐怖体験
(ごめん雅治、もうバレた)
(……いや、謝る必要、ないか)
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