ズイタウンに着いた翌日、私は町の東側にあるズイの遺跡を観光するため、そこに向かっていた。
ミカルゲは途中まではいつもの調子で私たちについて来ていたのだが、途中でぴたりと動きを止めたかと思うと、そのまま要石を引きずるようにズイタウンの方へ戻っていってしまった。遺跡にはあまり興味がわかなかったのだろうか。私はその背中に「夕方までには町に戻るからねー!」と声をかけて、ゴーストとふたりで遺跡を目指した。
ズイの遺跡は、テンガン山とよく似た地質の山を人工的に掘って作られたもので、シンオウの歴史的構造物の中でもかなり古い時代のものに分類されるらしい。ハクタイシティで見たポケモン像よりも、この遺跡の方が遥かに歴史は古いのだという。
私は、シンオウの神話や伝説に語り継がれるポケモンについてなにか分かればいいな、と思いここにやってきた。しかし、遺跡にいた遺跡マニアの話を聞くに、どうやらズイの遺跡はシンオウ神話を語り継いできた人々とは違った独自の文化を持った集団によって作られたものらしい。
それではあの人に繋がる情報は得られないかもしれないな、と思い少しだけがっくりとした私に、遺跡マニアはこう続けた。
「この遺跡にはね、形成当時のシンオウ神話を外からの目線で見た歴史的証言が残されているのではないかと言われてるんだ」
彼の話は、とても興味深いものだった。
シンオウ神話を作った人々の文化は、文字を持たなかったのだという。現代に伝わる神話は、長いあいだ口伝で伝わり、神話の価値が再評価され始めた近代に入ってようやく文字化されたものらしい。
口伝えで伝承されていくうちに、神話は少しずつその姿を変えてしまったのではないか。そう仮定した研究者たちは、シンオウ神話本来の姿を求めてズイの遺跡――シンオウ神話形成期には既に文字を持って歴史や哲学を独自の価値観で記していたズイ民族の遺跡を、研究し始めたのだそうだ。
「口伝で変化してしまう前のシンオウ神話が、きっとここにはある。そう思うと、ここに来ずにはいられないんだ!」
壁一面に掘られた古代の文字を眺めながら熱にうかされたように喋っていた彼は、そう言ってはっと我に返ったようで、「なんか語ってしまって、すまないね」と照れたように笑う。
私は彼の言葉を胸の中にしっかりとしまいながら「そんなことないです」と言った。この遺跡にも、シンオウ神話の断片が隠されているかもしれない。それだけで、私の胸は高鳴った。
「とっても勉強になりました! これから遺跡の奥に行くの、楽しみです」
「そうか。それはよかったよ。気を付けて行っておいで」
色褪せた風合いのクラッシャーハットを脱いで別れの挨拶をしてくれた遺跡マニアに再度お礼を述べて、私は地下へ通じる階段をおりていった。
最下層と思しき行き止まりの部屋に辿り着いた私は、そこに広がっていた光景に思わず言葉を失った。壁一面に刻まれた、大量の古代文字。それが私たちを出迎えてくれたのだ。
「わあ、」と漏れ出た感嘆の声が、硬い岩の壁に反響していつまでも消えることなく響き続ける。音の反射の具合のせいか、四方から自分の声が聞こえてくる。その不思議な感覚に浸りながら、私は壁の古代文字を見つめた。
この大量の碑文は、かつてここに生きていた人たちが後世に伝えたいと思ったことなのだろう。この文字は、一体なにを記しているのだろう。こんなにたくさんの出来事を私たちのために記してくれたズイの古代人は、どんな人たちだったのだろう。
溢れる疑問は尽きない。私は遥かな過去に思いを馳せながら、文字の刻まれた冷たい岩壁に指をはわせる。
その瞬間だった。
私の指先が触れた碑文が淡い藍色の光を放つ。じわりと光る文字に目を奪われた刹那、その文字列は、どういうわけだか壁を離れて、ひらりと私の目の前に躍り出た。
慌てて数歩後ずさる。私はやや呆然としながらも、宙にふわふわと浮く古代文字を凝視して、彼らがみな一様に私の心の中を見透かすような静かな瞳を持っていることに気がついた。
あれは、アンノーンだ。私は頭の片隅の古い記憶を呼び起こす。昔、テレビの歴史番組でその姿を見たことがあった。古代の文字とよく似た姿を持つと言われている、謎の多いポケモン、アンノーン。
彼らは私のことをじっと見つめながら、こちらに近付いてくる。……敵意は、感じられない。私は控えめにあいさつをしてみる。すると、彼らは私のあいさつに返事をするように甲高い声で鳴きながら、ぺこりと、おじぎのような動作をしてみせた。
私は、信じられない気持ちでそれを見つめていた。古代文字の中から突然アンノーンが現れたことも、彼らと意思を通わせられたことも、きっとそうそうあることじゃない。
呆然とする私を見つめていた彼らは、私の近くでひらりと回転をする。そして高い声で鳴き交わしてから、不意に私の頭に、ちょん、と触れた。
その瞬間、私の脳裏に一筋の光が走った。目の前でアンノーンたちが光ったのかとも思ったが、違う。その光は、私の頭の中で、直にまたたいている。そうとしか、形容できない。
驚いた私は、思わず目を閉じてしまう。頭の中の光は、当然ながら目を閉じても消えることはなかった。むしろ、余計な感覚を遮断したぶん、その輝きが強くなる。
次いで、そんな私の瞼の裏に、今まで見たことのない映像が“よみがえって”きた。
そこは、空の真ん中に浮かぶ神殿だった。青い塗料で装飾された大理石の柱が林立する、シンオウ地方で最も天に近い場所。
綺麗な衣装に身を包み、それぞれ形の違う独特の飾りを頭につけた3人の女性が、黄金色に輝く鏡を持ちながらなにやら祈りをささげている。
彼女らの先には、白い装束を着て神殿を奥へと進んでいく女性の後姿と、三角形の模様が彫り込まれた台座の上に彼女のことを迎えるように鎮座する、巨大な像があった。その像と目が合った瞬間、私はあることに気がついた。これ、どことなくハクタイのポケモン像に似ている――
はっとして目を開ける。
そこは、つい先程となんら変わりないズイの遺跡の中だった。指先の碑文は、当然のように光ってなどいなければ、アンノーンになって浮遊してもいない。
私は深呼吸をして、やや混乱している思考を落ち着ける。それから、私はもう一度、さっきの碑文に触れてみることにした。指先が冷たい岩壁に触れる。しかし、なにも起こらない。
……あれは、幻覚だったのだろうか? でも、私の脳裏にはさっきの映像が、はっきりと残っている。アンノーンに触れられた感覚だって、しっかり思い出せる。
私はキュウコンにつままれたような顔をしながら、一緒にここまでやって来たゴーストの方を振り返る。私は彼に「今の、見たよね?」と尋ねようとしたのだが、彼は私のことなど見てはいなかったようだ。こちらに背中を向けて、どういうわけだか石窟の隅の方をじっと見つめている。
私は証言者のいない不思議な現象について考えることをいったん止めて、彼の方に歩み寄った。
「どうかしたの?」と声をかけると、ゴーストは小さな声で鳴きながらこちらを振り返り、大きな手で部屋の隅を指し示した。私は促されるまま、視線をその先に転じる。
薄暗くて目立たない部屋の隅にあったのは、なんと霧払いの秘伝マシンだった。
もしかして、ここに観光に来た誰かが落としてしまったのだろうか? 秘伝マシンといったら、ショップでは取り引きできないくらい高価なものだ。きっと、落とした人は困っているに違いない。
「大変! 交番に届けないと」
私は急いでズイの遺跡を後にすることにした。秘伝マシンを拾い上げると、ゴーストに「行こう」と声をかける。
石窟を出る直前、最後に一度だけ振り返って、古代文字の刻まれた部屋を一瞥する。さっきのあれは幻覚だったのか、本当に起きたことなのか、わからないままだけど。もしもまたここに来ることがあったら、その時はまた、少しだけきみたちの秘密をわけてくれる? 声に出さずにそう尋ねてみても、石の壁は当然のように沈黙したままだった。
……それも、そうか。
私は少しだけ自嘲気味に笑って、今度こそ本当に石窟を後にした。
[ 101/209]← →