はじめ、202番道路の木々の向こうに街の影が見えたのは、ゴースと一緒に少し早いおやつを食べてすぐのことだった。
この調子ならもうすぐ街に着きそうだ。そう思った私は、それから幾人かのトレーナーと勝負をしたり、野生のポケモンを眺めたりしながら202番道路を進んでゆき。
……そうして私がコトブキシティに着く頃には、すっかり日が傾いてしまっていた。
はじめは寄り道をしたから時間がかかってしまったのかと思ったが、コトブキの街を少し歩いて、私はそれが寄り道だけのせいでないことにすぐに気付いた。
コトブキの目抜き通りに並ぶ高層ビル。そのビル影があまりに巨大で、それを遠目に見た私は街までの距離を勘違いしてしまっていたのだ。
高層ビルのガラスが橙色の夕日を反射して、コトブキの街は隅から隅まで、――なんならビルの影までもが、まばゆい夕焼けに染まる。
その中を、様々な年代の人々がそれぞれに歩いてゆく。ポケモンを連れ歩いている人も少なくない。これだけたくさんの人とポケモンが行き交っているのにぶつかったり事故が起こらないんだから、都会の人は本当に洗練されているなあ。私はそんなことを思いながら、近くにあった案内板でポケモンセンターの位置を確認した。
今日は一日歩き通しで疲れてしまった。この人混みに迷う前にポケモンセンターに行って、今日はもう休むことにしよう。この素敵な街の探索は、明日一日かけてじっくするつもりだった。
ポケモンセンターの場所を覚えた私は、通りを北へ進んでゆく。
私がきらきらと輝くビルを見上げながら歩いても転ぶことがないのは、足元が石畳で丁寧に舗装されているからだ。
また、道自体も碁盤の目のようにきれいに整備されているので、余程のことがない限りは道に迷うこともなさそうだ。
大都会の恩恵にあずかりながら歩いていた私は、地図で確認した通りみっつ目の角を曲がる。その瞬間、丁度曲がり角にあった電柱からひとりの男が飛び出してきた。相手をはっきりと確認するより先に私たちは互いにぶつかり合い、派手に転んでしまった。
咄嗟の出来事に、私の思考回路はうまく反応できずに止まってしまう。尻餅をついた状態で固まっていると、私とぶつかった男の人は着古した茶色のトレンチコートをひらりと翻して立ち上がり、私のことをちらっと見た。瞬時にかち合った視線。とても強い光を宿した、印象的な眼差しをした男の人だった。彼は座り込んだままの私を見ていたかと思うと、突然ふっとニヒルに笑って「……見事だ」と言い、私の方に右手を差し出した。
拒む理由もなかったので、その手を取った。手を借りて立ち上がりながら、……ふと、彼の言った『見事』という言葉の意味がよく解らないことに気付き、私は小さく首を傾げる。するとこの男の人は、饒舌に続きを話してくれた。
「聡明なその瞳……参ったよ。君は、私がただ者ではないことを嗅ぎ付けてぶつかってきたのだろう?
その上、あくまでも自分は善良な一市民を装い助け起こされるのを待つ。その瞳は、その歳にしていくつもの修羅場をくぐり抜けてきた手練れのそれだよ」
私が彼の言葉をほとんど理解出来なかったのは、彼が早口で喋ったからではなかった。何ひとつ理解できない状況に、頭が完全に置いてきぼりをくらっていた。私は訳も解らぬまま、取り敢えず否定の言葉を口にすることにした。この人は何か勘違いをしているようだったし、誤解は解いておかないと、後々困ったことになりかねない。
「いえ、私はただ……」
偶然ぶつかっただけなんです、という私の言葉は、彼の言葉に先を越されて行き場を失ってしまった。
「ただぶつかっただけ、なんて、君は言ったりしないよな? 昨日のアベックに続き君までそんなことは言わないのだ」
昨日のアベック、というのが誰のことを指すのかは解らないが、どうやら昨日も誰かに私と同じような事を言って、その人に「ただぶつかっただけだ」と言われたらしいということは、なんとなく理解できた。
だが、それにどう返事をしたものか。迷っているうちに彼はこの沈黙を肯定と受け取ったらしい、満足そうに一度頷いてから、再び口を開く。
「よいかな。正体がばれたのだ、自己紹介をさせて頂こう。私の名前――いや、君には国際警察でのコードネームを教えよう。私のコードネームは、」
そこで彼は言葉を切り、トレンチコートの裾をばさりとはためかせた。すぐに続けた。
「ハンサム! みんなそう呼んでいるよ!」
自信に満ちた笑みを浮かべながら、彼はそう名乗った。
名乗られたからには、名乗り返すのが筋というもので。私はハンサムさんと比べると小さな声で「私はナギサシティのナマエです……」と簡単に自己紹介をしてから、自分が本当に善良なだけの一市民であることを伝えるべく言葉を続けた。
「ですから、私はただ……」
しかしまたしても、最後まで否定を口にする前にハンサムさんに発言権をもぎ取られてしまう。
「ただ者ではないさ、そうとも。それはわかっている。だから私は、君に協力をあおぎたいのだ」
ハンサムさんはそこでぐっと声量を落として、私にそっと耳打ちをした。
「ギンガ団を知っているか」
私は彼の迫力に気圧されて、素直に首を横に振った。会話の流れから、国際警察がこのギンガ団という一団を追っていることはわかった。国際警察が追うくらいの組織だ、先日までただの花屋の店員だった私とは遠い世界の人たちなのだろう。
ハンサムさんは「ふむ……」と呟いて神妙な表情で何かを考え込んでから、すぐに先ほどのハードボイルドな笑みに戻って続けた。
「なるほど、了解だ!君は引き続き独自の調査を行ってくれたまえ! なにかあれば私に報告するように。では、また会おう!」
ハンサムさんは私が引き止める間もなく、トレンチコートをはためかせて行ってしまった。
なにかあれば知らせるように言っていたけど……私は彼と連絡を取る方法を持ち合わせていない。
ふと見上げたコトブキの空はすっかり夕闇が濃くなっていた。目抜き通りの外灯にはいつの間にやら灯りが入り、東の空ではいくつかの星がまたたき始めている。
思わず深く考え込んでしまいそうになっていた私は、すぐにふるふると頭を振ってその疑問を打ち払った。
そして、止まってしまっていた足を踏み出しながら思った。あのトレンチコートの男の人は、また会おうと言っていた。だから私があれこれと考えなくても、縁があればまた会えるのだろう。
私は、この続きはその時に考えることにした。とにかく今はポケモンセンターへ急ごう。完全に日が暮れる前には着かなくちゃ。
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