私の急なお願いにトバリジムの皆さんはぽかんとしていたが、慌てて事情を説明すると(なお、なんとなく後ろめたくて、ギンガ団のあたりは少々ぼかして伝えた。女の子の一人旅は危険もあるから、とかそんな感じに)スモモさんは私に格闘技を教えることを快く了承してくれた。
胴着を借りて、ジムの小部屋で着替える。スモモさんは帯も結べない私に嫌な顔ひとつせずに胴着の着方を教えてくれた。
「旅の危険から身を守りたいとのことですので、ナマエさんには、護身術の基礎を教えようと思います」
準備運動を終えた私をリングに上げると、彼女はそう言った。格闘技に対してのイメージが貧弱だった私は、リングに上がるまでまず地獄のように走り込みや筋トレをしなければならないと思い込んでいたのだが、どうやらそれは間違ったイメージだったようだ。
聞けば、旅で危険な目に遭わないようにするだけなら、一般的な女性の腕力でも問題はないらしい。
「大切なのは体の使い方なんです。今からそれを教えますね」
腕を掴まれたときや、後ろから羽交い絞めにされたとき、相手が殴りかかってきたときなど、状況ごとの対処法を丁寧に教えてもらう。
彼女の言う通り、私のするべき動きは特別な筋肉や体のバランスを必要としない、ごく普通の動作だった。人体の構造さえ理解していれば、少しの力で相手のバランスを崩すことができるのだそうだ。
練習で、ジムトレーナーのうち一番体格がいい男性に暴漢の役をやってもらう。スモモさんの言葉の通りに動くと、羽交い絞めから簡単に抜けられたし、殴りかかってくる勢いを利用してその屈強な体を投げ飛ばすこともできた。
ただ、唯一必要なスキルがあるとすれば、それは相手の呼吸を読むことだろう。拘束された場合は相手の力が弱くなる一瞬の隙をつく必要があるし、殴りかかられたときは相手の力を利用して引き倒すために、ここだ、という一瞬を捉えなければならない。
力の弱い私が大人の男と渡り合うためには、その一瞬を見極めることが必要なのだ。
感覚をつかむために、何度も何度も練習をする。
そんな私を見ていたゴーストは、暇を持て余すあまり、リングの向こうで私の動きの真似をし始めた。それに気付いたスモモさんは、こんな提案をしてくれた。
「そうだ! よかったら、ナマエさんのポケモンもトレーニングしてみませんか?」
彼女はそう言って、奥に控えていたルカリオを呼ぶ。それから、ボールからアサナンとゴーリキーを出してこう付け加えた、「トレーナーとポケモン、一緒に強くなれたらいいなって思いません?」
私は彼女の素敵な提案に顔を輝かせたのだが、すぐにあることを思いだして口をつぐんだ。
私は、今は彼女に格闘技を教えてもらっている身だけど、いずれはトレーナーとして彼女に挑戦するつもりでいる。なのに、彼女にポケモンの稽古をつけてもらうのは、なんだかフェアじゃないような気がしたのだ。
私がおずおずとそう言うと、スモモさんは「なるほど、そういうことですか」と頷いてから、「でもね!」と力強い調子でこう続けた。
「あたし、ジムリーダーのあり方ってひとつだけじゃないと思うんです。
バトルを通してトレーナーを導くだけじゃなくて、こうして体やポケモンを鍛えることで一緒に強くなっていくことも、ジムリーダーとしての道の示し方のひとつなんじゃないでしょうか」
自分と同じくらいの年頃の女の子の、ジムリーダーとしての力強い言葉は、私のちっぽけな心配をあっという間に打ち砕いた。
私はポケモンたちをボールから出すと、「よろしくお願いします!」と頭を下げる。彼女はにこりと笑って「よし、ルカリオ、アサナン、ゴーリキー、お願いね」と言ってから、私に「さあ、あたしたちもがんばりましょう」と激を飛ばした。
私は向こうのリングで私のポケモンたちがルカリオたちの指示のもとトレーニングを始めたのを見やってから、「はい!」と彼女の言葉に勢いよく頷いた。
私のポケモンの多くはゴーストタイプだ。どうやって格闘タイプのポケモンとトレーニングをするのだろうと思っていたのだが、彼らは「見破る」という技を使ってゴーストタイプに触れられるようにして、ゴーストたちを見事に指導してくれた。
練習を終えたジムの帰り、家の方向が同じだったスモモさんと少し話をしながら帰った。
「スモモさんだけじゃなくて、スモモさんのポケモンたちもすごかったです。さすがジムリーダーとそのポケモンだなって思いました」
私がやや興奮気味にそう言うと、スモモさんは照れたように笑って、自分がまだジムリーダーになって半年しかたっていないことを教えてくれた。
「……ほんとのことを言うとですね、どうしてジムリーダーになれたのか、強いってどういうことか、自分でもまだよくわかってないんです」
私は彼女の言葉を聞きながら、ゆっくりと夜空を見上げた。薄い雲の向こうでぼんやりと輝いている月が、静かに私たちを見下ろしている。
そんな私の耳の奥に、クロガネシティで化石掘りをした帰りのヒョウタさんの言葉がふっとよみがえった。ルクシオのことを忘れられるくらい強くなりたくて旅に出た、と言った私に、「本当の強さって、なんだろうね」、そう問いかけた柔らかな声。
あの時は、私に向けられた言葉だと思っていた。でも、今ならわかる。
「でも、ナマエさんみたいな挑戦者が来るたびに、ああがんばらなきゃなって思うんです。ジムリーダーとして、あたしなりに真剣にがんばろうって、思うんです」
ヒョウタさんのあの言葉も、スモモさんが私やポケモンのトレーニングをしてくれたことも、きっと同じだ。
ジムリーダーとしてトレーナーを導くには、僕は、あたしは、どうすればいいんだろう。そんな問いかけが、あの言葉の裏に隠れていたんだ。私が自分なりの強さを探しているのと同じように、ジムリーダーはみんなジムリーダーとしての強さを探していた。
「ナマエさん、今日はありがとうございました。また明日も待ってますね」
別れ道にさしかかったところで、スモモさんはそう言ってぺこりと頭を下げると、たんっと軽い足取りで石の道を蹴って帰路についた。
お礼を言わなければならないのは私の方だ。私は彼女にお礼と別れの挨拶を述べて、それからポケモンセンターへの道をとぼとぼと歩く。
……今まで気付いていなかったけれど、ジムリーダーはみんなそれぞれにジムリーダーとしての強さを追及している。
だとしたら。私の脳裏に、懐かしい金色の髪をした男の姿が、ぼんやりと浮かび上がる。今までは、ジムをさぼってばかりで、本当にしょうがない人だと思っていた。でも、思い返してみれば、デンジはシンオウで一番のジムリーダーだと言われていた。彼を慕うジムトレーナーもたくさんいた。
もしかして、私はなにかとんでもない勘違いをしていたのだろうか。
彼は私の知らないところで、ジムリーダーとしての責務をきちんとこなしていたのかもしれない。
だんだんとポケモンセンターの明かりが近付いてくる。私はそれを見つめながら、深いため息をついてしまった。
最後にデンジと電話をしたとき、彼にお前は子供だと言われて腹を立ててしまったけれど、今ならわかる。私は、本当になにも知らない、どうしようもない子供だ。
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