スモモさんに護身術を教えてもらいはじめて三日目の夜、その事件は起きた。
今日も練習を終えた私は、スモモさんに別れを告げてポケモンセンターに向かう。その道すがら、見覚えのある鮮やかな赤い帽子をかぶった少年を見かけて、私は足を止めた。
「あ、コウキくん!」
知人に会えてほころんだ私の顔とは対照的に、こちらを振り返ったコウキくんは、なんだか狼狽したような表情を浮かべていた。
思わず何かあったのか尋ねると、彼は「ナマエちゃん、お願いがあるんだ……」と困ったような声を絞り出した。
聞けば、彼はナナカマド博士の手伝いでポケモン図鑑を埋めがてらトバリまでおつかいにきていたところ、偶然出会ったギンガ団の男に大切な図鑑を奪われてしまったそうだ。
「あれがないと博士の手伝いができなくなっちゃうんだ。……一緒に取り返しに行ってくれない?」
私はそれにふたつ返事で頷いた。コウキくんや博士には、とてもお世話になっている。恩返しに足りるかはわからないけれど、私にできることならもちろん手伝いたい。
私はそのままコウキくんの案内で、彼らが向かったという北の倉庫までやってきた。夜の倉庫街は、ほとんど明かりがなくて薄暗い。私は森の洋館で捕まえたオレンジ色のポケモンをボールから出すと、フラッシュで辺りを軽く照らしてもらう。
「ナマエちゃん、ロトムを捕まえたんだね」
オレンジ色の彼を見たコウキくんは、感心したような声でそう言った。私が「ロトム?」と尋ねると、彼はこのポケモンがロトムという名前であることと、電化製品に入り込んでいたずらをするのが好きだということを教えてくれた。
私は、ようやく知ることが出来た彼の名前を呼んでみる。するとロトムはぱちぱちと弾けるような声で嬉しそうに返事をしてくれた。
「コウキくん、この子の名前を教えてくれてありがとう!」
私が弾む声で礼を述べると、彼は自慢げに「どういたしまして」と言ってから、「図鑑があればもっといろいろ教えてあげられるのになあ」と少しだけ悔しそうな顔をした。
その時だった。
「おい、誰かいるのか?」
明かりと話し声に気付いたらしい誰かが、こちらに声をかけてきたのは。
こんな時間に倉庫街に人がいるなんて怪しい。私たちは頷き合うと、声のした方に急ぐ。ロトムの明かりに照らされて暗闇の向こうから現れたのは、揃いの格好をしたふたりのギンガ団の男だった。
彼らはコウキくんを見た瞬間、「おや、さっきのお子様じゃないか」と言って、その手をゆっくりと腰のボールホルダーに伸ばす。
「なんだ、図鑑を取り返しにきたのか?」
「ふたりまとめて痛い目にあわせてやる!」
彼らはそう言うが早いか、それぞれズバットを繰り出した。しかしロトムの素早い電撃波で、ズバットたちはあっという間に目を回してしまう。
「さあ、図鑑を返して!」
コウキくんはそう言ってずいっと一歩前に出たのだが、下っ端団員たちは引かなかった。くそ、と言いながらズバットをおさめると、今度はスカンプーとグレッグルを繰り出してきた。
「図鑑なんてお前が持ってても子どものおもちゃになるだけだ」
「我々ギンガ団の方が有効に使えるんだよ!」
彼らのその言葉は、どうやらプライドを持って博士の手伝いをしているコウキくんを怒らせてしまったらしい。彼はいつも優しげな笑みを浮かべている唇をぎゅっと真一文字に引き結ぶと、ハヤシガメを繰り出して、こう言った。
「人の困ることをするなんて、絶対に許さない!」
凛とした声やその口調が、なんだかナナカマド博士に似ているな、と思ったのは一瞬。
したっぱたちはコウキくんの言葉に腹を立てたらしく、ハヤシガメに対して攻撃を命じた。
「ハヤシガメ、のろい!」
コウキくんの声を受けて、ハヤシガメは甲羅に手足をひっこめると、素早さを下げる代わりに力を蓄えはじめた。スカンプーの爪とグレッグルの拳がハヤシガメの硬い甲羅に当たって、鈍い音をたてる。
ほとんど手ごたえがないことを悟った彼らは、標的をロトムに変えた。効果抜群の悪タイプの技が彼に迫る。
私はロトムにもう一度電撃波をお願いしようとしたのだが、視界の隅でコウキくんのハヤシガメがのろいを続けているのを認めて、ある作戦をひらめいた。
「ロトム、影分身!」
ロトムはとっさの指示にも素早く対応してくれた。かくばった独特の軌跡を描きながら高速で移動して、いくつもの分身を作る。それに惑わされて、スカンプーたちの攻撃はまたも失敗に終わった。
攻撃が当たらない苛立ちで我を忘れている下っ端たちは、明るく光って注目を集めるロトムの影に隠れてハヤシガメが力を溜め続けていたことに全く気付いていなかった。
ハヤシガメの力が頂点に達した瞬間、コウキくんが力のこもった声で「葉っぱカッター!」と叫ぶ。男たちはそうしてはじめてハヤシガメの脅威に気付いたようだが、もう遅い。最大威力の葉っぱカッターがスカンプーたちを襲い、彼らはたった一撃で戦闘不能になってしまった。
私とコウキくんはコンビネーションがうまくいったことを喜び合ってから、ギンガ団の男たちに向き直る。
そして、今度こそ図鑑を返すよう迫ったのだが。
眉間に皺を寄せて不機嫌をあらわにした下っ端のうちひとりが、「ガキのくせになめるな!」とこちらを威嚇すると同時に、素早い動きで私の背後に回り込んだ。
そして次の瞬間、太い腕で私の首筋をぎゅうっと締め付けた。
身動きがとれない。息が詰まって、真っ暗なはずの視界の端がじんわりと白んでゆく。
コウキくんが目を見開いて私の名前を呼ぶ声が、不思議なほど遠くに聞こえた。
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