ギンガ団の男たちが私を人質にとったことで、一気に形勢が逆転した。私の首を捕まえている男が、耳のそばでくつくつと笑う。
コウキくんはいつもの柔らかな物腰からは想像できないような表情をして、「ナマエちゃんを放せ!」と叫んだ。

しかし、男たちは私を助けようと必死のコウキくんを笑い飛ばすと、「いいからお前はポケモンを全部置いてさっさと立ち去れ!」と言って、コウキくんを脅すように一歩ずいっと近付いてみせた。
それに、今度は彼のハヤシガメが反応した。コウキくんとしたっぱ団員の間に体を差し込むと、したっぱたちを睨みつけて、少しでも近付いたら噛みつくぞと言うようにかちかちと顎を鳴らす。

「おやおや、そんな態度をとっていいのかな?」

私を捕まえている男はハヤシガメのその様子を見て、私の首に回した腕の力をぎゅうっと強めた。私の喉の奥から空気がもれて、ぐっという呻き声がもれる。
コウキくんは悲痛な声で私の名前を呼ぶ。つい先ほど自分たちをバトルで圧倒した少年のその様子は、この男たちの自尊心をとても満たしてくれるらしい。彼らは悔しそうに顔を歪めるコウキくんを見ながら、げらげらと声をあげて笑った。

私は悔しい気持ちでいっぱいになりながら、なるべく男たちに気取られないよう視線だけであたりを見渡す。
探していたゴーストはすぐに見つかった。彼は男たちのやや後方、ロトムの投げかける明かりの影になっていちばん闇が深いその死角で、静かに息をひそめていた。

たぶん、彼は私が本当に危ない状況に陥ったら、そのガス状の体を存分に利用して男たちを攻撃するつもりなのだろう。
あの、ソノオの花畑でそうしたように。

私はゴーストのぞっとするほど冷静な瞳と、頭の上から聞こえてくる男の下卑た笑い声を聞きながら、花畑でのことを思い出していた。
あの時の私は、ギンガ団と、その先に見え隠れしている水色の髪の男のことで頭がいっぱいで、自分の身を危険にさらし、ゴーストに人殺しをさせてしまうところだった。
でも、今の私は、あの時の私とは少しだけ違う。自分で自分の身を守ることができるのだ。

……本当にうまくやれるのか、不安が全くないと言ったら嘘になる。練習は、どこまでいっても練習だ。私に本当の悪意を向ける人間はあの場にはいないし、そういう人を相手にして練習の通りにやれる保証もどこにもない。
でも私は、やらないといけないのだ。だってコウキくんにあんなに心配をかけている。大丈夫、うまくやれる。ゴーストもそう信じてくれているから、手を出さずに待ってくれているんだよね?

げらげらと派手に笑う男の肩が、笑い声に合わせてわずかに上下する。
私の首に回された腕が、ほんの少し緩んで、隙間ができる。

――今だ、と思った。

私は腹の底に力を込めて覚悟を決めると、あとはもうほとんど無心で、スモモさんとの稽古でやった通りに体を動かすことだけに集中した。
まず、男の手首を支点にして、てこの原理でその肘を押し上げる。そして、体をねじるようにして腕から抜けながら、その回転と勢いを利用して男の手首をぐっと捻りあげた。
ありえない方向に曲がった関節と、体の芯を崩すようにかかった力。それになすすべなく男の体は突き崩され、倉庫街の石畳に這いつくばる。

数歩距離をとりがてら振り返った先の男は、何がなんだかわからないというような顔で私を見上げていた。
その瞳には、私に襲いかかってくる前に宿していたような攻撃的な色はもう見られない。

成功した。と思ったその瞬間。
男の背後に隠れていたゴーストが暗闇から姿を現すと、したっぱたちのことを低い声で驚かせた。無防備になっていた下っ端団員はそれに心底驚いたようで、ふたりそろって野太い悲鳴をあげる。そして、
「こ、こんなもん別にいらねえんだよ!」
と吐き捨てると、懐に隠していたらしい図鑑を投げ捨てて倉庫の奥へ消えていった。図鑑が石畳にぶつかるすんでのところで、ハヤシガメのつるのムチがそれを器用にキャッチした。

残されたもう一人の男は、
「れ、れれ例のブツはもうノモセに運んだしな。こんなとこに用はないのだ!」
と自分を鼓舞するように言ってから、先に消えた男を追って走り去っていった。

訪れた危機のわりに、なんともあっけない幕切れだった。
私は静寂が訪れた倉庫街で、思い出したように大きく息を吸う。久しぶりに吸い込んだ気がする空気は、夜のシンオウらしく冷たかった。私が思わず身震いをすると、ハヤシガメをボールに収めたコウキくんがこちらに駆け寄ってきた。

「ナマエちゃん、大丈夫!?」

私は彼に、ここ数日トバリのジムリーダーから自衛のための格闘術を教わっていたことを伝えて、「だから、大丈夫です」と笑ってみせた。
すると彼は「よかった。ほんと、よかった」と言って、心から安堵したような笑みを浮かべてくれた。

それから、ふたりでポケモンセンターに戻ろうと踵を返しかけたその時、
「君たち! 大丈夫か!?」という声と、トレンチコートを翻す派手な音と共に、ハンサムさんが駆け寄ってきた。

聞けば、倉庫の方で子どもがギンガ団に襲われているという情報をキャッチして、すぐに駆けつけてくれたらしい。
私たちがお礼と、それから心配をかけたことに対する謝罪を述べると、ハンサムさんは「君たちが無事ならそれでいいんだよ」と優しい声で言ってくれた(数日前にゲームコーナーで会ったときは、捜査にかこつけてスロットをしているだけなんじゃないかと疑ってしまったけれど、どうやらきちんとお仕事をしていたようだ。私は心の中で謝った)。

「時に君たち、ギンガ団の連中がどちらに向かったか、聞いてもいいかね?」

私たちからしたっぱたちが去っていった大まかな方向を聞いたハンサムさんは、彼らの後を追って倉庫街を捜索するつもりらしい。
「あとは私に任せてくれ。君たちは気を付けて帰るんだよ」と言うやいなや真剣な横顔を残して去っていったハンサムさんを見送って、私たちは帰路についた。




ポケモンセンターに戻った私たちは、寝るまでの時間を一緒に過ごした。
コウキくんから研究のことや博士のことを聞いたり、私の旅の様子を話したり、お互いの近況を報告し合っていると時間はあっという間に過ぎた。

すっかり夜が深まり、眠くなった私が思わず欠伸をこぼすと、コウキくんはくすりと笑って「そろそろ寝ようか」と言ってくれた。それから、私を女性用の寝室の前まで送ってくれる。

「今日は、本当にありがとう」

図鑑の件をさしてそう言ったらしいコウキくんに、私は「うん、どういたしまして」と返す。そして、そのままおやすみを言って寝室へ入ろうとしたのだが。
ドアノブに伸ばしかけた私の右手を、コウキくんが掴まえた。

突然のことに戸惑いを覚えつつ、コウキくんの方に視線をやる。
いつもであれば、穏やかな笑みを浮かべて、お兄さんのように優しく話をしてくれるコウキくん。でもこの時の彼は、なんだかいつもと違っていた。

「ナマエちゃんはさ、バトルだけじゃなくて、自分自身も強くなってたんだね。
僕も負けてられないなって思った。博士の手伝いでもっといろんなことが出来るように、今度はナマエちゃんを守れるように、僕も強くなる」

きゅっと眉を持ち上げて、瞳には決意の満ちた強い光を浮かべて、はっきりとした口調でそう言ったコウキくん。
それは、ヨスガでヒカリちゃんと別れるときに、彼女がコンテストバトルの上達を誓ったときの口調とよく似ていた。大切な友達であると当時に、ひとりのライバルでもある、そう認めた相手にのみ見せるその態度。それを、コウキくんは私に見せてくれた。

私は誇らしい気持ちをいっぱいに感じながら、一度ゆっくり呼吸をする。そして、彼の眼差しを正面から受け止めた。

「私も、今よりも強くなれるようがんばります」

それから、彼の示してくれた気持ちに報いられるよう真っ直ぐな気持ちでそう言った。
コウキくんは私の気持ちをゆっくりかみしめるように、はっきりと頷いてくれた。


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