偶然の頭突きと岩砕きで相手の体勢を完全に崩してから、コダックはもう一度水鉄砲を放った。はじめははっけいに弾きとばされて当たらなかった水鉄砲が、今度は見事に命中する。
たまらず膝をついたアサナンをボールに収めると、スモモさんはこちらに向き直ってこう言った。
「あそこで頭突きがくるなんて夢にも思いませんでした。ダイナミックでありながら、どこか飄々としたコダックらしさもある戦い方、さすがです」
なんだか随分と都合のいい解釈をしてくれたみたいだ。私は偶然だったことを素直に告げるべく口を開きかけたのだが、それよりも少しだけ早くコダックが自慢げに一声鳴いてみせた。私は少し考えて、これが偶然だということはやっぱり言わないでおくことにした。
コダックが偶然でないと言うのならそうなのだろう。それに、これから特訓して頭突きをものにできれば、本当に偶然ではなくなるわけだし。
これからの決意も込めて、お礼を言うだけに留める。すると彼女は私とコダックのそんな胸中を見透かすように少し笑ってから、次のボールを高く放った。
スモモさんの二番手は、ゴーリキーだった。彼が着地した格闘技用のマットがずしりと沈む。アサナンよりも大きくて屈強な体が、私たちの前に立ちはだかった。
コダックの念力は、格闘タイプに対して有効だ。定石通りにいくならばここはコダックを続投させるべきなのだろうが……私はコダックをボールに戻すことにした。そして、代わりにロストタワーの近くで出会ったヨマワルを繰り出す。
アサナンがコダックに稽古をつけてくれていたように、ゴーリキーはヨマワルに稽古をつけてくれていた。コダックのように、ヨマワルにもここで身に付けた力を師匠の前でしっかり示してもらおうと思ったのだ。
私の意図を読み取ってくれたらしいスモモさんとゴーリキーは、視線を交わして頷き合うと、まずは見破るを使ってウォーミングアップをはかる。そして、スモモさんの「空手チョップ!」というかけ声とともに床を蹴って間合いをつめてきた。
それに対して私は、「かわして影打ち!」という指示をヨマワルに送った。
昨日までの練習で、彼はこの空手チョップを相手に身のこなしを学んでいた。ふよふよと、まるで踊るようにゴーリキーの攻撃を躱していたヨマワル。今の彼ならば、まっすぐ突っ込んでくる空手チョップをかわせないはずがない。――そう思っていた。
私の予想に反して、ヨマワルは動かなかった。
正面から空手チョップを受けてしまったヨマワルの体が跳ね飛ばされて、フィールドに落ちる。
ヨマワルが攻撃をかわせなかったことに驚いているのは私だけではなかった。ヨマワルに稽古をつけていたゴーリキー自身が、誰よりも驚いてヨマワルを見つめている。
「ヨ、ヨマワル!? 大丈夫?」
私の声に反応するようにふらふらと浮かび上がったヨマワルは、私と、それからゴーリキーを見比べて、焦ったような声で一声鳴く。
そして、次の瞬間、ゴーリキーに背を向けてフィールドから逃げ出すと、私の体の影に隠れてしくしくと悲しそうな声をあげて泣き始めた。
慌てて抱き上げたその体は、小刻みに震えていた。そうしてはじめて、私は自分の犯した過ちに気付いた。
そういえばこれが、ヨマワルにとって初めてのバトルだった。そんな彼にとって、つい昨日まで優しく稽古をつけてくれていたゴーリキーが血相を変えて自分に向かってきたことは、大きな戸惑いと恐怖を生じさせたに違いない。いや、そもそも"稽古をつけている"と思っていたのは私やゴーリキーだけで、ヨマワル自身は楽しく遊んでいただけなのかもしれない。
私は、ヨマワルの気持ちを全然わかっていなかったみたいだ。
「ヨマワル、ごめんね」
怖かったよね。私が謝ると、ヨマワルは布をまとったような手を私の背中に回してぎゅうっと甘えるように抱き着いてきた。
「……ヨマワル、戦闘不能!」
一部始終を見ていた審判の声が、天井の高いジムに響く。
私はそれを聞きながら、自分の未熟さを噛みしめた。自分の気持ちに精一杯で、ポケモンのことなんかこれっぽちも考えられない、こんな私にはバッジをかけて戦う資格なんかないと思った。
私はヨマワルをあやすように抱きながらスモモさんに視線をやる。そして、今日のところは棄権を申し出ようと口を開く。
しかし、それは叶わなかった。
わざと私の目の前を通ってフィールドに躍り出たゴーストの背中に、私の言葉は遮られてしまったので。
私がなかば呆然としながらその背中を見つめていると、彼がわずかにこちらを振り返った。見慣れたニヒルな笑み。仕方ないから俺が出てやる、だからしっかりしろ。そう言われたような気がした。
私は、腕の中のヨマワルのすすり泣きを聞きながら「でも……」と口ごもる。ゴーストの気持ちは嬉しい。でもやっぱり今の私には、スモモさんと戦う資格なんかない。そう考えて、思わず俯いてしまった、その時。
私の頭に、独特の冷たい感触をしたガスの手のひらが、そっと乗せられた。視線を持ち上げると、ゴーストと目が合った。彼は口角を持ち上げてにやりと笑うと、手のひらをわしわしと動かして私の頭を撫でてくれた。
もちろん彼のガスの手のひらはほとんど質量を持たないため、撫でられた感触はない。ガス圧で髪の毛が僅かにそよいだだけだ。しかし、その一瞬の優しさと、不敵な笑顔は、消えかけていた自信と闘志をもう一度呼び起こしてくれた。
こんな未熟な私のことを信じてくれる彼に、報いなければと思った。
私はヨマワルを抱く腕に力を込めながら、大きく一度深呼吸をする。
そして気持ちを一気に切り替えると、スモモさんに「三番手はゴーストです!」と宣言した。
スモモさんは私とヨマワルの様子を心配そうに見守っていたのだが、私がなるべく普段通りの調子でそう言うと安心したように双眸を細めて、「わかりました」と戦闘態勢に戻ってくれた。
「ゴーリキー、油断せずにいきましょう。見破って空手チョップです!」
ゴーストはゴーリキーがこちらに迫ってくる中で、ヨマワルにちらりと目配せをした。手本を見せてやるよ、そう言いたげな眼差しを向けられたヨマワルが、仮面の奥の赤い光をしばたたかせて思わず黙り込んだ刹那。
ゴーストはそのガスの体を揺らめかせて、ゴーリキーの空手チョップを紙一重のところでかわしてみせた。大振りな動きで攻撃を外してしまった相手に隙が出来る。
「シャドーパンチ!」
ほとんどゼロ距離から繰り出された闇の拳が、相手のボディにヒットした。訓練の成果か、的確に相手のバランスを崩すポイントをついたそのパンチに、ゴーリキーの足元が僅かに揺らぐ。その一瞬の隙をついて舌で舐める攻撃を浴びせてから、ゴーストはふわりと距離を取った。
その瞬間、スモモさんの瞳の奥がきらりと光る。なにか反撃の糸口を見つけたに違いない。そう思った私はゴーストに警戒を促した。
「岩石封じ!」
ゴーリキーが大地を揺るがすような声をあげながら集中を高める。そして、一瞬の後、その声に呼応するように空中に大きな岩がいくつも現れた。それが、ゴーストめがけて次々飛んでくる。ゴーストは持ち前の素早さを活かしてそれを全て避けてみせた。私がそれにわずかに安堵した瞬間、
「今です、地獄車!」
スモモさんの声がジムいっぱいに響いた。
私はしまったと思った。普段であれば、ゴーリキーの直線的な攻撃なら容易に躱せていただろう。しかし今のフィールドには、無数の岩が転がっている。それに邪魔されて、ゴーストは思うように身動きがとれなくなっていたからだ。
そうこうしているうちに距離をつめたゴーリキーに腕を掴まれて、あっという間に羽交い絞めにされてしまう。そして、ゴーリキーは逞しい脚から繰り出される恐ろしい跳躍力で飛び上がると、ゴーストの首をがっちり固めたまま地面に向かって急降下を始めた。
ゴーストの耐久力では、地獄車を耐えられる保証はない。万事休す。
そう思った私がぐっと苦い顔をした瞬間、視線の先のゴーストがにやりと余裕の笑みを浮かべた。それに私とスモモさんが身構えた刹那、ゴーストは両手を器用に動かして、羽交い絞めから抜け出してみせたのだった。
あの動きは、私がスモモさんに教えてもらった護身術のひとつだった。私の稽古の様子を見ていた彼は、動きを真似るうちにそれを体得していたんだ。
そのことを理解した瞬間、唖然とした表情を浮かべたゴーリキーの体が、重力に逆らえずにフィールドに叩きつけられた。
衝撃によって巻き起こされた風塵が引いたフィールドには、攻撃の反動で目を回したゴーリキーと、飄々とした表情を浮かべているゴーストの姿があった。
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