サファリゾーンのシャワールームでしっかりと泥汚れを落として展望台に向かうと、待ってましたと言うようにゴーストが飛びついてきた。
彼は私がマスキッパに追いかけられたことも、その後うっかり転んでしまったことも全部見ていたようで、怪我がないか確かめるように私の周りをぐるぐる飛び回って確認してくれた。

「ありがとう、大丈夫だよ」

私がそう言うと、彼はようやく安心したように鳴いて、にたりと笑ってくれた。

それから彼と一緒にポケモンセンターに戻ると、沼地を駆け回って疲れた体を休めるためにいつもより早めにベッドに入った。
ベッド脇に控える彼に大湿原での思い出を話していると、眠気はすぐにやってきた。まだまだゴーストに聞いてもらいたいことはたくさんあったが、瞼が私の意志と関係なく落ちてくる。
それでもなんとか話を続けようとする私に、ゴーストが苦笑めいた笑みを浮かべた。そして次の瞬間、彼の目が赤黒く光って、私はすぐに眠りに落ちた。

瞼を閉じるその時、ゴーストがおやすみというように優しく鳴いたのは、果たして現実だったのか夢だったのか。
それはよくわからないが、しかし、彼の催眠術のおかげでこの日の眠りはとても深かったようだ。というのも、翌朝目が覚めたとき、昨晩みたはずの夢を全く覚えていなかったから。

朝を迎えた私は、ベッドの中で夢の内容を思い出そうとしてみたのだが、考えれば考えるほどその内容はぼんやりと頭の奥に消えてゆく。
なんだか楽しい夢だった気がするのに、残念だなあ。そう思いながらキュウコンにつままれたような顔をしている私を見て、ゴーストはいつものように笑っていた。




夢を思い出すことを諦めた私は、しっかりと支度を整えてからノモセジムに挑戦するためにポケモンセンターを出発した。

ノモセジムのジムリーダーは、『マキシマム仮面』という名前の、水タイプの使い手なのだという。私もコダックのトレーナーである以上、水タイプのポケモンをどう活かすのかは当然気になるところなのだが。

「マキシマム仮面さんって、どんな人なんだろうね?」

その独特な名前をしたジムリーダー自身のことも、同様に気になっていた。ゴーストにそんなことを尋ねながら、ジムの扉を開いた瞬間。

扉の向こうから現れた金の髪の少年が、勢いよくぶつかってきた。
彼は昨日一日ですっかり聞き慣れた声で「なんだってんだよー!」と言ってから、ぶつかった相手が私だと気付いたらしい。「って、ナマエか!」と屈託のない笑みを浮かべて、こう続けた。

「ジムに来たってことは、オレの師匠に挑戦するんだな!」

聞けば、彼は先日ジムに挑戦したときにノモセのジムリーダーに心酔し、弟子入りをしたのだと言う。
ジムに挑戦しているということは、ジュンくんはどうやら旅のトレーナーのようだ。彼の出身はどこなのかとか、どんなポケモンと旅をしているのかとか、或いは、いくつのバッジを持っているのかとか、聞きたいことはたくさんあったけど、嵐のような彼にのんびり質問をしている時間がないことはなんとなくわかっていた。

彼は、これからサファリゾーンへもう一度グレッグルを探しにいくらしい。私にそのことを早口で告げると、矢継ぎ早に「ジム戦がんばれよな!」と言い、さっと踵を返して街の北の方へと駆けて行った。

私はそんな彼を見送ってから、改めて扉を開き、ジムへ足を踏み入れる。

建物の中には、複雑な形をした巨大なプールと、そこで水ポケモンを戦わせるジムトレーナーたちの姿があった。
あちこちであがる派手な水飛沫に、私の口から「わあ」と歓声が漏れる。その声に気付いたトレーナーたちは、私の実力を見極めるために早速勝負を挑んできた。彼らが繰り出すアズマオウやペリッパーはよく育てられていたのだが、ロトムの電撃波にはさすがに歯が立たなかったようで、すぐにマキシマム仮面さんを呼びに行ってくれた。

ジム戦の緊張と、あのジュンくんが思わず弟子入りしてしまったマキシマム仮面さんに会えるという期待。そのふたつが入り混じって、私の胸はどきどきと高鳴った。
この気分の高まりも悪くないけれど、バトルには冷静さも必要だ。私は高揚を抑えるために、肺の中の熱い空気をゆっくりと吐き出した。肩の力が抜けて、胸の鼓動がゆっくりと落ち着いてゆく。

自分のペースを取り戻し、極めて静かな眼差しでジムの奥――マキシマム仮面さんが出てくるであろう方向を、じっと見つめていた、その時。

突然、視界が暗転した。
一瞬間を置いて、すぐにジム内の照明が落ちたのだと理解する。私は慌てて周囲を見渡して、そういえばジムの天井近くにいくつもあった明り取り用の小窓がその役割を果たしていないことに気が付いた。どうやら、わざわざカーテンが引かれているらしい。
ということは、だ。これは偶発的な事故ではない。ジムの明かりは自然に消えたのではなく故意に落とされたのだと解釈するべきなのだろう。誰かが、この暗闇を意図的に作り出した。

では、一体誰が? 何故?
私の頭が高速で回転して周囲の状況を確認しようと躍起になる中、真っ暗だったジムの中に、唐突に一条の明かりが落ちた。
強烈な明かりに目がくらむ。私は咄嗟に両目を細めて、光の方に注目した。その光は、ジムの天井から真っ直ぐ下に落ちていた。そして、光の中にいる誰かを、静かに照らしている。

光の中にいたのは、真っ白なガウンを着た体格の良い男の人だった。彼は、暗闇の中でただひとりその身に光を浴びながら、俯いている。
誰だろう、という疑問がじわりと浮かぶ。と同時に、私はその答えがなんとなくわかるような気がしていた。ここは、ノモセジム。そして私は、ジムトレーナーに認められた挑戦者。

私がすべてを悟った瞬間、光の中にいた男がぱっと顔を上げる。
それを合図にして、ジムの中に光と音の洪水が巻き起こった。

ジムの奥にあつらえられた高台へ続く道を、男は歩いてゆく。その道沿いに、激しい明滅を繰り返す色とりどりのスポットライトが置かれ、道と彼を鮮やかに照らし上げる。そんな彼の歩みを後押しするように、ジム内には力強い音楽が響いていた。
音楽は男が高台へ昇りつめたと同時に最高潮を迎える。低く響く激しいビートに自分の鼓動が同期してゆくのを感じながら、私は壇上の男を見上げた。

白い飾り羽のついたマスクから覗く深い紺色の瞳で私を見下ろしながら、彼は白いガウンを脱ぎ去った。
たくましく鍛えられた体が露わになる。彼はそれを光の中に惜しみなくさらしながら、私にこう言った。

「よォーーく来た!!!」

激しい音楽に負けない、割れるような大声だった。
彼は不敵な笑みを浮かべて、こう続けた。

「俺様こそがノモセシティポケモンジムのジムリーダー! その名も!! マキシマム仮面!!!」

予想に違わない彼の言葉を受けて、私も名乗りを上げる。
「私は! ナギサシティの!! ナマエです!!!」と声を張り上げると、ジムリーダーの笑みが僅かに深くなった。彼は大きく首肯すると、ジムの最奥にあつらえられた高台から続く階段を一歩ずつ降り始めた。
軽やかでありながら重みを感じさせる不思議な足取りで私と同じ目線に立つと、マキシマム仮面さんはさっと鮮やかな手つきでボールを抜き出した。

「水の力で鍛えた俺様のポケモンは、お前の攻撃を全て受け止めたうえで勝利する!」

自信に満ちた眼差しで私を見据えながら、彼はボールを投げる。

「さあ、どこからでもかかってこい!!!」

ボールが割れてまばゆい光と共にポケモンを吐き出した。それと時を同じくして、暗かったジムに一斉に明かりが灯る。ジムトレーナーたちとバトルをしたときには、足場や橋げたが無数にあったプールには、今や静かに揺れる水面といくつかの丸い浮島があるだけだった。……どうやらここのプールは、水位を上下させることで普段の修練とジムリーダー戦で違ったフィールドを作ることが出来るらしい。

広いプールに派手な水飛沫を上げて着水したのは、とても立派なギャラドスだった。
照明の光を受けて輝く飛沫が消えてゆくのと同時に、音楽がすっと小さくなって消えてゆく。しかし、音楽と光、それからマキシマム仮面さんの口上によって私の胸に生まれた高鳴りだけは、もうどうやっても消えてはくれなかった。

――本当にかっこいい、見事な演出だった。ジュンくんが弟子入りしてしまうのも頷ける。

私は、無理に自分を落ち着けることを諦めて、感情のままにボールを選び、それを投げた。
青い水面を裂いて、私のボールが赤と白の軌跡を画く。バトルの始まりを告げるジム付き審判の声を受けて、水上の戦いが幕を開けた。


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