ギャラドスの正面に飛び出したのは、彼と比べると遥かに小柄なヨマワルだった。
ヨマワルは目の前の巨大なポケモンに怯えるように、赤い目を明滅させる。……この前までの私なら、ここでヨマワルを戻していたことだろう。繊細なこの子を、恐怖から守らなければならないと勘違いしていたからだ。
でも、今の私は知っている。彼のこの瞳の瞬きは、己の弱さと闘うものであることを。それから、私は彼の背中を押してやれることを。
「ヨマワル、行くよ!」
私の声に頷く彼の瞳から、迷いが消える。
そして次の瞬間、私とマキシマム仮面さんの声が重なった。
「ギャラドス、噛みつけ!」
「ヨマワル、金縛り!」
ギャラドスは低い咆哮をあげて彼の声に応えると、巨大な体を素早くくねらせてヨマワルめがけ牙を振り下ろす。
ヨマワルはそれを、身動き一つせずに正面から迎え撃った。牙がかかろうかという僅か手前で、ヨマワルの金縛りが決まる。赤い瞳が一際激しくまたたいて、ギャラドスの動きを止めて噛みつく攻撃を封じ込めることに成功した。
噛み付く攻撃は、悪タイプの技だ。私がここのトレーナーをロトムで相手したように、ギャラドスはこれを一番初めに使ってくると思っていた。
私は読みが決まったことに笑みを浮かべたのだが、すぐに笑顔は消え去った。身動きを封じられているギャラドスの向こうで、マキシマム仮面さんの暗紺の瞳がきらりと輝いたからだ。
「そこで滝登りだ!!」
無理だ、と思った。ギャラドスは今、金縛りで動きを封じられているのだ。動けるはずがない。
しかし、私のその予想は外れた。ギャラドスはマキシマム仮面さんの声に応えるように紫紺の瞳をぎらりと輝かせると、力任せに金縛りを解こうと全身に力を込めたのだった。鱗の下の筋肉が、ぎりりと盛り上がる。そして、押し止められなかったギャラドスの尾鰭が、ピクリと動いた。
押し負ける、と思った瞬間、私はほとんど反射的に鬼火を指示していた。
ヨマワルは後ろに下がって少しでも攻撃の勢いを殺そうとしながら、怪しく輝く火の玉をいくつも作り出した。それは、水飛沫を纏って近付いてくるギャラドスと正面からぶつかって、激しい水蒸気を生み出す。
熱い蒸気から顔を守りながら、フィールドに目を凝らす。ギャラドスの咆哮とともに蒸気が晴れた視界には、火傷を負いながらも滝登りを放ったギャラドスの姿と、それを受けて弾き飛ばされたヨマワルの姿があった。
「ヨマワル!」
私の口から悲鳴じみた声が漏れた。
マキシマム仮面さんは今がチャンスだと言うようにギャラドスに追撃を指示する。もう一度、滝登りが迫る。ヨマワルの体は、またも弾き飛ばされた。
「金縛りに鬼火、技の選び方は悪くはない。だが、俺様のギャラドスはそれを受けてもなお、強い!
小手先はきかないぞ! どうする!?」
今度は噛みつくように指示を出して、私にそう問いかけたマキシマム仮面さん。私はなんとかこの状況を打開する策を求めて弾き飛ばされて空中を飛んでゆくヨマワルを見上げて――ふと、彼の赤い瞳が真っ直ぐギャラドスを捉えていることに気が付いた。
刹那、私は理解した。ヨマワルは、ただただ正面から攻撃を受けていたわけではなかったのだ。衝撃を殺し、ダメージが最小限になるようにうまく急所を守っていたのだ。その動きは、スモモさんのポケモンのものによく似ていた。トバリのジム戦では逃げ出してしまった彼だが、稽古の結果はしっかり彼の中に生きていたらしい。
「っ、影打ち!」
私の声を受けて、ヨマワルは弾き飛ばされた格好のまま、2本の腕を前に差し出す。そして次の瞬間、水面に映ったヨマワルの影が歪み、膨れ、ギャラドスの体を飲みこむように襲いかかった。ギャラドスの巨体が、プールに沈む。
火傷によるダメージの蓄積もあってか、その動きは少し、鈍い。しかし、それでもギャラドスは攻撃の手を緩めなかった。自身の強さとトレーナーの指示を信じて、もう一度その鎌首をもたげ、ヨマワルに噛みつく攻撃を仕掛ける。
ヨマワルは巨大なギャラドスの口を見上げながら、乾いた声で微かに鳴いた。彼のその小さな声は、激しい水音の満ちるジムの中で、不思議とはっきり私の耳に届いた。
彼は、ギャラドスに勝てる技を望んでいるのだと思った。だから私は彼にナイトヘッドを指示したし、彼は私の指示を聞くやいなや、待ってましたと言うようにそれを放った。飛沫を纏ったギャラドスの鼻先に闇色の光線が命中して、またも水蒸気が立ち上る。
視界が霧の向こうに遮られる刹那、勢いのずいぶん弱まったギャラドスの牙が、ヨマワルに迫るのが見えた。私は、ヨマワルならばまたも攻撃をすんでのところで躱すことができると信じていたのだが。
蒸気の引いたフィールドには、ヨマワル、ギャラドス、どちらの影もなかった。
どうやらヨマワルは、今回ばかりは攻撃を避けることではなく、ギャラドスの体力を削りきることを優先したらしい。私は浮島に倒れ伏していた彼を無言で彼をボールに収めると、その縁を労うように二度、撫でた。
本当に、お疲れ様。今度は、きっともっとうまく指示を出すからね。そう胸の中で呟くと、ボールがかすかに揺れた気がした。
審判が、相打ちをコールする。
私と同じくギャラドスをボールに収め、労うような視線を投げかけたマキシマム仮面さんは、彼をホルダーに納めると、豪快に笑ってこう言った。
「いい動きだな! トバリの格闘娘に似た、軽くしなやかな身のこなしだ!」
私はヨマワルのボールを丁寧にしまいながら、褒められたことに対して礼を述べる。それから、マキシマム仮面さんの言ったトバリの格闘娘――すなわちスモモさんに、私とポケモンたちが稽古をつけてもらっていたことを、簡単に説明した。
マキシマム仮面さんは笑みを浮かべながら「なるほどな」とひとりごちる。
そして、次のボールを抜き出して「これは、また楽しい試合になりそうだ!」と明朗な声を張り上げた。
彼のその動きに合わせて、私もふたつ目のボールを放る。
二番手は、ロトムだった。水タイプのポケモンたちが相手ということもあって、今日の彼はいつになく張り切っている。そんな彼をジムリーダー戦で温存してしまったら、きっと機嫌を損ねてしまうだろう。
「任せたよ、ロトム」
私がそう言うと、彼はジムトレーナーとのバトルの疲労なんて全く感じさせない明瞭な声を弾けさせて、力強く返事をしてくれた。私はそれに、笑みを返す。
そんな私たちの目の前に現れたには、なんと、ヌオーだった。
ヌオーは、確か昨日大湿原で見かけたウパーの進化形だ。気を付けなければいけないのは、ウパーやヌオーは水タイプと一緒に地面タイプも持っているということ。電気タイプの技が地面タイプに全く効かないのは、故郷のジムでもよく見た光景だった。
だからと言ってデンジが地面タイプのポケモンにあっさり負けることはなかったが……それはたぶん、彼が電気タイプのエキスパートとしてそれなりの対策を講じていたからだろう。裏を返せば、デンジほどのトレーナーであってもタイプ相性というのは無視できないということになる。
私は、ほとんど反射的にロトムを戻そうとした。しかし、それはできなかった。当のロトムが、それを拒んだので。
彼はとっさにボールを手にした私の目の前で激しくまたたいてみせたのだ。そして、私がひるんだ隙に、さっとフィールドに踊り出る。
「だめだよ」と言ってロトムを止めようとする私を見たマキシマム仮面さんは、またも豪快に笑った。
「ほう! 自らやられにくるか! いい度胸だ、気に入った!
ヌオー、相手になってやろうじゃないか!!」
ヌオーが短く鳴いてそれに応える。それを聞いた私の胸の中から、ロトムを戻さなければという使命感が急速に消えていった。有体に言うと、私はジムリーダーのその言い回しに腹を立てたのだった。最初からロトムが負けると決めてかかっているその口ぶりが、たとえジムリーダーのものであったとしても、どうしても許せなかったのだ。
私のその心情の変化は、どうやら顔に出ていたらしい。マキシマム仮面さんは仮面の奥の瞳をぎゅっと細めて好戦的に笑うと、「そうそう! そうでなくちゃなぁ!」と楽しげに口にする。
彼のその声色から、私は自分が簡単な挑発に乗ってしまったことを理解したが、今の私にとってそんなことはもうどうでもよかった。
「ロトム、勝つよ!」
勝って、証明しよう。ロトムはむざむざ負け戦をするようなポケモンじゃないって。
返事をしたロトムの声は、いつも以上に高らかだった。彼は、今日は調子がいいのかもしれない。私は勝とう、という意思が、勝てる、という確信に変わるのを確かに感じながら、試合開始のコールを待った。
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