重い体に、鞭打って走る。脇腹が鈍い痛みを訴えはじめる頃、私はノモセのはずれでついに目当ての背中に追い付くことができた。
奇抜な格好をした男は背中を丸めて立ち止まり、なんとか息を整えようとしているようだった。男のぜいぜいという荒い息遣いが聞こえるところまで辿り着いたその時、男は私の気配に気付いたのか、勢いよくこちらを振り返った。私を認め、子供に追い付かれた驚きからか両目を見開き、慌てたように駆け出した。
私は、せっかく縮んだ距離がまた開いてしまった事に絶望を覚えて荒い息で嘆息したのだが、しかし。
諦めきれずにしばらく走ると、213番道路に差し掛かってすぐの草むら脇で、私はまたもギンガ団の男に追い付くことができた。私以上に荒い息と、激しく上下する肩。……どうやら、彼の体力は私より先に限界を迎えてしまっているらしい。
大人の男の人はみんな私よりも早く、そして長く走ることが出来るのだと思っていたのだけれど、どうやらそういうわけではないのだということを私は知った。少なくともこの人は、こうしてたびたび立ち止まらなければ、先に進むこともままならないようだ。
私が距離を縮めると、彼はまたこちらを振り返り、疲労の激しい顔を更に歪めて「もう追ってくるんじゃない」と喘ぐように言った。そして、ふらつく足を何とか前に出してばたばたと駆け去ってゆく。
私はだんだん小さくなってゆく背中を見ながら、思った。これなら、なんとか追い付ける。
確かにこうして駆け出した時の速度には、私の足では追い付けない。でも、この人はきっとまた疲れて足を止めるはずだ。それを何度も何度も繰り返せば、いつか限界が来るに違いない。その時まで私が足を止めなければ、私の勝ちだ。
私の目論見通り、男は213番道路をリッシ湖方面に走りながら、幾度となく立ち止まった。
彼は私が追い付くたびに「追いかけてくるな」と、ほとんど懇願するように私に声をかけていたのだが、それも次第になくなってゆく。波打ち際の砂浜を行く頃になると、彼は立ち止まるたびになにやら独り言を口にするようになっていった。
ほとんどうわ言のようなそれはかなり断片的な情報だったが、ひとつずつ拾い上げて繋ぎ合わせてみると、おぼろげながら彼の行動の軌跡が読み取れた。
どうやらこの男は、ギンガ爆弾という名前の爆弾の威力を計るためにノモセの大湿原に遣わされたらしい。爆弾製作にはソノオの発電所で奪った電気が使われており、製作を指揮したのは他でもない、ギンガ団のボスだという。
男は偉大なるボスに実験の結果を知らせるべく、自らの体を全く顧みずに走っているのだった。与えられた使命さえ果たせれば、その他のことはどうでもいいのだと彼はひとりごちる。……どうやら彼はボスへの忠誠を口にすることで、己を鼓舞しているらしい。
大の男にここまでさせる、ギンガ団のボス。爆弾を作り、その威力偵察のために大湿原の自然やポケモンを傷付けることも全く厭わない傲慢かつ危うい人柄に、彼をはじめ団員の多くが惹かれている。
その事実を不可解に思うと同時に、でもそういうものなのかもしれないとあっさり納得してしまう自分がいた。
だって、不可解なのは私も同じだ。数度しか会ったことのないあの人のために、私もまた多くのことを顧みずにひた走っている。
このギンガ団の男さえ捕まえられれば。この男は、ボスに報告をするのだと言っていた。つまり、この男はギンガ団のボスを知っているのだ。ボスの情報が手に入れば、きっとあの水色の髪の男への道が開けるに違いない。
私はそんな一縷の望みを原動力に、萎えそうになる足をなんとか前へ出し続けた。
時間の感覚はほとんどなかったが、傾き始めた太陽の光が、日暮れが近いことを知らせている。足をさらう海岸の砂に苦戦しながら進んでゆくふたつの長い影。
と、また男は足を止めた。私と彼の間には、もういくらの距離もない。なんとか酸素を取り込もうと大きく上下する男の肩に、私の右手の爪の先が、僅かにかかる。
捕まえた! と思った刹那、ギンガ団の男はどこにそんな力が残っていたのかという勢いでこちらを振り返ると、右手に持っていたものを私目がけて投げつけてきた。
赤と白の見慣れた軌跡を描いたそれ――4つのモンスターボールは、私の目の前で口を開くと、迸るような白い光と共にポケモンを吐き出した。
私は、慌てて後ろに下がって安全な距離を確保する。砂に足を取られそうになったのをなんとか堪えて、体勢を整えた。
光が散って表れたのは、2体のズバット、それからニャルマーとスカンプーだった。
「せっかく、貰った、ポケモンだけど、仕方、ない。……お前たち、頼む」
男は切れ切れな声でそう指示すると、踵を返して走り出した。ほとんどよろけるようなその足取り。今すぐ追いかければ、絶対に追い付ける。追い付いてみせる。そう思って足を出した私の正面に、小柄なポケモンたちが一斉に躍り出てきた。
「お願い、どいて!」
私の喘ぐような声を受けて、ゴーストがナイトヘッドを放つ。闇色の光線はスカンプーに命中したが、他の3体はその隙に距離をとると、それぞれ別々の方向から攻撃を仕掛けてきた。
ズバットの放つエアカッターが作った空気のひずみの向こうに、浅葱色の髪の毛を振り乱して走る男の影が消えてゆく。せっかく掴みかけたあの人への手がかりが。
私ははっきりとした焦りを感じながら、ゴーストに指示を出した。しかし、息が上がった私の声はどうしようもなくかすれていて、さざ波に邪魔をされうまく通らない。さらに酸素が頭に回っていないせいか、思考も遅い。
結局私がズバットたちを倒した頃には、もうすっかり夕日が濃くなっていて、視界のどこにもギンガ団の男の姿はなかった。
焦燥にかられるまま砂浜に残された足跡を頼りに213番道路を進んだが、その痕跡もホテルグランドレイクに近付いて道がきれいなブロック造りのものに変わると同時に絶たれてしまった。
一縷の望みを失ってしまったことに気付いた刹那、ブロックの僅かな段差に足をとられて、私はその場に倒れ伏した。ゴーストが心配そうな声をあげて寄ってくる。私はかすれた吐息交じりの声で「だいじょうぶ、」と言って立ち上がろうと右手をついたのだが、しかし。
その右腕は私の言うことを聞いてくれなかった。どんなに力を込めても、肘ががくっと折れてしまって、立ち上がることが出来ない。
ジュンくんやゴーストが背中を押してくれて、ここまで来られたのに。もう迷わないって、立ち止まらないって、決めたのに。
焦りと、悔しさと、悲しみと憤りと。そういうものがない交ぜになった複雑な感情が、ひとり残された私を激しくさいなむ。
その感情に突き動かされるなか、私は這ってでも男の去った方向に体を進めようとした――その時だった。
「君、大丈夫か!」
夕焼けに交じり始めた闇を裂いて、そんな明朗な声が、私に向かって飛んできた。
残った力を総動員して、声のした方に顔を向ける。視線の先にいたのは、トレンチコートの裾をはためかせてこちらに駆けてくるハンサムさんだった。
彼は私のことを抱き起こすと、「どうした、なにがあった」と冷静な、しかし強い口調で問いかけてくる。私は彼の腕に頭を預けながら、かすれた声で事のあらましを説明した。
ノモセの大湿原で爆発があったこと。その犯人であるギンガ団の男を追ってきたこと。男はホテルグランドレイクの方に向かって行ったが、その背中をついに見失い、気力が尽きて倒れてしまったこと。
ハンサムさんは、私が倒れていた理由が単純な疲労であると知って、まずはほっと息をつく。
それから「情報提供に感謝する。ここから先は国際警察がその男の行方を調査しよう!」と言って、きりっと持ち上がった眉の下の瞳を僅かに細めた。
「だから君はまず休みたまえ」
それは僅かに笑っているようにも、或いは湧き上がってくる感情を表に出すまいと堪えているようにも見える、なんともいえない表情だった。私が彼のその表情の奥にあるものを思って思考を巡らせたのはほんの一瞬だった。
男の行く先をハンサムさんが追ってくれると知った安心感と、思い出したように全身を駆け巡った疲労感や痛みのせいで、私はふっと意識を失ってしまったので。
[ 131/209]← →