ゆっくりと目を開ける。まず視界に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。
見慣れたポケモンセンターのベッドルームの温かみのある壁紙とは少し違う、どこか高級感の漂う天井と、おしゃれなシーリングライト。

それに首を傾げて、はてここはどこだろうと思った瞬間、私の傍で聞き慣れた低い声がした。
ゴーストだ。そう思った私がそちらに顔を向けると、彼はどこか物憂げな顔つきで私のことを覗き込むように見下ろしてくる。

「……おはよう」

目覚めたばかりなのでとりあえずそう言って微笑むと、彼は安心したようにほっと息をついた。それから、その顔に見慣れた飄々とした笑みを浮かべて、私の挨拶に応えるように短く鳴く。

パートナーが傍にいてくれたことで、ここがどこだかわからなくて不安だった気持ちが少し和らいだ。
私は横たえていた体を起こし――そうしてはじめて、私は自分が横になっていたベッドの存在に気が付いた。とてもふかふかで柔らかくて、ほんのりお日様のかおりがする真っ白なお布団。その手触りはとてもなめらかで、これも明らかに高級なものだ。

「ほんとにここ、どこなんだろう……」

私の呟きに反応したゴーストは、ベッドボードを指差して小さく鳴いた。促されるまま視線をやると、そこには1枚のメモが置かれていた。少し乱れた、しかし明瞭な筆跡。
私はこの字に見覚えがあった。たしか、あれはハクタイのギンガ団ビルに自転車屋さんのおじさんを迎えに行ったときのことだ。階段脇にいたハンサムさんが手渡してくれたメモが、丁度こんな筆跡だった――

「ハンサムさん!」

彼のことを思い浮かべた瞬間、私の脳裏に今までの記憶が溢れるように蘇ってきた。ノモセ大湿原の爆発と、逃げたギンガ団の男。それを追って走り、ついには力尽きて倒れてしまった矢先に現れたハンサムさん。
私は彼の姿を探すべくベッドから出ようとして、脚と背中、それから腕に、引き攣るような痛みを覚えて思わず鋭い息をもらした。

ゴーストが私の体を労る様にガスの手をそっと添え、ベッドに戻るように示す。私はそれに逆らうことが出来ずに、そのまま再び横になった。

体中に走ったこの痛みの原因について考えを巡らせた私は、すぐにひとつの答えに辿り着いた。これはたぶん、筋肉痛だ。あまり運動をしない私が急にあれだけ走れば、筋肉痛にもなるだろう。

私は腕の痛みに顔をしかめながら、ベットボードのメモをなんとか手に取る。とにかく、情報が欲しかった。ハンサムさんは、あのギンガ団の男はどうなったのだろうか。

メモには私の情報に対するお礼と、国際警察は捜査網をここから北――すなわち214番道路を経てトバリシティへ伸ばしてゆくことになるであることが簡潔に綴られていた。どうやらギンガ団が爆弾を使ったことで、国際警察もいよいよ本腰を入れて捜査にあたることになったようだ。
捜査への意気込みに続いて、メモの最後にはこう記されていた、『そうだ、近場で申し訳ないが、宿をとらせてもらったよ。宿代は我々で持つ。今はしっかり体を休めてくれ。今後の活躍に期待している。――ハンサム』。

なるほど、ここはどうやら近場の宿であるらしい。目覚めてからの疑問が解けて安心したのも束の間、私は新たな問題に直面することになった。
私が意識を失った、213番道路の東端。そこから一番近い宿泊施設といえば――

そのことに気付いた私は、ベッドから跳ね起きて部屋を出る。今度は筋肉痛なんて気にしている場合じゃなかった。
部屋を出て、辺りを見渡す。海から続く丘を切り拓いて作られた白いコテージが、朝の日差しを受けて眩しく輝いていた。前面に海を、背後に深い森と神聖な湖を頂く、シンオウ随一の観光名所。間違いない。ここは、

「ホテルグランドレイクだ……!」

打ちひしがれたような声で呟いた私の脳裏にまず浮かんだのは、数日前にここを訪れたときに耳にした宿泊代金だった。あれだけの金額を出してもらうなんて、だめだ。私は旅の中でいろんな人の好意を受け取ってきたけれど、これはなんか、もう、次元が違う。
私は自分のいたコテージを見上げながら、さてどうやってハンサムさんにお金を返そうかと途方に暮れる。

そんな私の背後で、ひどく穏やかな声が私の名前を呼んだ。

「ナマエ様」

振り返った先にいたのは、いつか私にこのホテルの宿泊料金を教え、そして私の面目を潰さないようにあえて満室だと言ってくれたボーイさんだった。
彼は落ち着いた調子で「おはようございます。ご気分はいかがでしょうか」と言いながら、流れるような動作で私の脇に控えた。

「よろしければお食事をお持ちいたしますが、いかがなさいますか?」

私は彼のその態度に困惑しながら(だって私は、自分でお金を払ってここにいるわけではないのだ。そんな私にこんなに丁寧に接してもらって、なんだか申し訳がなかった)、おずおずとハンサムさんのことを訊いてみる。

「あの、私、ちょっと記憶があやふやなんですけど、……ハンサムさんって今どこにいるかわかりますか?」

すると彼は「ハンサム様? 恐れ入りますが、そのようなお名前の方は……」と言って、深々と頭を下げた。

「お力になれず、まことに申し訳ございません」
「あ、いえそんな、いいんです。顔を上げてください……!」

どうやら彼は、ハンサムさんのことは知らないらしい。私が彼のことを訪ねると、このボーイさんはきっとまた私に謝らなくてはならなくなる。そう思った私は、ハンサムさんについての質問は諦めた。代わりに、もうひとつ気になってきたことを訪ねる。

「もうひとつ聞きたいんですけど、……代金ってどうなっているのでしょうか?」

今度の質問は大丈夫だった。彼は「そのことでしたら、心配ございません」と朗らかな笑顔で言う。

「もうすでにいただいておりますので」

ここは、ハンサムさんのメモの通りだった。彼は続けた。

「ナマエ様は旅のトレーナーでいらっしゃるとか。もしもお早いご出発をお考えでしたら、朝食を携帯できるものに変更するよう料理長にお伝えいたしますが、いかがなさいますか?」

私のためだけに調理長さんの仕事を増やしてはいけない。そう思った私が「いえ、ここでいただきます」と言うと、彼は「かしこまりました」と恭しく礼をして、優雅な足取りで来た道を戻って行った。

どうやらあれこれ質問するより、私が大人しくしていた方がホテルの皆さんの仕事は楽らしい。私は小さくため息をついて、自分に割り当てられたコテージにすごすごと戻った。




それからしばらくして運ばれてきたホテルグランドレイクの朝食は、文句なしに美味しかった。
しかし、そのおいしさが、私の胸をちくりと刺す。

結局私は、なにもできなかった。
少しばかり護身術を覚えていい気になっていたけれど……そもそもの体力がなければ話にならないのだということを、正面から突き付けられたのだ。

なにもできなかったくせに、こんなところで美味しい食事とあたたかいベッドを与えられた自分が、どうしようもなく情けなかった。


[ 132/209]



ALICE+