シロナさんと別れてからタウンマップを取り出し、今後の道のりを思案する。
地図によると、一旦ノモセシティに戻り、212番道路を抜けてヨスガ、ズイを通り、例の喫茶店を目指すのがよさそうだ。特に、ズイタウンには絶対に立ち寄りたかった。ロストタワーにいるミカルゲの様子を見ておきたかったからだ(彼は元気にしているだろうか。今度こそ一緒に旅に出られるといいのだけれど)。

休憩しつつ進んで、日が傾き始める頃にはノモセに戻ってきた。
その足でマキシマム仮面さんを訪ね、例の湿原爆破事件について私の知り得たことを全て話した。マキシマム仮面さんは難しい顔で話を聞いていたが、逃げた男の足取りを国際警察が追っていることを知ると、少しだけ眉間の皺を緩めて「そうか」と息をついた。聞けば、大湿原は警察と協力して入口の警備を強化しているらしい。

「これで犯人が捕まれば、また街も元気になるだろう。
ナマエ、いろいろ世話になったな!」

マキシマム仮面さんはそう言って私の肩を軽く叩いてから、街の様子を見に出かけていった。
ジムリーダーとして、住民の不安を取り除こうと気を配っているのだろう。私は彼の大きな背中を見送りながら、少しでも早く安全なノモセシティに戻るように祈った。




ポケモンセンターで一夜を明かし、翌朝はまた雨の音で目が覚めた。先日よりもいくらか強い雨足。これは出発までには止まないかもしれないなと思いながら支度を整える。
予想の通り、雨は止まなかった。私は鞄の上からレインコートを羽織って、予定通りポケモンセンターを発った。

212番道路は、ヨスガ側とノモセ側でその様子がずいぶんと違うらしい。
ノモセ側は、一昨日歩いた大湿原と同じ保水性の高い泥のおかげで、あちこちに大きな泥沼ができていた。黒い沼はざんざんと降る雨を吸い込むように吸収してゆくが、不思議と溢れるようなことはない。沼地を避けて歩けば、服まで泥だらけになることはなさそうだ。

広葉樹の林の間を抜けて進んでいくと、次第に黒い沼地は姿を消し、やがて目の前に幅の広い川が現れた。
地図を見るに、この川はかつて釣り人のおじさんと一緒にアズマオウを釣った209番道路の川と同じものらしい。209番道路では森や岩山にぶつかって激しく蛇行し、流れも少し荒々しい印象の川だったけど……、ここでは海も近いからか川幅はすっかり広くなり、滔々と水の流れる優しい印象の川に変わっていた。

バトルをした後、釣り人のおじさんにどんなポケモンが釣れるのか聞いてみると、「そうだなあ。この辺ならテッポウオが狙い目かな。あと海が近いから、メノクラゲもたまに上がるな」と教えてくれた。
アズマオウは釣れないのか尋ねると、彼はからからと笑って「アズマオウが釣りたいなら、もっと山裾の流れの早い川じゃなきゃなあ」と言って、209番道路を勧めてくれた。
やっぱりそうなんだなあ、と思った私が感心したようなため息をつくと、彼は「このくらい、釣り人なら常識だよ」と言って少し照れたように笑った。

おじさんと別れ、木製の橋を渡って西に進んでいくと、だんだんと辺りが薄暗くなり始めた。もうそんな時間だろうかとポケッチを見たが、日暮れにはまだ早い。なら、雲が厚くなったのだろうかと空を見上げたが、それも違う。むしろ、ノモセシティから離れるに従って、雨足は弱まり、雲は薄くなっているくらいだ。では、なぜ。
そう思いながら辺りを見回した私は、ふと、目の前にずっと横たわっていた巨大なテンガン山のことを思い出した。私から見て西側にそびえるテンガン山。お昼を越えて、日が傾き始め、その大きな体の影に太陽が入ってしまったのだとすぐにわかった。見れば、頂からこちらが側が、ずっと山の影に入ってしまっている。

「……山の近くだから、夕闇が早いんだ」

私がそう呟くと、私の隣でゴーストが嬉しそうな声をあげた。

「そっか。ゴーストは早く暗くなるから、嬉しいんだね」

ゴーストポケモンらしく暗闇を喜ぶ彼。パートナーの笑顔を見られるのは、とても嬉しいことだけど。問題がひとつ。
夕暮れが早いということは、私はそれだけ早く野営の準備をしなければならない。ただでさえシンオウの冬は夜が長いのだ。もたもたしていると、あっという間に暗くなってしまうし、それに。
今日は雨だ。雨の中の野宿は初めてだった。私はデンジと一緒にテントを買ったときの店員さんの言葉を思い出す。雨の時は、水はけの良い場所を探してテントを張ること。雨水がテントのくぼみに溜まらないようにすること。設営でなるべく体を濡らさないこと。……他になんと言われたっけ?

――思い悩むより先に、行動だ。私はテントを張る場所を探しながら、212番道路をトバリシティ側へ歩いてゆく。ちょうど木陰で雨をしのげそうな空間を見つけて茂みをかき分けた私は、目的の場所に鮮やかな水色をした小型のポケモンを認めて、ふと動きを止めた。
茂みの影から彼を窺う。あれは、確かカラナクシだ。テンガン山の西と東で色と姿が違う、水タイプのポケモン。柔らかい体をしていて、水辺を好む習性があるという。

水を好むカラナクシが、どうしてわざわざ雨の当たらない木陰にいるのだろう? 私はそう思いつつ、その場所をつぶさに観察する。すると、私から見て木陰の奥の方――ちょうどさっきの大きな川のある方角から、ほんの少しだけれど水がちょろちょろと流れてきているのに気が付いた。
もしも、これに気付かずにテントを張っていたら、と想像してみる。夜が深まり、すっかり眠りについた頃。流れてくる水かさが増して、ここはすっかり水たまりになってしまうかもしれない。もしも水量が多ければテントごとどこかに流されてしまうかもしれない。

私は、どこか笑っているように見える彼の顔を見ながら思った。カラナクシのいる場所は、危険だ。
しかしそれは、逆説的にカラナクシが好まない場所は安全ということを意味しているのではないだろうか?

もしも、カラナクシに安全な場所を探すのを手伝ってもらえたら。危険はぐっと少なくなるに違いない。
そう思った私は、茂みからそっと顔を出して、カラナクシにこう呼びかけてみる。

「ねえ、もしよかったら、ちょっと私と一緒に来てくれないかな? 手伝ってほしいことがあるの」

しかしカラナクシは曖昧な笑みを浮かべながら私のことを一瞥しただけで、すぐに彼の瞳は木陰に落ちる雨粒に向けられてしまった。
……残念だけど、仕方ないか。私は小さくため息をついて、茂みを後にしようとしたのだが。

「あなた、なにか困ってるの?」

そんな明瞭な声に、私の足が止まった。振り返ると、濃いオレンジ色の制服に身を包んだ快活そうな女性が私の様子をうかがう様に佇んでいた。彼女の背後には、マスキッパやマリルリなどのポケモンたちが静かに控えている。

トレーナーだろうか。そう思いながら私は簡単に自己紹介をして、今夜の野営地に困っていることと、カラナクシの力を借りたかったけれど諦めたことを手短に説明する。すると彼女は私とゴースト、それから私の腰のボールホルダーを順に確認して、「あなたトレーナーよね?」と前置きしてからこう言った。

「あなたって、少し変わってるのね」

彼女がどうしてそう思ったのかが分からなくて、私は少し首を傾げる。すると彼女は「ああ、ごめんなさい。悪く言うつもりはないの」と断ってから、薄い笑みを浮かべてこう続けた。

「普通のトレーナーなら、当然のようにカラナクシをゲットしてるだろうなって思って」

そう言われて初めて私は、カラナクシをゲットするという選択肢を思いついたのだった。「ああ、確かに」と感心したように口にして、改めて茂みの向こうにいるカラナクシを見やる。
木陰に落ちる雨粒を見つめて、楽しそうに水色の体を揺らす彼。彼をゲットして安全な場所を探すように言えば、私は今夜の安全を得られるだろう。しかし彼をゲットするということは、これから彼を連れて冒険することを意味している。そのためには、彼はこの212番道路を離れなければならない。

「……でもあのカラナクシはきっと、それを望んでない」

カラナクシの意思を無視して彼を生まれた土地から引き離すことはできないと思った。
或いは、すぐに逃がすという方法もあるかもしれないが、それはもっと嫌だった。捕まえられて、そしてすぐに逃がされたポケモンが人間に対してどんな感情を持つか、考えなくたってわかる。
私が静かにそう言うと、彼女は「やっぱり変わってる」と言って、にっと笑ってこう続けた。

「あなたって、トレーナーっていうよりポケモンレンジャーに近いんじゃない? ゴーストもボールに入れてないみたいだし」

初めて聞く言葉に私が「ポケモンレンジャー?」と首を傾げると、彼女は腰のホルダーからスティックを取り出して、それを構えて自己紹介をしてくれた。

「私、ポケモンレンジャーのスズネ。あなた、レンジャーに会うのは初めて?」

ポケモンレンジャーは、ポケモンや自然環境の保護のために活動しているのだという。彼らはポケモン保護の観点から、モンスターボールを使わないらしい。代わりにスタイラーというスティックを使ってポケモンに気持ちを伝え、仲間になる。そして仲間になったポケモンに力を貸してもらったら、その子を自然に返すのだ。

彼女の話を聞いてなるほどと思った。彼女の後ろに控えていたポケモンたちがボールに入っていなかったのは、そのためだったのだ。

「それから、困っている人を助けるのも私たちの仕事!」

彼女はそう言ってスタイラーをカラナクシに向ける。そして、ひと呼吸の後。
スタイラーの先が七色に輝いた。彼女がカラナクシに気持ちを伝えるためにスタイラーを振ると、その光の軌跡が周囲の雨粒に反射して美しく輝く。私がその光景に目を奪われたのは一瞬。彼女はあっという間にカラナクシを仲間にすることに成功した。
どうやらスズネさんは、凄腕のレンジャーだったようだ。彼女の鮮やかな手つきに私が思わず「すごい!」と口走ると、彼女は「ありがと」と自信に満ちた笑みを返してくれた。それからしゃがんでカラナクシと目線を合わせると、「水の来ない場所を教えて」とお願いをする。

カラナクシは彼女に応えるように高らかに一声鳴くと、辺りをきょろきょろと見渡してから、ゆっくりと進み始めた。

カラナクシに案内されて辿り着いたのは、林の中の緩やかな丘の上だった。
なるほど、ここなら周りよりも少し高くなっているから、浸水の恐れはなさそうだ。木陰もあって、雨もそれなりに防げるだろう。木々に隠れているこの場所は、私ひとりでは見付けられなかったに違いない。

「カラナクシ、ありがとう!」

私がしゃがみこんでお礼を述べると、彼はどういたしましてと言うように鳴いてから、スズネさんに向き直る。スズネさんも彼にお礼を述べてから、「ご苦労様」と言って水色の頭をそっと撫でた。すると彼は目を細めて幸せそうに鳴いてから、もといた茂みに向かって帰っていったのだった。

私はカラナクシの鮮やかな水色の背中が見えなくなるまで見送ってから、スズネさんにも重ねてお礼を述べた。
スズネさんは「あなたの力になれてよかったわ」と言ってからりとした笑みを浮かべる。

「じゃあ、私は行くわ。他にも困ってる人がいるかもしれないからね」

気を付けてね、と手を振って、スズネさんは足取り軽く212番道路を駆けていった。
私はその背中を見送ってから、隣のゴーストを見やる。スズネさんは私をトレーナーよりもレンジャーに近いんじゃないかと言ってくれたけれど……きっとそれは正しくない。だって私は、ゴーストたちと絶対に別れられないから。

私に見つめられていたことに気付いたゴーストが、私の意味ありげな眼差しに「どうかしたのか?」と言うように低く鳴く。
私は小さくかぶりを振って「なんでもないよ」と言ってから、気持ちを切り替えるように明瞭な声でこう続けた。

「さ、早くテントを張ろう!」

せっかくスズネさんとカラナクシが安全な場所を見つけてくれたのだ。私もしっかり夜と雨に備えなきゃ。


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