フワライドとの空の旅は至って順調に進んだ。
時折、野生のムクバードとバトルをしながら進んで、お昼を過ぎたころにはロストタワーが見えてきた。
フワライドがしゅーっと空気を抜いて、少しずつ高度を落としてゆく。
そして、丁度ロストタワーの最上階に差しかかった時だった。
オベリスクのような風貌をしたタワーの窓――ガラスなどは入っていない、おそらく換気のために開けられたのであろう大きな穴のような窓から、ミカルゲが飛び出してきた。
「ミカルゲ!」
私の呼び声に応えるように、彼の顔の周りの人魂がぎゅるぎゅると勢いよく回転する。彼はそのままフワライドに腰かける私の胸に飛び込んできた。私がブランコの鎖よろしく掴んでいたフワライドの手を離してミカルゲのことを右腕で抱きとめた、その瞬間。
ミカルゲの、正確には、その体を封印している要石の重さが、私の太ももにのしかかってきた。
それに悲鳴をあげたのはフワライドだった。両手で抱えていた荷物の重さが一瞬のうちに二倍以上増えたのだからたまらないのだろう。彼はぶわぶわと慌てたように鳴きながら、しかし器用に体を捻って遠心力をつけると、そのまま一番近い窓へ――つまり、ミカルゲが飛び出してきた最上階の窓へ、転がり込むようにして入っていった。
私の爪先がロストタワー最上階の床に微かに触れたのと、浮力を失ったフワライドがその手を離したのがほぼ同時。
私は急に支えを失ってつまづきそうになりながら、しかしなんとか転ばずに着地をすることができた。フワライドも、自身の飛行を邪魔されて少し不機嫌そうではあるが無事なようだ。
なにはともあれ、よかった。そう胸を撫で下ろした途端、再度こちらに飛びついてきたミカルゲに押し倒されるようにして私は尻もちをついてしまった。
硬い床にぶつけられたお尻は鈍い痛みを訴えてきたけれど、それはあまり気にならなかった。
ロストタワーに残してしまったミカルゲ。気がかりだった彼が元気にしていたことがわかって、とても嬉しかったのだ。
人魂で出来ているという曖昧な輪郭を撫でていると、不意に「また、にぎやかなことじゃのう」という声と低い笑い声が聞こえてきた。
振り向くと、あの日ミカルゲのことを教えてくれた祈祷師のおばあさんたちが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
私が窓から入ってしまったことを謝ると、おばあさんは「なに、子どもはあれくらい元気でなきゃな」と言ってすぐに許してくれた。
「さっきからミカルゲが妙にそわそわしとると思ったら、こういうことじゃったか」
「さて、旅は順調かね?」
私はその問いに大きく頷いて答えた。
あれから色々なことがあった。思い悩むこともあったけど……とりあえずは前を向いて旅を続けられている。こうしてミカルゲの所にも来ることができたし、順調と言って差し支えないだろう。
するとおばあさんたちは「そうか。それはなによりじゃ」と破顔し、それから少し伏し目がちにミカルゲを見やりながら「しかし、こっちはなかなか順調とはいかなくてのう……」と呟いた。
なにが、なんて訊くまでもなく、ミカルゲの封印のことだとわかった。いつ解けるかはわからないと言っていた、暴れ者だったミカルゲをこの地に縛るおまじない。簡単には解けないだろうとは思っていたけれど……どうやら私が想像していたよりも道のりは厳しいようだ。
おばあさんの言葉を受けて、ミカルゲがしょげたように俯いてしまう。
私はその輪郭をなぞりながら、「大丈夫だよ」と囁くように口にした。
確かに、今日ミカルゲを連れて冒険に出られるのが一番いい。
でも、そうでなくても大丈夫。私はあなたが望んでくれる限り、何度だってあなたのことを迎えに来る。私にできることは何でもする。そう約束したじゃない。
「きっといつか、いっしょに旅に出られる。だから諦めないで」
顔を上げたミカルゲと目が合う。深い翡翠色の瞳。その向こうにあるものを思うと、相変わらず気が遠くなるけど(500年分の呪いは、一体いつ解けるのだろう)、私が信じることをやめてはいけない。
「ね?」と言って笑いかけると、ミカルゲはしばしの逡巡の後、こくりと一度頷いてくれた。
ありがとう、信じてくれて。
私は実体のない彼の体をぎゅっと抱きしめてから、立ち上がる。そして、ミカルゲにこう言った。
「ねえ、私、これからズイを抜けて210番道路に行くんだけどね、よかったら一緒に行かない?」
もちろん行けるところまで、ということになるけれど、それでも。
少しでもいいから、私はあなたと旅がしたい。私が心からそう思っているんだということを、忘れないでいて欲しい。
ミカルゲは歪んだ声で甲高く鳴いたかと思うと、顔の周りの人魂を一層激しく動かして飛び上がる。どうやら、私の提案を喜んでくれたらしい。
よかった。私はほっと一息ついてから、おばあさんの方に向き直る。彼女らにお礼とお別れを言って、私たちは早速ロストタワーを後にした。
一緒にお昼を食べたり、野生のポケモンとバトルをしたり(ミカルゲの怪しい風や悪の波動はものすごい威力で、言い伝えのミカルゲの様子を少し垣間見た気がした)、210番道路の背の高い草むらでかくれんぼをしたりしているうちにあっという間に時間は過ぎた。
そして、予期していた瞬間が訪れる。
かつてズイの遺跡に行った時の様に、不意にミカルゲの動きが止まる。金縛りにでもあったように前に進めなくなって、それから少し悲しそうな顔をして後ろに下がった。
ミカルゲも私も、何も言わなかった。
ただ、彼は出会った時の様に私の右手の指先に静かに頬を寄せて、それから最後に一度私に意味深長な眼差しを投げかけて、そのまま重い石の体を引きずりながらロストタワーの方へ帰っていった。
私は最後に彼が触れていった右手をそっと握る。ぞわりとするような、でも不思議と心地よいその感触は、しかしすぐに指の間をすり抜けて消えてしまった。
しばしの沈黙の後、それを破ったのは私だった。
深く息を吸って、吐いて、もう一度吸って。日の傾き始めた210番道路の、まだあたたかさの残る空気で肺を満たして。
「……行こうか」
ミカルゲと私が並んで歩けるようにいつもよりも少し後ろをついて来てくれていたゴースト。彼に努めていつも通りの調子で声をかけた。
彼はきっと私の気持ちを誰よりも敏感に感じとってくれる。だから、私が本当は無力感と寂しさでいっぱいなことにきっと気付いているはずだ。
でもゴーストは、私の意図を汲んでくれた。今は慰めは欲しくない。彼はいつもと同じ何でもないような笑みを浮かべて私の隣に並ぶと、ごく軽い調子で一声鳴いてくれた。
私はその声に押されるように足を踏み出す。
そうして私はカンナギタウンを目指して歩きだした。
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