私の呼びかけに応えて現れたのは、威厳のある白い髭を蓄えたおじいさんだった。
私は彼に、自分がここに来た理由を説明する。するとおじいさんは白い髭に隠された口角をふっと持ち上げて笑うと「そうかそうか。シロナのためにありがとうね」と言ってから、その眉尻を僅かに下げてこう続けた。

「じゃが、あいにく、ばあさんは出かけておってな……」

聞けば、このお守りの持ち主であるおばあさんは壁画の様子を見に出かけているらしい。シロナさんからも聞いていた、カンナギに伝わる古代の壁画。
古いシンオウの伝説と関係がある、ということはつまり、あの水色の髪の男に繋がっているかもしれない。私はもちろんそれも見たいと思っていたので、「なら、そちらに行ってみます」と言っておじいさんに頭を下げた。
そして、足取り軽く壁画の方、つまりこの街の中心部、あのスリバチ状の窪地の真ん中を目指して歩を進めようとした、その時だった。

「お嬢さん、」

おじいさんの少し慌てたような声が、私を呼び止めた。

私とゴーストは、足を止めて振り返る。おじいさんは白い眉の下の目を僅かに眇めながら、私と、それからゴーストをゆっくりと値踏みをするように眺めた。そして。

「……お嬢さんは、どこから来たんだい?」

静かな声で、そう尋ねた。
私は少し身構えながら、ナギサシティの出身であることを告げる。するとおじいさんは、霧がかかったようにその真意の見えなかった眼差しを少し和らげて、「そうか、ナギサシティか」と呟いた。

「リッシ湖には行ったことがあるかい?」

やや唐突とも思える問いに面食らいながらも、私は「ええと……はい」と言葉を続ける。おじいさんは深く頷きながら、私の話を真剣に聞いてくれた。

「213番道路を通ったとき、高台からリッシ湖を見たことがあります。
朝早くには霧がかかっていた湖が、だんだん晴れていくのがとてもきれいで……一緒に私の迷いも晴れていくような気がしたのを、よく覚えています」
「霧のリッシ湖を晴らしたか……。もしかしたら、あの湖にいる意志の神様、アグノムが君のことを見守っているのかもしれんな」

アグノム、という聞き慣れない言葉を、私は口の中で小さく反芻する。
するとおじいさんは、アグノムというのはリッシ湖に棲んでいる精神を司る神様なのだということを教えてくれた。他にもシンジ湖には感情の神様、エムリットが、北のエイチ湖には知識の神様、ユクシーがいるのだという。3つの湖にいる幻の存在。私はそれに、聞き覚えがあった。

「……それってもしかして、湖の真ん中にある島にいるっていうポケモンのことですか?」
「そうじゃな。そう言う者もおる。お嬢さんはシンオウ神話をよく知っておるようじゃな」
「いえ、まだまだ知らないことばかりです。湖のことは、シロナさんから聞きました」
「そうかそうか。シロナから……」

おじいさんはシロナさんの名前を懐かしむように口にしてから、ゆっくりと瞑目する。そして「シロナの認めたトレーナーなら、大丈夫じゃろう」とひとりごちるように言ってから、すっとその瞼を持ち上げた。そこ瞳にはもう私とゴーストのことを試すような色はない。おじいさんは眦を優しく細めながら、こう言った。

「壁画に下りるには、街の南側に階段がある。そこから行きなさい」

気を付けてね。と言ってくれたおじいさんにもう一度お礼を言ってから、私はまたも踵を返して歩きだした。さっきと違って、今度はもう呼び止められなかった。



「壁画って、どんな感じなんだろうね」

湧き上がってくる期待のまま、駆け足気味に歩きながら、隣のゴーストにそう尋ねてみる。彼は私の問いには答えず、代わりに空を滑る速度を増して私を急かした。そんなに気になるなら、早く行って確かめればいいじゃないか。そのためにここまで来たんだろ? ちらりとこちらを振り向いた彼の笑みが、饒舌にそう語りかけてくる。
確かにゴーストの言う通りだ。そう思った私は、彼を追うように走り出した。この先にあの人に繋がるヒントがあるんだと思うと、ゆっくり歩いてなんていられなかったのだ。


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