古の信仰を守るカンナギタウンは、他の都市のような近代化を拒んでいるせいか、町はあまり広くない。
足を止めることなく走れば、南の端までは私でもあまり時間をかけずにつくことができた。

おじいさんから聞いた南の石段。その脇に、ひとりの老婆が佇んでいた。彼女は白い髪を結いあげて、簪でまとめていた。その簪の先には、白く輝く雫型の石があしらわれている。あれは、大きさこそ違えど、シロナさんの胸元にあった飾りと同じものに見えた。
この人がシロナさんのおばあさんに違いない。私はそう確信しながら彼女に声をかけたのだが。

「すみません、私はナギサシティのナマエといいます」

自己紹介に続くはずだった「私、シロナさんに頼まれてお届け物を預かってきたんです」という私の声は、残念ながら発せられることはなかった。
おばあさんの「お前さん、トレーナーかね? そうじゃろう?」という声とその勢いに、私の言葉は飲み込まれてしまったからだ。私が頷くと、おばあさんは深い皺の刻まれた手でこの窪地の中央――おそらく壁画があるであろう方向を指差して、こう続けた。

「遺跡の前に宇宙人みたいなのがおる。あそこには何もないというのに、それに腹を立てて爆弾を使うと言うておる……困ったものじゃ」

呆れたようにため息をついて、白い眉をひそめる。私はそんなおばあさんの指し示す方向に視線を転じて、ここ最近で急速に見慣れたギンガ団の姿を見付けた。今まで出会ってきた下っ端団員たちとお揃いのおかっぱ頭が、デルビルとゴルバットを連れて遺跡の入り口に向かって歩いている。

「まったく。わしが若ければポケモンと一緒にこらしめてやるのに……!」

その口ぶりから、彼女がかつて名うてのポケモントレーナーであったことが窺えた。長老として町をまとめ、昔からの信仰を立派に守ってきた彼女の人生について、私の頭は勝手に思いを巡らせようとする。しかし私はあえてそれを断ち切って、ギンガ団の男に注目した。
おばあさんは稚拙な脅しだと思って呆れているのかもしれないけれど……この男の言ったという『爆弾を使う』という言葉がただの脅しではないことを、私は知っていた。彼らはボスのためなら爆弾を使うことも、それでなにが失われようとも、全く気にとめないのだ。

「私、あの人を止めてきます」

私はほとんど反射的にそう言って、石段を駆けおりる。
あの先にあるであろう壁画は、水色の髪の男に繋がる大切な手がかりだ。例えそうでないとしても、壁画はカンナギの人たちがずっと守ってきた大切なものなのだ。それを壊すと言っている人を、黙って見過ごしてはいけないと直感的に思った。

私が今日ここにいたのは、きっと偶然じゃない。
さっきおばあさんが口にした、「わしが若ければ」という言葉。朝から観光していて気付いたが、この街にはおじいさんやおばあさん、それか幼い子供の姿が目立つ。わずかにいる大人の中にも、ポケモントレーナーはいないようだ。ここは、古の教えを伝える小さく静かな集落だ。若いトレーナーには居場所も仕事もないのだろう。だから彼らは町を出る。
でも、今日はこの町に私がいた。私はトレーナーで、壁画を守るために戦える。

石段を1段下りるたびに寒さが強くなる。私は白い息を吐きながら窪地の底に降り立つと、祠の脇を駆け抜けてギンガ団の男を呼び止めた。

「爆弾を使うのはやめてください」

男はこちらを振り返ると、ゴーストに目を止めて、「お前、例のお子様だな!」と苛立った声をあげた。

「ちくしょう。こんなしみったれた町、本当になんにもないならギンガ爆弾で吹き飛ばしてやろうと思ったのに!」

男曰く、彼に与えられた任務はカンナギタウンの神話の調査だったらしい。だが、彼が神話や壁画のことを尋ねても、町の人はなにも答えてくれなかったそうだ。「ここにはなにもないから、はやく立ち去れ」と遠回しに言うばかり。
それでも彼はボスのために何日も根気強く聞き取りを続けたが、拒絶の言葉を聞かされ続け、ついに神話の調査を諦めて遺跡を破壊することにしたらしい。

「爆弾を持った仲間は来ないし、例のお子様は現れるし……なんでこうなるんだ!」

そう叫んでから、男はデルビルとゴルバットをけしかけた。鋭い牙を剥き出しにしてこちらに向かってくる2体のポケモン。私はゴーストにシャドーボールを、ボールからロトムを出して電撃波を指示しながら、バトルとは全く別のことを考えていた。

ギンガ団の男は、カンナギの人たちが神話について全くなにも教えてくれなかったと言っていたけれど……私はそれがにわかには信じられなかった。だって、町の人は私にはあんなに親切だった。シロナさんのおじいさんは、湖の神様の話をしてくれた。きっとおばあさんはこれから壁画について教えてくれるに違いない。
この違いは、どこから来たのだろう。彼がギンガ団の格好をしていたからだろうか。私がシロナさんに頼まれて古代のお守りを届けに来たからだろうか。……もしも私がシロナさんの紹介なくカンナギに来ていたら、どうだったんだろう。

バトルは簡単に片が付いた。ギンガ団の男はポケモンをボールにしまうと、「こんななにもないところ、どうでもいいから帰ってやる!」と吐き捨てて駆け出した。

私はそんな彼を思わず呼び止めていた。無視されるかな、とも思ったが、意外にも男は律儀にも立ち止まり、こちらの出方を窺うようにおずおずと振り向いた。
私は少し逡巡してから、ゆっくりと口を開く。言葉を間違えてしまわないように、慎重にこう言った。

「あの、私これから壁画の見学をしようと思ってるんですけど、一緒にどうですか? その場合、爆破はしないって約束してほしいんですけど……」

男はたっぷりの間をとった後、「……は?」と怪訝そうな声をあげてこちらに向き直った。

カフェやまごやの脇で、ギンガ団の下っ端団員たちと戦ったあの夜から、ずっと考えていたことがある。私も、彼らも、誰か大切な人のためになにかをしたかっただけだった。なのに、うまくいかなかった。
立場が違う。利害が違う。それはわかる。でもそれは、相手の気持ちを無視して何をしてもいいという免罪符にはならないはずだ。

「お前、なにを企んでるんだ?」
「企んでないです。ただ、さっき私、あなたがそんな苦労をしたって知らずに爆破をやめてって頭ごなしに言ってしまって。それはよくなかったなって思ったんです」

私と他人とでは、きっと見てきた世界が違う。だから、私の独りよがりなことばでは、きっと私の気持ちは伝わらない。そしてそれは、あの水色の髪の男にも言える。

ごめんなさい、と言って頭を下げると、男は狼狽えたように後ずさった。

「壁画のことを知りたいのは、私も同じなんです。だから、一緒に見学しませんか?
それに、ふたりの方がわかることもあるかもしれません」

男は更に狼狽えて視線を左右に彷徨わせてから、やがて私の目を真っ直ぐに見据えてこう尋ねた。

「本当に、なにも企んでないのか?」
「はい」
「……本当か?」
「はい」

しばしの逡巡の後、男はいつでも逃げだせるように肩幅に開いていた足をすっと閉じる。そして、おもむろにこちらに足を出しかけた。
――その時だった。

「この曲者! はやく立ち去らんか!」

声の方を見遣れば、階段を下りきったおばあさんがよろけそうになりながらこちらに駆け寄ってきているところだった。彼女がよろけそうになっている理由は明白だった。本来であれば地面につかれるはずの杖が、彼女の頭上に高々と掲げられていたからだ。……敵意は明らかだった。

ギンガ団の男は私になんとも言えない暗い色の瞳でもって一瞥をくれたかと思うと、すぐに背を向けて駆け出した。そら見たことか。やっぱりお前もそうなんじゃないか。男の眼差しは饒舌だった。私は、もう彼にかけるべき言葉を見付けられなくて、黙ってそれを見送った。

おばあさんは私の傍までやってくると、怪我はなかったかを尋ね、それからバトルをしてギンガ団のポケモンを倒したことにお礼を述べてくれた。
私はギンガ団の男がすっかり見えなくなってからおばあさんの方を振り返る。それから、「どういたしまして」と小さく頭を下げてから「あの、これ、」と言いながら鞄を開ける。

「シロナさんから預かってきました」

私が古代のお守りを渡すと、彼女はこのお守りははるか昔のシンオウで、神様に捧げるために作られていたことを教えてくれた。
それから、「せっかくじゃから、壁画を見ていくといい」と言って、その入り口をあっさりと開けてくれた。

「……ありがとうございます」

そう一礼すると、おばあさんは屈託なく笑って私を招き入れてくれた。その笑みと、先程のギンガ団の男が私に残していった陰鬱な眼差しが脳裏で交錯する。
またうまくやれなかった。そう思って落ち込みそうになる気持ちを、たった一回でうまくやれるわけがないよと自分自身で励ましてから、私は壁画があるという遺跡にそっと足を踏み入れた。


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