カンナギ周辺の地盤は、テンガン山と同じとても堅固な岩石で出来ているのだという。だから、街の中央にある窪地や、遺跡のある洞窟がどうやって生じたのかは、現在でもよくわかっていない。
ある日突然地面が陥没してできたのかもしれないし、ポケモンの力を借りて人間が掘ったのかもしれない。ただ、大昔の人たちはこの硬い岩石にぽっかり空いた洞窟になにか神聖なものを感じたからこそ、ここに壁画を遺したのだろう。

窪地の底は日もあまり当たらないためか底冷えしていたのだが、遺跡に入ってしまうと、不思議と寒さが和らいだ。どうやら、ここにもテンガン山の地熱の恩恵があるようだ。
遺跡に入ってしばらく歩くと、外の光がほとんど入らなくなる。懐中電灯の明かりで足元を照らしながら進み(余談だが、テンガン山の主洞に入った時はその足元には大小さまざまな石ころや穴ぼこがあり常に注意が必要だったのだが、ここは足元がきれいに手入れされ、均されていて、この遺跡に対する人々の思いがそこに表れているような気がした)、不意に、なんだか空気が変わったな、と思ったところで、シロナさんのおばあさんが「この辺りかのう」と口にした。
その声が、周囲の壁に反響して、何重にもなって返ってくる。そのゆったりとした響きから、私たちが今いる場所はかなり開けていることが窺えた。

「お前さん、旅人なら辺りを照らせるポケモンを連れとるじゃろう?」

促されるままロトムを繰り出して、フラッシュをお願いした。いつもは飄々とした様子で私をからかって笑い声を弾けさせるロトムだが、この場所が持つ意味を無意識に感じ取っているのか、今は静かにその体を発光させる。

淡い水色の光に照らされて現れたのは、左右の壁から天井にかけて大きく大きく描かれた2体の獣の姿だった。濃い青を基調とした1体が入口から見て左側の壁に、薄い赤を基調としたもう1体が右側の壁に描かれている。
青い方は、四本のがっしりとした足で地面をしっかりと踏みしめるように描かれ、その首元には透明に輝く不思議な石があしらわれていた。石に群青の塗料が映り込んで、透明な石を青く輝かせている。赤い方は、二本の太い足で立っており、背中には一対の翼が描かれていた。その肩口に盾のような丸い模様があり、その中心にはまろい輝きを放つ白い石が埋め込まれていた。こちらも薄紅の塗料を反射して、白い石の表面がほのかな赤みを帯びている。
彼らは対になるように左右対称に描かれていて、その首は洞窟の天井の一番高いところで交差している。その背後には、そこから光が生まれ、それが周囲に降り注ぐ様が描かれていた。光の先には人とポケモンと思しき小さな影があり、彼らは一様に光の中心に向かって両手を掲げていた。祈りと感謝を捧げているのだと、すぐにわかった。

「すごい……」

思わず私の口からもれたため息まじりの声が、広間に反響して揺曳する。

「これはな、時間と空間を司るシンオウの神様を描いたものじゃと言われておる」

時間と空間。その単語に聞き覚えがあった私は、両目を眇めるようにして壁画を見上げた。
ハクタイシティのポケモン像で、シロナさんと話したときの記憶が蘇る。あの像は時間と空間を司る古代のポケモンを模して造られたものだと聞いたけれど……この壁画には、2体のポケモンが描かれている。1体のポケモン像と、2体の壁画。それが共に時間と空間のポケモンとしてテンガン山の西と東で語られているのは、どうしてなんだろう。

他にも湧き上がってくる大小様々な疑問の答えを探すように、壁画をじっと見つめる。
そんな私の脳裏に、シンジ湖で出会った男の言葉がふと蘇った。

争いをなくすための、時間と空間の二重螺旋――

シンオウの神話に時間の神様と空間の神様がこんなにもはっきりと描かれているのは、きっと偶然じゃない。

あの人は言っていた、時間と空間を手に入れて、争いのない世界を創る、と。それはつまり、シンオウの神様の力を手に入れるということだ。
そんな畏れ多いことできるはずがない。と思うと同時に、きっとあの人はそれをやり遂げるだろうという確信もあった。あの、我の強い眼差し。彼はあの暗く冷徹な瞳で、きっと全てをやり遂げる……。

「いいかね。我々シンオウの民は、この時間と空間の流れの中で生かされておることを忘れてはいかん」
「……はい」

私の考えていることを知ってか知らずか、おばあさんは重い口調でそう言うと、私をちらりと見やって微笑んだ。
私は少し逡巡してから、それに深く頷いて答えた。神話の真実も、あの人の瞳の奥にあるものも、まだなにも理解できていない私だけど。――私たちは、シンオウの神様の形作った世界の中で生かされている。そのことは、これから何があっても忘れないでいたいと思ったのだ。

私はもう一度、気持ちを新たに壁画を見上げる。ちっぽけな私を見下ろす2柱の神。
私と彼らの視線が交わった瞬間、まるで暗闇に一条の月明かりが落ちるようにじわりと、ひとつの仮定が浮かび上がった。時間と空間の神様がその首を交差させて形作った巨大な輪郭は、まるでテンガン山のシルエットのように見えないだろうか。私たちの世界の中心に位置し、遥か昔から人とポケモンを見守ってきた、神聖な山。その一番高い頂に、この壁画は似ている気がする。

私がぽつりとそう口にすると、おばあさんはきょとんとしたようにその瞳を丸くしてから壁画を見上げ、それから「なるほど、そうも見えるのう」と言って、その灰色の瞳を伏せてゆっくりと二度、まばたきをした。

「お前さん、ナギサの出身と言っておったな。名前は……」
「ナマエです」
「そうじゃった。そうじゃった」

そこで言葉を切ったおばあさんは、持っていた懐中電灯でこの洞窟の更に奥を照らす。
そして、小さく深呼吸をしてから、厳かな声でこう続けた。

「ナマエや、ついてきなさい。本当のカンナギ壁画を見せてやろう」

本当の壁画とは、どういうことだろう。まさか、この天井まで届く荘厳な壁画が偽物というわけでもないだろうし……。そう混乱しかけた私が小さく首を傾げると、おばあさんはゆっくり歩きながら、この先にあるという壁画のことを手短に教えてくれた。
聞けば、この巨大な壁画よりもより年代の古い壁画が、この洞窟の最奥に描かれているのだという。そこにその絵が描かれたときから、このカンナギに人が住まい、私たちは神を崇めるようになったらしい。おばあさんは『信仰のはじまり』という意味で、本当の壁画という言い回しをしたようだった。

「この先にある壁画は、先程のものと比べると少々、地味でな。もちろん地味だからといって劣ることはないんじゃが……ものの価値のわからん連中に軽んじられるようなことが万が一にもあってはならんからの。よそ者の目に触れることがないよう、厳重に管理しておるんじゃ」

軽んじられる、という言葉がなにを意味するのか、私は先程のギンガ団の男の言動を踏まえて、漠然と理解した。爆破する、なんて極端な手段に出る人はなかなかないだろうが、……それでも面白がっていたずらをする人がいないとは限らない。
遺跡の入り口を堅牢な岩の扉で閉ざし、“よそ者”の詮索を拒み、本当の壁画を人目から隠しているのには、なにか理由があるのだろう。私は深い皺の刻まれたおばあさんの横顔を見ながらそんなことを思った。

少し歩いて辿り着いた先にあったのは、先程の壁画と比べるとずいぶん小ぶりな絵だった。
洞窟の突き当りの壁面に描かれた、直径30センチほどの照り輝く赤い円。それから、それを取り囲むように三角形に配置された3体の生き物のシルエットだった。白い顔料で描かれた3体の生き物は、二本の足に二本の腕を持っていて、その姿形は人間を簡素に意匠化したように見える。しかしその頭部はそれぞれ人間ではあり得ないような独特の形をしていることから、やはりポケモンのようにも思われた。

ポケモンとも人間ともつかない、不思議な壁画だった。先程の時間と空間の神様の巨大な壁画と比べると、それは絵というよりもむしろ、抽象化された記号に近いような印象を受けた。抽象化された絵画になにが描かれているのかは、はっきりとはわからない。しかし、だからこそ、私たちはそこに神話の真実を思い描くことができるのだと思う。
息を呑んで壁画を見つめる私に、おばあさんはゆっくりとした独特の口調で短い物語を語ってくれた。おばあさんは先代の長老の口調をまね、先代は更にその先代の語りをまねて、途切れることなく語り継がれてきた神話。

「……世界の中心。そこには、神がいた。
それらは、強大な力を持っていた。
その力と対になるように3匹のポケモンがいた。
そうすることでカナエのごとく均衡を保っていた……」

カナエ、という言葉の意味がわからなかった私がそれを口の中で反芻すると、おばあさんはちょっと笑って空中に絵を描いて教えてくれた。カナエ――鼎というのは、器の種類の名前らしい。古い遺跡から出土する容器のうち、3本の脚で支えられるものをそう呼ぶのだという。
世界の真ん中にいる神様の強大な力が溢れてしまわないように3匹のポケモンがそれを支えている、ということなのだろうか。

私が深い感嘆のため息と共に相槌をうつと、おばあさんは先程の大きな壁画とハクタイのポケモン像がほぼ同じ年代に作られたものだということを教えてくれた。そして、今見ているこの壁画こそが、シンオウにあるどんな遺跡よりも古いのだということを厳かな口調で付け加える。
それはつまり、ここに神話の、すなわちシンオウのはじまりが記されていることを意味していた。

「これが、カンナギに伝わるシンオウ地方の昔話さ」

改めて、カンナギの壁画を見つめる。岩肌に描かれた3体の生き物は、よく見ればその顔料にきらきらと輝く粉を混ぜて描かれていたようで、懐中電灯を動かすとその光を反射してたゆたう水面のように輝いた。でこぼこした岩肌に描かれた絵だが、その筆遣いは丁寧で、壁画の輪郭にはかすれや揺らぎは一か所たりともない。後世に何かを伝えるために、この絵が心を込めて描かれたであろうことは想像に難くない。
私は、特に気になっていた3体の生き物たちの頭部をしげしげと眺める。4つの棒状の突起を持つ者。三角形をずっと鋭くしたような形をした者。もこもことした輪郭の円を模る者。私はそれらの形に見覚えがある気がした。しかし、どこでそれを見たのか、うまく思い出せない。

私がそのことについておばあさんに尋ねようとした、その時だった。

「その話、詳しく聞かせてもらいたい」

不意に、そんな抑揚のない声が広間の方から聞こえてきた。


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