ゴーストを連れてポケモンセンターを出ると、「ナマエや、」と私を呼び止める声が聞こえた。振り返った視線の先にいたのは、シロナさんのおばさんだった。

「もう出発するのかい?」

昨日見せてもらった壁画のお礼を言ってから、これからカンナギを発つことを告げる。するとおばあさんは「そうか……」と言って寂しそうにその眉尻を下げた。

「久しぶりに壁画の話ができて楽しかったよ。ありがとう。よかったらまたカンナギにおいで」
「はい。絶対にまた来ます。こちらこそ、本当にありがとうございました」

そう言って頭を下げると、彼女はいかにも長老らしい堂々としたリズムで高く笑い、それから「そうじゃ、そういえばな」と言いながらおもむろに懐から何かを取り出して、こう続けた。

「いいものを見つけたんだ。これを持ってお行き!」

おずおずと受け取ったそれは、秘伝マシンだった。ケースには波乗りと書かれている。

「もともとは孫のものじゃが、とんと使ってないからいいじゃろて」

孫のもの……ということは、これはシロナさんのものということではないだろうか。あんなにお世話になっている人の者を勝手に貰うなんてできない。そもそも私がここに来たのだって、空を飛ぶの秘伝マシンを貰ったお礼のためでもあったのに。それでまたシロナさんの秘伝マシンを貰ったのでは本末転倒だ。
「そんな、貰えません」と私はそれをお返ししようとしたのだが、「いいから、貰えるものは貰っておきなさい!」と言うおばあさんに押し切られて、私は結局秘伝マシンを鞄にしまってしまった。

「そうそう。年寄りの厚意は素直に受け取るもんじゃ」

茶目っ気のある笑みでそう言ったおばあさんに何度もお礼を言って、私はカンナギタウンを後にしたのだった。




シンオウにある3つの湖のうち、私がまだ訪れたことのない北端のエイチ湖。知識の神様がいるという湖に行ってみよう。そう思い、211番道路側からテンガン山に入ってみたのだが。
洞窟の中には灰色がかった大岩がいくつも転がっており、私の行く手を塞いでしまっていた。ゴーストたちの力を借りても動かすことができなかったのはもちろん、ゴルダックの岩砕きでも道をひらくことはできなかった。

残念だが、この道は諦める他ないようだ。
私はタウンマップを広げて思案する。少し遠回りになってしまうが……南の208番道路側からクロガネ、ハクタイを通って西側からテンガン山に入ることにしよう。そちらからなら、エイチ湖に行けるかもしれない。

道を決めた私は、211番道路を出てカンナギタウンを東へ抜け、210番道路へやって来た。
だんだんと霧が深くなってくる。ゴーストとはぐれないように声をかけ合いながら道を進んでいると、霧の向こうからやって来る人影が目にとまった。
次第にはっきりとする人影の輪郭。長く艶やかな金の髪と、すらりと伸びた手足。そして、私を認めてふわりと細められた知的な眼差し。シロナさんだ。彼女の姿を認めた私は軽く頭を下げて挨拶をしてから、シロナさんに駆け寄る。

「シロナさん、ありがとうございました! カンナギの遺跡、とてもすごかったです!」

シロナさんのおばあさんが案内してくれて、奥の壁画を見せてもらえたことを報告する。
するとシロナさんは少し苦笑めいた笑みを浮かべて「やっぱり奥の方まで案内したのね、おばあちゃん」と言ってから、「でも、そうか」なにかに納得するように小さく2度頷いた。

「ねえ、ナマエちゃん。壁画、どう思った?」

シロナさんのグレーの瞳がすっと細くなって、問いかけるような眼差しをこちらに投げかける。
私は少し言葉を選びながら、昨日カンナギの遺跡で思ったことをそのまま伝えた。時間と空間のポケモンが描かれた壁画で巨大な2体のポケモンが首を交差する様子はテンガン山そのもののように見えたこと。おばあさんが教えてくれた鼎という言葉の通り、世界の真ん中にいる神様の強大な力を3体のポケモンが支えているんだなと思ったこと。

「シロナさん、もしかして、時間と空間のポケモンは今もテンガン山にいるんでしょうか?」

時間と空間のポケモンの姿がテンガン山のように見えたのはきっと偶然じゃない。私がシロナさんにそう尋ねると、彼女は少し驚いたように目を見開いてから、ゆっくりと微笑んだ。

「……面白い切り口だわ。そうね。そうかもしれない」

そうして私たちはどちらともなく視線をカンナギの向こう側、テンガン山へと移した。
荘厳な岩肌と、キッサキから吹き付けてくる雪の白。あのどこかに世界を創った神様がいる。そんな突拍子もない考えを、シロナさんは否定しなかった。もしかしてシロナさんも、切り口は違うかもしれないけれど、そんな風に考えているんだろうか? 私がそのことを尋ねようと口を開きかけた刹那、シロナさんがテンガン山から視線をこちらに向け直し、明るい口調でこう言った。

「ねえ、もしよかったら、ミオシティに行ってみない?」

ミオシティといえば、シンオウ最西端の港町だ。やや唐突にも思える提案だったが、聞けばミオシティには大きな図書館があるらしい。シンオウの神話や大昔の伝説を記した本もたくさんあるようだ。

「神話のことを知るのに役に立つと思うの。どうかしら?」

エイチ湖に行くにはかなりの遠回りが必要そうだし、ハクタイ側からテンガン山に入ったとしてもまたあの大岩が道を塞いでいないとも限らない。シロナさんの言う大昔の書物に興味もあったので、私はミオシティに行ってみることにした。
図書館のことを教えてもらったことにお礼を述べて、私は彼女と別れようとしたのだが。

「そうだ。せっかくだからミオまで送るわ」

そう言ってシロナさんは鮮やかな手つきで腰のホルダーからボールを抜き出した。
私はシロナさんにそんな手間はかけられないと思ってそれを断ろうとしたのだが。ボールから現れたポケモンを見て、私は言いかけた言葉を飲み込んでしまった。代わりに、自分で聞いてもそうとわかるくらい嬉々とした声が、自然とまろび出る。

「わあ、トゲキッスだ……!」

忘れるはずがない、かつてこの旅を始めるとき、故郷の街からマサゴタウンまでデンジと一緒に私を運んでくれたトゲキッスだった。私と自分を乗せて飛ぶことのできるポケモンを持っていなかったデンジは人づてにトゲキッスを借りてきたと言っていたけれど……それはシロナさんのことだったんだ。
私がやや呆然とトゲキッスを見つめていると、彼はその漆黒の瞳を瞬かせてから私と、それからシロナさんを交互に見て柔らかい声で鳴く。幸せがいっぱいに詰まっていそうなふっくらとした翼をはためかせてから、こちらに背を向けて体勢を低く構える。さあ乗って、そう言っているようだった。

「私、ナマエちゃんがミオの本を読んでどう思うかが知りたいの。これは私のわがままなのよ。だからね、せめて送らせて」

シロナさんは柔らかな声色で「さあ」と言って、私の腰に手を添える。言葉とその手つきですっかり退路を断たれてしまった私は、そのまま促されるままトゲキッスの背に乗った。
次いでひらりとトゲキッスに乗ったシロナさん。彼女の掛け声に合わせてトゲキッスがふわりを舞い上がる。フワライドに乗る時とは全く違う、重力を感じさせない飛翔だった。

私は慌ててゴーストを呼びよせる。腕の間に彼を抱えて、風に飛ばされないように気を付ける。シロナさんはそんな私のことを後ろから抱きすくめるようにして支えてくれた。頬をかすめてゆく上空の大気は冷たいが、背中はじわりとあたたかい。

「シロナさん、いつもいろいろ、ありがとうございます」

シンオウの神話と私を結びつけてくれたのはいつもシロナさんだ。秘伝マシンやコダックの頭痛を治す薬をくれたりもしたし、こうして次の街まで送ってくれるし、それになにより。私の旅のはじまりも、シロナさんに助けられていた。本当に、感謝してもしきれない。
少し間を置いて、私の頭の横からシロナさんの声が降ってきた。

「……さっきも言ったけど、これは本当に私のわがままなのよ。私がこうしたいだけ。だから気にしないで」

優しい語尾でそう締めくくったシロナさんは、それから思い出したようにこう付け加えた。

「そうだ、ミオまでもう少し時間があるし、カンナギの遺跡で思ったこと、もう少し詳しく聞かせてくれない? なにか新しい発見につながりそうな気がするの」

私なんかの拙い感想が、シロナさんの研究の役に立つだろうか。素直にそんな疑問を口にしたところ、シロナさんは「そんなことない」と力強い声で言う。

「べつに素人の意見だからって珍しがってるわけじゃないのよ。ナマエちゃんは、シンオウのこと、神話のこと、よく見ているでしょ。そんなあなたの意見だから聞いてみたいの」

研究者としての公平な目線から私の意見を知りたいと言ってもらえたことは嬉しかった。私の言葉で役に立てるならと、私はおずおずと話し始めた。
眼下にそびえるテンガン山。トゲキッスがその上空を南下していくのを視界の端に捉えながら、私たちは神話の世界についての話に花を咲かせた。


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