コトブキシティと218番道路の間に、その釣具屋さんはあった。
早速店内に入る。釣り竿や色とりどりのルアーが所狭しと並ぶ中をすり抜けるようにして、店の奥に進んでいく。釣り人のユタカさんは店主さんと思しき男性と少し話してから、なにやら道具を一揃い持ってこちらに戻って来た。
どうやら、波乗り教室の講師はユタカさんが担当するからということで、ウェットスーツなど必要な道具だけを借りてきてくれたようだ。私は彼にしっかりとお礼を言ってから、来た道をふたりで218番道路の湾へと戻った。




冬の海はさぞ冷たいことだろう、と覚悟を決めていたのだが。ゴルダックに掴まりながらゆっくりと入った海中は思っていたより冷たくない。
借りてきたウェットスーツの性能のおかげだろうか。そう思った私がそのことを口にすると、ユタカさんはちょっと笑って218番道路のこの湾のことを詳しく教えてくれた。

聞けば、ミオシティからコトブキの沖にかけて、遠く南の海からやって来た暖流が流れているのだそうだ。そのおかげで218番道路の海水温はシンオウの中でも比較的暖かいのだという。
辺りを見回してみると、この深く切れ込んだ湾には、入口の方から大きな岩場や小島がいくつも浮かんでいるのに気が付いた。それが防波堤の役割を果たしているのか、波は穏やかだ。
暖かな海水と、穏やかな波。218番道路は波乗り初心者のトレーニングにもってこいの環境だった。

「よし、まずはゴルダックに掴まって泳いでみよう!」

ユタカさんは出会った時のポイントで釣り糸を垂れながら、辺りに響きわたる大声で指示を出してくれる。
いきなりゴルダックの背に立つのではなく、まずは一緒に泳いで息を合わせる練習をするのだそうだ。

私は「はい!」と彼に負けない声で返事をしてから、ゴルダックの背中に掴まる。
今まで丘の上から見ていた彼の泳ぎは優雅な印象を与えるばかりだったけれど、こうして彼と一緒に泳いでみて初めて私は彼が水中を切るように泳ぐことを知った。両手足の水かきを効率よく使って、長い尻尾を巧みにくねらせて、湾の波なんてものともしないスピードで泳ぐゴルダック。水の抵抗を少なくするための流線形の体のラインのその下で、背中から肩にかけての筋肉が躍動しているのがウェットスーツ越しに伝わって来た。

「……すごい」

そうとしか言いようがなかった。
私の声に応えるように、ゴルダックが短く鳴く。このくらい普通だよ、そう言っているのだと思った。

私はゴルダックの背中に掴まりながら、彼の泳ぎのリズムに集中する。直進するときの手足の動きと、旋回するときの体のブレを体で覚えたところで、ようやく次の段階へ進むことになった。いよいよ、彼の背中に立つ練習に入る。

「まずはゴルダックが水上を泳いでいる状態で、背中に掴まった姿勢から立ち上がってみよう」

慣れてくると私服のまま陸上からポケモンの背中へ飛び乗ることができるようになるらしいが、まずは一緒に水に入り、泳いでいる状態のポケモンの背中で立ち上がる練習をするところから始めるのがセオリーらしい。なんでも、慣れない人間が静止した状態のポケモンの背中に立つことは、ポケモンにとって大きな負担になるのだという。そういうものなんだなあと思いながら私は、ユタカさんの声の通りに体を動かしていった。
まずはゴルダックの肩に掴まっている手を離して、背中の真ん中に置く。そして上体を引き上げてから、足を素早く体に引き付ける。腰を捻って右足は前に、左足は後ろに。そしてバランスをとりながらゆっくりと立ち上がろうとしたところで、私の足がゴルダックの背中から離れた。派手な飛沫を上げて水中に落ちる。

水の中を空気が立ち上るごぼごぼという音を聞きながら、私は海面から顔を出した。すぐにゴルダックが私のもとにやって来てくれたので、私は咄嗟に彼に掴まった。ぷかぷかと浮きながらユタカさんを探す(ぐるんと回転するように落ちてしまったせいで、方向の感覚がよくわからなくなってしまっていた)。
彼はすぐに見つかった。「大丈夫かー!?」という大きな声が左の方から聞こえてきて、方向を教えてくれたからだ。
私が手を振ってそれに応えると、彼はほっとしたように息をついてから、こう続けた、「はじめてで中間姿勢から手を離せるとは、大したものだ!」

上手に立てなくてユタカさんをがっかりさせてしまったんじゃないかと心配だったが、どうやらポケモンの背中に立てるまで数日かかるのが普通らしい。むしろ、はじめてで中腰までいけた私たちは筋がいい方なようだ。

「ゴルダック、もう一度、いい?」

ゴルダックは小さく一度鳴いてから、私の方に背中を向ける。どうやら早く掴まるよう促しているようだ。私が背中に掴まると、彼は再び滑るように泳ぎ始めた。心なしか、さっきよりも左右の揺れが少し小さい気がする。
ゴルダックは私の動きやクセに合わせて、私が立ちあがりやすいように泳ぎ方を変えてくれているようだ。……この調子なら、きっとすぐに波乗りもマスターできるに違いない。そう確信しながら私は、彼の背中に手をついた。





「おめでとう! まさかこんなに早く波乗りをマスターするとはな!」

釣り人のユタカさんの指導と、ゴルダックの泳ぎのセンスのおかげで、私は練習を始めて2日目にはすっかり波乗りを使えるようになっていた。
ゴルダックの体のブレからこれから彼が左右のどちらに旋回しようとしているのかがわかるようになったし、逆に彼は私の重心の動かし方から私の行きたい方向が分かるようになっていた。息が合うようになると、ポケモンの負担になるから初心者はやらない方がいいと言われていた乗り方――水上で静止した状態のポケモンの背中に立つこともできるようになった。
これで私は、服を濡らすことなくゴルダックに乗れるようになった。218番道路を越えて、ミオの図書館に行くこともできる。

ウェットスーツを釣具屋さんに返して、私はユタカさんに深々とお辞儀をしながらもう何度目かわからないお礼を述べた。
彼は相変わらずのはっきりした口調で「いいんだよ」と言って快活に笑う。

「オレも昔、釣りの先輩に波乗りのやり方を教えてもらったんだ。
ナマエもいつか困っている後輩がいたら助けてやってくれ!」
「はい! 本当にありがとうございました」

今日誰かに助けられた私は、だからこそいつか誰かの役に立てる。
そう思うと心と体が軽くなって、どんなことだってできるような気がした。


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